1969/04/09に生まれて

1969年4月9日に生まれた人間の記録簿。例えば・・・・

表現の自由、ブチかまし!

2015-07-26 13:24:04 | 雑談の記録
台風12号の接近に備えて今日はおとなしくしているついでに、「言論の自由及び「表現の自由」とやらを実践してみたいと思う。
別に大げさなことではない。ここ最近の安保法案関連の情報に触れて、思ったこと、考えたこと、感じたことを市井の民として整理しておこうと思うだけだ。
けど、これは非常に厄介なことだ。なぜなら市井の民は、日常に忙殺されているため多方面から発せられる「言論」について、その理非を判断するために必要となる時間的、空間的な余裕を持ち合わせていないからだ。少なくとも私には十分ではない。一方で、我々は、いずれその判断を選挙というカタチで自ら行わなければならないし、世論調査のアンケートによりその答えを表出しなければならない。
しかし、判断に際しいつも疑問に思うのは、その判断の根拠とすべき「言説」や「資料」及び「情報」が信ずるに足るモノであるかという点である。だから、「その意見や考え及び方針に賛成か反対か」と問われれば多くは「わからない」が、その判断の帰結になってしまう。しかし、安保法案に関しては「わからない」では済まされないような気がする。

結論から述べる。

私は、安保法案に対し、特に集団的自衛権の行使には反対の立場をとる。
なぜなら、これ以上、アメリカのイヌになるのは嫌だからだ。

まことに、子供っぽい理由であるが、そういうふうに帰結してしまった。
「キサマは現実を何もわかっとらん」と政府寄りの人には言われることだろう。一方、反政府やメディア側からは喜んで受け入れられるかもしれない。ただ、私はこのどちらにも馴染むことができない。それは、今まで彼らに抱いていた違和感が、様々な情報に接しているうちに、以下に述べるような矛盾を孕んでいることに気が付いたからだ。
つまり、政権寄りの改憲派は、戦後アメリカの理念とも言うべき置き土産である現行憲法を「押し付けもの」として忌み嫌う一方でアメリカに対する従属意識を深化させている(アメリカから要請されれば自衛権を行使)。かたや、護憲派は、この押し付け憲法を金科玉条のものしながらアメリカの庇護のもとで経済発展を遂げたことには目もくれずに米国を忌み嫌う(基地反対)。

確かに、我々が得ることができた経済発展の裏にはアメリカの庇護があったことは事実だ。一方で、アメリカの思惑に背いたための政策転換や、大物政治家の失脚もあったと言える。言い方を替えればアメリカの意に沿う形で日本の政策は決定されてきたことになる。そういう意味において「日本は主権国家ではなく、アメリカの従属国です。」と言っているのは思想家の内田樹氏だ。なるほどと思う。

ところで、安保法案反対派に、今回の法案成立によって戦争に巻き込まれるリスクが高まるといった見方がある。一方、賛成派は抑止力が高まるという。また、反対派は現行憲法の下でこれまで一度も武力を行使しなかったことが日本や世界の安全保障に寄与した側面があるという。確かに、日本は戦後70年の間他国から武力攻撃を受けたことはないが、世界の安全保障に寄与しているとは言い過ぎのように思う。むしろ、「戦争を放棄している日本」を上手いこと利用してアメリカが進める戦争の片棒を担いできただけではないかと思うのである。なぜなら、日本にはアメリカ海軍の第7艦隊の横須賀基地をはじめ、佐世保、沖縄に約4万人の兵士を擁する在日米軍基地が展開されていて、ここから戦場に武器、物資、兵力が送り込まれていて、しかもそこには、新国立競技場が作れるほどの年間約2000億円の思いやり予算まであるのだ。アメリカと一緒にやり散らかしてきたというのが本当の姿ではないのだろうか。戦争放棄を美化するのもいい加減にしろと言いたいし、積極的平和主義もクソ喰らえだ!
反米組織からすれば日本もアメリカも同じだ。戦いの常套手段は補給路を断つことで、後方支援部隊などは格好の標的となる。

戦争は力のバランスが崩れた時に起こるとなどと言われているが、発端は双方の理に沿った「正義」と「正義」の衝突だ。そして、一方が負けるとそれが途端に「不正義」となるから、戦争になったらゼッタイ負けてはいけないのだ。肝心なのは負けないうちに終わらせることなのだ。
我々が「終戦」という言葉を使うのは、本当は「敗戦」して「不正義」となっているにもかかわらず「負けを認めたくない」という足掻きのようなものだ。みっともない。

