京都検定合格めざして!

京都検定受検を口実に、京都のあちこちにいきます。2級は合格しました。v(^^)v

本法寺

2013年01月31日 22時50分38秒 | 旅行
おととし来た本法寺にまたやって来ました



前回、お庭などを拝観しなかったので、心残りだったんですよ・・・

今日は、父・母と一緒に見せていただきます

拝観料を払うと、パンフレットとともに絵葉書セットまでいただきました


受付のところに置いてあったのは、先日直木賞に決まった「等伯」の本

それは・・・

ここ本法寺には、長谷川等伯の代表作の一つ、「仏涅槃図」があるのです

普段は複製を見ることができます

縦10m、横6mのおっきなものです

等伯自身の姿も描き加えられてるんだそうです・・・が、どこだかわからんわ

真ん中へん?

いやいや 、真ん中にはお釈迦様が横になっておられますよ





十の庭・・・つなしのにわ、と読みます

     



ひとつ、ふたつ、みっつ・・・ここのつ、までは「つ」がつくけど

十は「つ」がつかないので「つなし」

でも、石は9個なんだよ

う~ん、難しい



三つ巴の庭です


     


本阿弥光悦の作で、室町期の書院風枯山水の影響を残す名庭

国の文化財として名勝に指定されています

半円を二つ組み合わせた円形石と、切石による十角形の蓮池で、「日」「蓮」を表しているとか


     

お~、それなら私にも理解可能





この、縦縞紋様の青石は、後ろの石組みの枯滝から流れ落ちる水を表現しています


     

お~、これもわかるわ




木でできた灯篭がありました

たぶん珍しいかと・・・


     




御朱印をいただきました


     

朝一番だったからか、他にお客さんは一人もなく、私たち3人でゆ~っくり見ることができました

ぜいたくぜいたく 

このあと、堀川通りを下ります





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小川通寺之内あたり

2013年01月31日 19時53分51秒 | 旅行
今日は父・母と一緒に、食事にでかけます

京都検定3級合格のお祝いです

やったね 

私は96点、そして半世紀以上ぶりに「テスト」を受けた母は、な~んと97点でした 

関係者の皆様(誰のことや)、これはすごいことではないですか 




さて、そういうことで、気分よく3人で京都へ

食べるだけじゃもったいないから、歩きましょう 



おととし一人で来た本法寺、その時は裏門から入ったんですが

今日は仁王門からスタートです


なんですが、まだ拝観時間になってない・・・ 

本法寺の中は後ほどとして、仁王門のお向かい、裏千家の今日庵です


     


     


そしてそのお隣に、表千家の不審庵です


     


     

(今回は行きませんでしたが、武者小路千家の官休庵も近くにあります)


なんと落ち着いた雰囲気でしょうか

私が足を踏み入れることは、一生ないでしょう・・・ 


ここ小川通には、お茶のお道具のお店がたくさん並んでいます

ショーウィンドーには、お茶碗などが展示されています

なんもわからん私は、そのありがたさを値段でしか判断できない 

そして、値段のついてないものは、きっと、すごーくありがたいもんなんやろなあと推測するだけです 

残念なことです・・・ 




こんなものがありました


     

百々橋(どどばし)の礎石です

ここは小川通の名前からわかるように、以前は川が流れていました

この場所にかかっていたのが百々橋

応仁の乱の際、細川勝元の東軍と山名宗全の西軍がこの橋を隔てて合戦を行いました

昭和38年、川は埋め立てられましたが、礎石の一つがこれです


さて、10時を過ぎました

本法寺に行きましょう 



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石峰寺

2013年01月10日 21時29分17秒 | 旅行
伏見街道から東に折れ、数分歩けば石峰寺です

石峰寺・・・せきほうじ と読みます

(私は、いしみねでら かと思ってたんで、一応  )

ずっと上の方に赤い門が見えたんで

「ええっ、あんな高いとこまで行くん  」と思いましたが、登ってみれば全然大変でなかった




石峰寺は黄檗宗で、門は中国風の竜宮造りです

扁額には「高着眼」の文字が


     

いえ、もちろん、自力では読めません 


総門をくぐり本堂まで続く参道の平石は、竜の背のうろこをあらわすそうです 


     


     

そして、これが裏山に続く参道


     


石峰寺は裏山にある五百羅漢で有名です

伊藤若冲が下絵を描き、石工に彫らせたもの

 ・・・若冲が全部彫ったのかと思ってましたが

    そうだよねえ、そんなはずないよねえ、無理だよねえ ・・・


五百羅漢の写真を撮ったり、スケッチをすることは禁止だったので

(いや、スケッチは許可されてても、絵心が全くないから意味ないけど 

おとーさんと二人静かに見てまわりました(他にお客さんがほとんどいなかった 

並んだ羅漢さん、それこそ雨ざらしなんですが

その風化したたたずまいは趣きがあります 


しかし、夏はやぶ蚊が出て、大変だそう

・・・・ときいていたんで、冬に来たんだ 





本堂の南には、若冲のお墓と、筆塚がありました


     



門のところから西に見える、京都の南部です

京都タワーはもっと北やな


     


ここは、伏見稲荷のすぐ近くだから、初詣してから帰ろう 

ということで、歩いてると、途中こんなお地蔵さんが


     

ぬりこべ地蔵さんです



この祠のなかに、1メートルほどの高さのお地蔵さんがいらっしゃいます

もともと塗り壁のりっぱなお堂にあったらしい

ぬりかべぬりこべ病気を封じ込め

ということで、ここは歯痛封じで有名なんだそうです

全国から、歯痛をなおしてくださいというはがきが来るんだって 

「京都市 伏見区 ぬりこべ地蔵様」で届くんだって 

かかっている赤い布(なんていうんかな)に、平成25年1月吉日とありました

お~、まっさらやん 


伏見稲荷は、もう正月六日の夕方ということで、そんなにびっくりというほどの人出ではありませんでした


鈴が鈴なりです 


     

