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Story of your life and others

キリンは泣かない

2005年03月02日 17時46分04秒 | diary
基本的に「おばあちゃん」は優しい人であると思う。
だれでも大好きだ。

親の母が「おばあちゃん」である。
28歳である僕の祖母は 70歳前後である。
当然 40歳代や 50歳代で祖母といわれる人もいるはずだ。
しかし、僕にいわせれば彼女らは「おばあちゃん」ではない。

まちを歩いているときなどにベビーカーをおす母、祖母とおぼしき
人を見かけるが、なにかがちがう。違和感だ。
どこか生々しいというか、厳しさを感じる。
おそらく「おばあちゃん」としては未熟なのだ。

彼女らに足りないのはなにか?
つまり「おばあちゃん」としての必要条件はなにか?
なぜ「おばあちゃん」は優しいのか?

それは圧倒的な理不尽を体験し、かつそれを飲み込んできたかどうかだと思う。
最近の日本人は冷たいと思う。
あたりまえである。他人に助けてもらう必要がないからである。
つまり自分が困ったときのための保険が不要なのである。

しかし、戦争や病気といった圧倒的な理不尽に直面せざるをえなかった
世代の人たちは、そうではない。
弱いもの同士が、群れをなして荒波に耐えるしかなかったのだ。
大きな悲しみや代償の裏返してとして、「おばあちゃん」は優しいのである。

つまり、便利な世の中にはやさしさは生まれ得ないのである。
現代の祖母には悲しみや理不尽が足りないのである。
現代社会は冷め切っているのである。

つらいときは、どれだけ「おばあちゃん」諭され、助けられたかしれない。
僕の心の温かみは「おばあちゃん」のおかげであるといっても差し支えないかもしれない。
しかし、現代社会において「おばあちゃん」は絶滅の危機に瀕している。
「おばあちゃん」不在の子供たちの心はますます冷めてゆくのだろうか。