ときどき立ち寄る銀座の山野楽器ですが、今年(2014年)は創業122年になるんですね。歴史長いー
音楽の友1977年7月号「山野楽器創業八十五周年」という記事は高名な音楽評論家、野村光一(1895-1988)氏の、山野楽器創設者への感謝の気持ちでいっぱいでした。
野村氏が山野楽器に通い出したのは大正の初め。楽譜やレコードを買うためだけでなく、山野楽器店の裏にあった、創設者の山野政太郎(まさたろう)宅三階の座敷(六畳間)に仲間とともに集まるためだったらしいです。
その「仲間」というのは、堀内敬三(1897-1983)、藤原義江(1898-1976)、オペラ主役4人による「ヴォーカル・フォア」の松平里子(1896-1931)、佐藤美子(1903-1982)、内田栄一(1901-1985)、徳山たまき【王へんに連】(1903-1942)らという、錚々たるメンバーだったそうです。
「山野政太郎さんは今世紀(20世紀)初頭にアメリカの西部に住んでいて、そこで邦人相手の新聞を発行していた人である。しかし、第一次世界大戦が始まるかな り前に、アメリカでの新聞事業に見切りをつけて帰国し、同地で貯えた財産を元にして東京銀座で楽器商を営むことにした。そして、その際行なった方法は、その頃すでに銀座の店を開いていた、主としてピアノ製造とその販売を目的にしていた松本という楽器店(※)を買収して、その事業のすべてをそのまま継承する ことにあったのである。」
※松本楽器店...ピアノ調律師、松本新吉(1865-1941)が1907年に設立。(Wikipediaによる)
政太郎氏は、「風貌も風采も貫禄あるインテリ・ジェントルマンだったから」、商売のことなどは店を預かる店員に任せっぱなしだったようですが、そのかわり、野村氏らのような芸術畑の人間との付き合いを大事にされたそうです。
そんな状況の中で当時二十歳そこそこだった野村氏は、山野楽器店が発行していた「月刊楽譜」という雑誌に執筆することになり、その経験が野村氏を音楽評論家にした下地になったといいます。
その頃日本のレコード界ではSPの外国吹込み洋楽盤が盛んに売り出されるようになっており、それに目をつけた中央公論社が野村氏にレコードについての本を書けと言ってきました。
「元来レコードにそれほど興味を持たず、また購入の資金さえ乏しかったから、わたしの手許にはほとんどレコードがなかった」という野村氏は、政太郎氏にお願いして、山野楽器店の売り物のレコードを片っ端から引きずり出し、それを店内の試聴室のプレーヤーに掛けて聴いていったそうです。
その結果出来上がった本が、「レコード音楽読本」。
(以上ヘタな要約ですみません)
。。。山野政太郎、太っ腹!
それと何より、この記事の中でご自分のことを「このようなことは悪行であり、虚名である」とも書かれている野村光一氏の、正直で、自己批判的なお人柄に心惹かれました。
音楽評論家ってのはこうでなくっちゃいけませんね!