日本は70年前、戦争の終わらせ方を誤ったのだと思う。下世話な例えで申し訳ないが、戦争は不倫に似ている。特に、その終わらせ方という点において、。
最悪なのは、いつまでもズルズルという関係だ。よしんばその関係が終わったとしても、疲弊しきった精神状態の中で社会的制裁や圧力を受けなければならず、さらに配偶者や家族に対する贖罪も必要である。そして、それは一生続くのである。なので、その愛を貫きそれを勝ち取る覚悟が無ければ、不倫はダメなのである。一時の性欲に負ける程度の精神力では本当の「愛」は得られないのである。
戦争に負けておいて「終戦」などと言うのは、一発やっといて「憶えとらん」と言うのに等しいのだ。

さて、幾分脱線した感はあるが、世界の安全保障状況が近年大きく変化しているのは理解できる。これらについていちいち説明しないが、最近の中国人旅行者数の増加やあの爆買といった状況から解放軍の動きを考えると現在の動向はむしろ「大人しい」のではないかと思えてしまうのである。中華思想として、沖縄を含めた日本列島は海洋進出における目の上のたんこぶであることは間違いないく、さらに最近のアメリカの凋落(とは言っても強国)ぶりを背景にしながら、13億人の民の欲望を満たすため虎視眈々とコトを進めなければならないことも十分理解できる。しかし、目の前に迫りつつある経済崩壊と長年続く一党支配の軋みのせいで実のところ二の足を踏んでいるのが現状のような気がするのだ。解放軍に聞いた訳ではないが、領空領海侵犯も大国としてのメンツ確保が目的なだけで、本当はいっぱいいっぱいなのかもしれない。この予想を平和ボケと言われるかもしれないが、現時点においてアメリカの属国である日本と有事になることを中国は望んでいないように思うのである。
一方、北朝鮮については、彼らの立場では未だ戦中であるため、手をこまねいていればリスクは増大し続ける。

同盟は2国間の対等な関係が基本だ。しかし、日米安保条約におけるアメリカ側のそもそもの思惑は、ウィキペディアにも記載されているとおり「日本の軍事大国化防止」で、すなわち「日本の丸腰化」が当初の目的だったと思うのだ。一方、経済復興を果たしたい日本にとってローコストの安全保障は渡りに船だったワケで、この2国間における関係は対等などと言うのは嘘っぱちで、最初から不純異性交遊なみのの汚れた関係だったのだ。それを今更「友情」などと表現されても、聞いてるこっちが恥ずかしくなってしまうのである。
本当の筋論は、アメリカの庇護から独立した上で集団的自衛権を我々の意志で認めることではないだろうか。今騒がれている安保法案における集団的自衛権の行使は、凋落気味になりつつあるアメリカを忖度した、言うなれば「お節介」のようなものであって、アメリカの本音は有り難迷惑のような気がしてならない。恐らく、結局のところ、安保法案は日本の国益というよりアメリカのいいとこ取りで終わってしまうのではないだろうか。要請があれば出撃しなくちゃいけなくなってしまうのだ。

「安倍政治を許さない」というプラカードを掲げてシュプレヒコールを上げている一派が、所詮アメリカを利する法案に過ぎないと明け透けに言うのであれば、こちらとしても非常に理解しやすいのであるが、それを「戦争法案だ!」だの「反民主主義だ!」だのヘイワを前面に押し出した物言いで反対行動するものだから興醒めここに極まれりなのである。

言っておくが、自分は戦争を微塵も望んではいない。戦争は殺し合いなのだ。絶対に反対だ。しかし、リスクがある以上、それに対する備えが必要であることは論を俟たない。自国は自国の力で守る、それが国家の基本だ。
「アメリカさん、最近、中国と仲いいっすよね。だけど、中国って我々にとっては目障り極まりない存在ってのもわかってますよね。中国のチョッカイもいい加減にせぇと言いたいんやけど、コッチの台所事情もあって太刀打ちできるほどの準備もできんのですわ。いやいや~、アメリカさんの事情もよ~くワカッテますよ、我々は。そこで、どうでしょう、アメリカさんに何かがあった折りにはお手伝いしますんで、もう少しばかりにらみを効かせてもらえんかと、、、。そうしてもらうと、ホント、助かるんですわー、、。え~え~、もちろん今までのご恩も忘れちゃぁおりません。ですんで、さらなるご奉公というカタチでお手伝いをさせてもらえばそれで結構ですんで、、。それでよろしいでしょうか。」
自国の力だけで国を守れないのが実情でありながら、その力量不足を補うために集団的自衛権を容認するというのが自分にはうまく理解でいないのだ。つまり、家に居ながら売られたケンカに対して自力で太刀打ちできないくせに、外のケンカにはでしゃばるというのである。