これだけ鈴が並んでるのは、お正月だけかな

たぶん三が日はここまでたどりつくのに大変な時間がかかったことでしょう



帰り道の参道、お稲荷さんといえば、これだ 


     


駅に一番近いお店できつねせんべいを買おうと思ったら

「すいません、売り切れなんです。明日ならありますが・・・」

残念、わざわざ明日買いには来ないよ



このブログ、今日で100回になりました

これからも細く長く続けていけたらと思っています











   
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伏見街道

2013年01月09日 21時25分50秒 | 旅行
藤森神社を出て、伏見街道を北にむかいます

伏見街道は、秀吉によって開かれた街道で、京と伏見を結びます

深草あたりは直違橋街道とも呼ばれます

直違橋・・・読めますか 

すじかいばしです

私は読めなかった 


     





きょろきょろしながら歩いてると、第四橋という小さな橋がありました


     

橋というと、おとーさんは仕事柄、写真を撮らずにはいられないの 

そしたら、なんとなんと・・・・


     

これは珍しい橋です 

まんまるです 

こういうのってほんま見たことないって 

1873年(明治6年)竣工、長い間、交通量の多い道を、しっかり支えてきたんですね


ついでに、第三橋は東福寺の通天橋の下流、第一橋と第二橋は親柱しか残っていません




街道沿いには、古くからの町家が残っています

ここが街道として栄えたことがわかります


     



     





もう少し北に歩くと、聖母女学院


     

この建物は、もともと日本陸軍の第16師団司令部庁舎でした

竣工は明治40年、京都の近代洋風建築のひとつです



このあたりの京都教育大、国立京都病院、青少年科学センターなど、みんな軍の施設の跡地に建ってます


さて、ここから、伏見街道を右(東)に曲がって進みます 



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藤森神社 その2

2013年01月08日 20時14分53秒 | 旅行
藤森神社の続きです


神馬像の近くに、手水鉢があります


     

この、手水鉢の台石、なあんと、宇治浮島にある十三重の塔の上から五番目の石を、石川五右衛門が持ってきたものですと 

ほんまかな 



本殿の裏にある、大将軍社と八幡社、1438年に室町幕府の6代将軍足利義教が寄進したものです

両方とも重要文化財に指定されています


     


     



大将軍社というのは、平安遷都の際、王城鎮護のために、京都四方に祀られたもの

ここは、そのうちの南にあたります


う~ん、長い歴史だ 




本殿東には、旗塚

神功皇后が新羅侵攻の際、軍旗を埋納したところ

藤森神社発祥の地です

こうくると、さっきの大将軍社より、長い歴史だわ 


     

ここには、いちいの木の古木が祀られており、擦ると腰痛にきくんだそうです

近藤勇も腰痛持ちで、ここに参拝したらしい 





旗塚のすぐ近くに、不二の水という湧き水があります


     

水を汲みに、近所の方々が訪れています

そこで、一人の女性が、なんと2リットルのペットボトル10本ほどを取り出して、水を入れ始めたのにはびっくり 

「名水でいれたコーヒーをどうぞ」みたいな喫茶店の人だったりしてね 


さて、ここから北の方へ向かって歩きます 

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藤森神社 その1

2013年01月08日 09時31分01秒 | 旅行
ほんの気まぐれでこのブログを書き始めてから、4年目に入りました 

・・・ま、私はたいていのことは気まぐれで始めてしまうんですが ・・・

読んで下さる方々(たぶん、お会いしたこともない人もかなりおられるのでしょう)、ほんとにありがとうございます 



さて、今年初めの京都歩きは、藤森神社からスタート

ず~っと前に、ここの紫陽花苑にきたことがあります

今日一緒に歩く人はおとーさん 

写真もぜーんぶおとーさんに丸投げ 
 
よろしくね 






藤森神社はなんと平安遷都以前からあると伝えられる古社です

勝運と馬の神社として知られています

競馬関係者や競馬ファンに人気の神社です

「なんで馬の神社へ  今年はへび年だよ 」・・・って

そう、そして来年はうま年

来年の年賀状に使える写真が撮れるかも~

というわけなんです

(ついでながら、馬券を買ったことはありません  )


また、勝負の神様菖蒲というごろあわせで、菖蒲の節句発祥の地でもあります

と思ったら、実は菖蒲勝負だとおとーさんからご指摘あり



藤森神社、南門の大鳥居は石でできています

1711年の銘があるそう


     

鳥居には、以前、後水尾天皇の額がかけてありました

ここは、西国大名参勤交代の道筋にあたり、大名はこの前を通るとき、駕籠から降りて拝礼しました

しかし、幕末になり、そんな悠長なことはしていられないと、近藤勇が額をはずしたとか



鳥居の両側には、見上げんばかりの大きな石灯籠

そして火を灯すための階段まで石でできてます


       


          

灯篭の後ろ側には、このような文字が彫られてました

      


     

右に「石屋 六兵衛 」左に「石工 明石住」、これも1711年からあるのかな 





紫陽花苑は、この時期こんな様子です 


     



本殿は1712年、宮中の賢所の建物を中御門天皇より賜ったもの


     


本殿の左手に絵馬堂があります

さすが馬の神社だけあって、見てください、この絵馬たち 


     


     


     

私でも、ナリタブライアンは知ってるよ



そのそばに、お目当ての、神馬像


     


さあて、この写真、来年の年賀状に使うことになるかな




そして、おみくじもかわいいおうまさん 


     



この藤森神社の境内には、ほかにもいろいろ見どころあり 

次回に続きます













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