急性大動脈解離闘病ブログ

ガラではないのですが、ブログを開設致しました。この病気が発病した時から闘病まで、私が経験したことを書いていきたいです。

せん妄がひどい。

2014年10月14日 | 闘病

手術後、5日が経過した辺りで、呼吸器を外したり、
少しずつ一般的な入院患者の体に近づいてきたが、
とにかく点滴の数がものすごく、常に7個くらいの薬が
投与されている。それだけの数の点滴ともなると、
一本にするための分岐部の大きさもかなりの大きさになり、
パズルのようになっている。

当然、食事が出来る状態ではないので、
点滴での栄養補給のみとなっており、
すっかり点滴によって生かされている格好となっている。

足にはむくみ防止のストッキングを履かされ、
排尿も管が入っているので、ベッドの上から一切動かなくても
一日中過ごせるようになっている。

とはいえ、開胸しているため、胸の痛みはかなりあり、
呼吸による横隔膜の動きだけでもかなり辛いため、
深呼吸などは到底できるものではなく、浅い呼吸を
繰り返してた。看護士さんからは、深呼吸をするよう
促されているが、なかなか呼吸は深くできず、浅い呼吸を
頻繁に繰り返す形で過ごしていた。

来る日も来る日もベットの上で、
疲れて眠る → 目が覚めて天井を見る → 疲れて眠る の繰り返し。
夜間も蛍光灯が煌々と光っているため、昼夜の区別がつかない。
そのせいか、体内時計の狂いも生じているのか、
夜間に眠れない時も多々あり、天井に移る幻覚を目で追っていた。。。

幻覚状態というものを始めて体験したが、
当時の本人の感覚では、幻覚ではなく、実際に身の回りに起きていることという記憶である。
そのため、退院した後などに周囲の人から本当の事実を聞かされて、
幻覚を見ていたことに後から気がつくことが多く、
今もその現実と幻覚との記憶のギャップに驚く。

幻覚とは、私の脳内が勝手に作り出した妄想なのだが、
これが実にリアリティがあり、話の辻褄があっており、
びっくりする。普段から想像力の豊かな人ほど、このせん妄は
ひどいらしく、患者を苦しめる。少しその内容をご紹介しよう。

(ここから記載していることは全て私の脳が作り出した、フィクションです。)

入院中の病院のとなりに、なぜか航空自衛隊の大学がある。
その学校が、本日、文化祭で、お祭りになっている。隣の戸田中央総合病院でも
その文化祭に協力することになっていて、患者さんが自由に行き来できるように
なっている。呼吸器もはずれ、水分を口に含めるようになってきた私も、
このイベントを楽しむ事を許されていた。

夕方になり、学生たちによるライブの音が聞こえてきて、なぜかCOCOBATのCOCOBAT CRUNCHを
永遠に何度も何度も演奏している。敷地内では生ビールなども用意されているため、
そのライブを見ながら生ビールを飲みたいと思っていた。
ただ、入院中の身ではあるので、勝手に出歩くことは出来ない。
面会に来ている嫁に協力してもらい、点滴を引きながら、祭りの雰囲気だけでも味わいたく、
ライブをやっている所に行きたいと懇願するが、「まあまあ、とにかく落ち着いて」と、
ベットから起き上がることも許されない。だんだん腹が立ってきたので、
無理やりベットから起き上がり、立ち上がろうとするも、ベットは柵で囲まれている。
周囲の看護士に制されて、再びベットに横にさせられる。。。

早くここから立ち上がって、ライブを見に行かないと。。。と強く思い、
「大便がしたいので、トイレに行かせてくれ」と看護士に懇願。
その隙に抜け出そうと試みるが、
「大便はオムツの中にしちゃっていいからね。」といいながら、
両手をベットの柵へ縛られる。。。
身動きが取れない状態で、オムツ内へ排便するという、
なんとも屈辱的な行動をさせられ、看護士に対して怒りを覚えだす。

ライブの音は延々となり続いており、私を呼んでいるようにすら聞こえる。
もはや身動きも取れなくなった私は、観念して、眠りにつこうと試みる。
天井を見ると、黄色い線で描かれた幾何学模様がスクリーンセーバのように
常に走り続け、この動きはもはや、瞼の裏に焼きついているかのように
目を閉じても見え続け、睡眠をとることもままならない。。。



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