今、我々に必要なのは個別的自衛権での切れ目のない対応ではないのだろうか。ともすれば、それは東アジアにおける軍拡競争に繋がる危険性を帯びるものであり、いずれチキンレース的結末を迎える可能性もある。
しかしだ。そのチキンレースのスタートと集団的自衛権の行使による第三国や公海上における戦闘に巻き込まれる時期を考えると、「正義」の線引きが難しい戦闘のほうがはるかに早い時期に訪れるに違いない。アメリカはずっと戦争をし続けている国なのだ。
一旦、参戦したが最後、そこから抜け出すことは極めて困難で、そのスキこそが日本の安全保障上の最大のリスクになると思うのだ。

自分が金正恩の立場だったら、そのときこそが千載一遇のチャンスと捉えてミサイルの発射ボタンを押す。何故なら一撃必殺こそが戦争の始め方で終わらせ方だからだ。

あえて不倫に喩えることはすまい。
世の中、甘くないのだ。
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ネオンとマエタテ

2015-07-01 23:34:06 | 雑談の記録
フェイスブックの「友達」がもうすぐ200人に達しようとしているけど、よっぽどでない限り自ら友達申請はしないということを基本姿勢としている。なんでかっていうと、そういうのは本当に面倒くさいと感じているからで、それはLINEについても言えることだ。スマホを買い換えたときなんか、こりゃ幸いと一度LINEをやめたのだけれど、多方面からの圧力に屈して現在はとりあえずアカウントを有しているといアンバイだ。

最近は「絆」とか「繫り」だとかを大事にしなければ一人前として認められないとかいう子供っぽい空気が漂っている窮屈な社会なので、こういったことは仕方のないことなのかもしれない。

知りたい情報はこちらから取りに行くし、時には知らぬ権利も行使したいと思っている。だから、諸々の情報に疎くなっている自分に対して、鬼の首を取った如くの勢いで最新情報をお節介して頂く必要など全くないのである。しかも、SNSを利用して。

他方、自分は「リア充」してる人々の情報に触れるのは結構好きなわけで、その「リア充」的要素が自分の信条及び思想に反していたとしても、時には「いいね」をしてしまうことがある。だって、その人なりの一生懸命には敬意を表したいし、自分と異なる考えがある時に新しいアイディアの発芽になったりするからだ。いい人ぶって大変申し訳ないがそう思ってしまうのである。

最近、国会やメディア及びFBのフィードは、「安保法案」でかまびすしい。特に、FBのフィードでは右翼的、左翼的な友人たちが双方にとって都合の良いニュースソースや情報をシェアする形で論陣を張っている。
自分は、どっちもどっちだなと思ってしまう。どっちも偏り過ぎていて共感することはできないし、双方の侮蔑の感情を露わにした或いは内包した言論に触れると、どうしようもないモヤモヤ感が湧き上がってくるとと同時に、双方に理解が生まれことはこの先ないのではないかと思ってしまうのである。なんでかって言うと、極端な人にとっての幸せは、対極成分の排除に他ならないからだ。
そして、自分が怖いなと思うのは、こうした極端な人たちの言説によっていつの間にか大多数の人達がそのどちらかの色に染まっていくかもしれないといことなのだ。加えて、本当に極端な人達は狡猾だったりするからなおさら注意が必要なのだ。

十人十色と言われるように、10人いれば10の考え方があっておかしくはないし、むしろ、それが普通と心得るべきだと思う。そして、我々人間の思考回路というものは、外的・内的環境に大きく依存して形成されるため、そこに地域性や帰属性あるいは時代性と言った違いが生じるのは仕方のないことだと思う。だからと言って、その地域性・帰属性・時代性によって異なる信条や価値観を宿した人々を侮蔑・排除して良いわけがないだろう。一方、我々は感情の動物であるが故に、いったん出来上がった思考回路に支配された「好き」「嫌い」を仕様変更することは極めて困難であることも忘れてはならない。

この相反する心的事象はその昔の時代からあったに違いないはずで、これに折り合いをつけるための手段として先達が編み出した良策が「Honne to Tatemae」だったのではないだろうか。

「本音と建前」である。

そして、この使い分けに苦渋するそんな姿こそが良識ある「大人」の証ではなかったのだろうか。昨今を翻って、果たして「本音と建前」をキチンと使い分けしている人々はどれだけいるだろうか。本音ガチ丸出しの芸人及び政治家、言論人に鑑みると、「子供っぽさ」あるいは「若さ」といったものが時代の要請なのではなかろうかといった錯覚に陥りそうになる。

