基本的に「おばあちゃん」は優しい人であると思う。
だれでも大好きだ。
親の母が「おばあちゃん」である。
28歳である僕の祖母は 70歳前後である。
当然 40歳代や 50歳代で祖母といわれる人もいるはずだ。
しかし、僕にいわせれば彼女らは「おばあちゃん」ではない。
まちを歩いているときなどにベビーカーをおす母、祖母とおぼしき
人を見かけるが、なにかがちがう。違和感だ。
どこか生々しいというか、厳しさを感じる。
おそらく「おばあちゃん」としては未熟なのだ。
彼女らに足りないのはなにか?
つまり「おばあちゃん」としての必要条件はなにか?
なぜ「おばあちゃん」は優しいのか?
それは圧倒的な理不尽を体験し、かつそれを飲み込んできたかどうかだと思う。
最近の日本人は冷たいと思う。
あたりまえである。他人に助けてもらう必要がないからである。
つまり自分が困ったときのための保険が不要なのである。
しかし、戦争や病気といった圧倒的な理不尽に直面せざるをえなかった
世代の人たちは、そうではない。
弱いもの同士が、群れをなして荒波に耐えるしかなかったのだ。
大きな悲しみや代償の裏返してとして、「おばあちゃん」は優しいのである。
つまり、便利な世の中にはやさしさは生まれ得ないのである。
現代の祖母には悲しみや理不尽が足りないのである。
現代社会は冷め切っているのである。
つらいときは、どれだけ「おばあちゃん」諭され、助けられたかしれない。
僕の心の温かみは「おばあちゃん」のおかげであるといっても差し支えないかもしれない。
しかし、現代社会において「おばあちゃん」は絶滅の危機に瀕している。
「おばあちゃん」不在の子供たちの心はますます冷めてゆくのだろうか。