ところでお前はどうなんだと問われれば言葉に窮する始末である。
しかし、よくよく考えてみると「大人」とは到底言えない15年程前の30歳前後まで、私は「本音と建前」なるものを然したる理由もなく嫌悪していたように思う。いや、嫌悪することが正義でそれが出来る人間がイケてるタイプと勘違いしていたような気がしないでもない。今思えば、周囲を傷つけながら反省もないという極めて尖った人間だったかもしれない。それでズイブン損をしたように思う。
最近、団塊世代以上の先輩諸氏に「変わったねぇ」「丸くなったねぇ」とよく言われるが、「てめぇ、オレの何を知っててそんなこと言ってんだコノヤロォ、てめぇが鈍くなったんじゃね」のような返答は一切しないよう心掛けている。酒の席でさえ異なる意見に対し「おっしゃることを理解するのにはまだまだ勉強不足のようです」と必死に切り返している。うん、ある意味ホントに丸くなったのかもしれない。

ただ、それよりさかのぼること15年程前の思春期時代はどうだったかと言えば、漠然と「大人」に憧れていたように思う。このことは、以前、このバカブログでも何度か触れたことのように思うのだけれど、その憧れの対象となっていたのが、「金妻シリーズ」に出ていた古谷一行だ。そして、「不倫」が市民権を得るに至ったそのドラマで、古谷は当時40歳前後だった。ドラマの内容はともかく、当時の私はそのドラマを見ながら思ったものだ。
「40男、かくあるべし!」
そして月日が過ぎた。いつの間にかその古谷の年代も既に過去のものとなっているではないか!。ここでハッと気がつくことがある。
今の自分と比べて、当時の古谷のほうがよっぽど「大人」びていると感じる。これに気がつくと「太陽にほえろ!」の七曲署の当時の主要メンバーと現在の自分の関係が気になりだすのだが、答えは、ほぼ同年代!若しくは年下!。殉職時のゴリさんにいたっては40歳の若さなのだ!
ゴリさんの持つ大人感!あの信頼感や強さが自分には備わっているだろうか。

自分には、全くもってこの大人感が欠如しているではないか!。微塵も無い。かと言って、昨今の40過ぎのジャニーズグループのような若さ感もない。そもそも、自分がゴリさんのような大人感を保有していたら、このようなバカブログはやっていないはずだ。今日の難事は今宵の酒とともに遺却するのが本当の大人の姿というものなのである。

ここで、現代の大人を探すとしよう。
やはり思い浮かぶのはキングカズとイチローだ。スポーツ選手ではあるが、その二人に共通するのは、いつまでも自身の技術を磨こうとする職人気質だ。いつの時点でかわからないが、彼らの顔は「大人」に変容した。
彼らが「本音と建前」を上手に使い分ける大人かどうかは別にして、「好き」「嫌い」に依拠した争いや「言った」「言わない」の揉め事を彼らが上手く治めてくれるような気がするのは自分だけであろうか。

子供の争いを止めるのは大人の役目である。

レッドデータブックには今のところ「大人」についての記載は無いようであるが、絶滅に瀕しているのは間違いない。

無用な争いを止めるためにも、この世から「大人」を消してはならない。













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効果は発揮できるか!?

2015-06-18 11:57:53 | 高校野球の記録
6月も中旬。今日は、熊本県の予選抽選会だ。今季、濟々黌の野球部は目立った戦績を残せずノーシード。野球部関連で目立ったと言えば、OBの大竹投手の東京六大学春季リーグ戦、続く大学選手権での優勝だろう。実は、昨日、彼の最終便による帰熊に合わせ空港で娘と「出待ち」を敢行し、お祝いと共に野球部への気合い入れをお願いしたのだった。
そんなワケで、大竹投手としても母黌の野球部については杞憂のはずで、夏大会を控えたチームに発破を掛けることも今回帰熊の大きな目玉であることを私は切に期待しているのである。
折しも、本日は抽選会の当日だ。今日、大竹投手が母黌のグラウンドに行くかどうかはわからないが、発破掛けにはもってこいの日である。天気が良ければなお良し。

さて、愚息の状況はどうかというと、部活、学校にもだいぶ慣れてきた様子。
ただ、いろんな決まり事が多方面からの圧力によりズイブン緩くなったとかで、拍子抜けの感もチラホラ。新入部員は総勢42人で、県内公立高校ではNo.1ではないだろうか。巷ではこれを「大竹効果」と呼んでいる。今のところ落伍者ゼロ。

ただ、戦績としてのこの効果判断は今のところ未知数。
しかし、1軍の練習試合(A戦というらしい)に一年生の3選手が出場しているところを見ると、選手層に厚みがでたのは確かだと言える。

ちなみに、一年生の3選手に愚息は含まれておりません。受験が終わりようやく体力が戻ってきたところで、2軍戦(B戦というらしい)で内野手として先発出場しておりソコソコの活躍だとか。

そんなワケで、いろんな意味で「大竹効果」に期待したい夏の大会なのである。

頑張れ頑張れ濟々黌!
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座談会報告

2015-04-23 21:13:43 | 高校野球の記録

過日の堀内恒夫議員を囲んでの座談会は約1時間という短い時間であったが、木原が進行役となり野球について多岐に渡って話し合われたのだった。

そして、翌日の夕刻、ヤーテツを介して木原事務所から座談会で話し合われた内容について一つ二つまとめてもらえないかという旨の連絡があった。以下、ソレを記録するが、この文章が自民党本部に報告書として提出されたらしい。昼休みにチャッチャと書いたのだけれど、もっとオフレコ的なことを書いときゃよかった。


子供を取り巻く環境について
参加者
近年、子供の野球や外遊びを取り巻く環境は悪い。公園等は整備されているが、キャッチボールなど「危険」なこととして禁止されている状況にある。また、放課後や休日の学校においては非常用等の小門は施錠されていないが、正門扉は閉鎖されている状況など子供たちから「遊び場」を遠ざけている。
これは我々社会が安全安心(危険回避や責任逃がれ)を強く指向している結果であるが、野球の普及、発展や子供の健全な発達について考えると、これは由々しき状態と言えるのではないか。
堀内氏
確かに、現在の社会要請と本来子供に与えるべき環境は相反している部分があるのは事実である。解決策の一つとしてキャッチボール等の遊びをやっても周囲に危険が及ばないような施設を整備するなども考えられるが、財源や維持管理等の問題をクリアしなければならない。その時にはやはり地域の協力が必要になってくるのではないだろうか。

野球界について
堀内氏
中学生の硬式野球について、それを実施している連盟が多数あるのをご存知だろうか。ボーイズ、リトルシニア、フレッシュ、ヤング、ポニーなどがあるが、それぞれのルールには微妙な違いがあり、数年前までは連盟をまたいでの練習試合や交流戦も禁止されていた現状がある。
参加者
確かに。軟式野球と硬式野球についても同様で、両者間には深い溝がある。また、各連盟間におけるコミュニケーション不足が互いの敵愾心をあおる場面すらあり、このような構図がチーム間やチーム内における常態化した各種問題発生の悪しき手本や遠因となっているような気がしてならない。
堀内氏
それは、野球界における昔ながらの「オラが主義」あるいは「オラが1番」の結果かもしれないが、根本は野球界には本当の意味での統一組織が存在しないということと考える。1960年代の柳川事件をきっかけとしたアマチュア野球界とプロ野球界の交流断絶が、50年を経た近年、ようやく雪解けを迎えようとしているが、未だ多くの問題をはらんでいるのが現状である。
2020年の東京オリンピックを控え、日本としては野球の復活を目指さなければならないところであるが、そのためには日本の野球界が一丸となって取り組む必要がある。
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元巨人軍監督の堀内恒夫氏と

2015-04-22 22:24:33 | 雑談の記録
去る一週間ほど前、高校の時の同級生で野球部エースだったヤーテツから電話があった。

18日の午後3時30分、時間が空いているならテルサの「八雲の間」へ来てくれという内容であった。
同級生で衆議院議員の木原が主催する「みのる塾」に講師として堀内恒夫参議院議員が来るのだが、講演会の後に済済黌の野球関係者を10人前後集めて座談会をすると言う。

了解し、当日当時の15分前に「八雲」の前に立った。
部屋の前には「みのる塾」と書かれた案内板があった。
入口には一組の黒靴が礼儀他正しく置かれていた。

おっ、ヤーテツが先に来てるのか?

「チェースッ」
と言いながら戸を引いた。

15畳ぐらいの縦長の和室の中ほどに居たのは、ナント堀内氏本人だった!。

反射的に戸を閉めてしまった。

すると、部屋の中から

「構いませんよ、どうぞ、どうぞ、入って下さい」
間違いなく堀内氏の声だった。

それから、他の参加者が来るまでの約15分、堀内氏と二人っきりの会談になってしまったのだった。
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NHK旗市内予選 濟々黌VS国府 雑感

2015-04-13 08:00:53 | 高校野球の記録
同級生の満枝君のリクエストにより本日の観戦記を酔った勢いで記録しておこうと思う、と、その前に午前中のジムカーナイベント参戦記。
結論から言うと、前回大会より2秒以上の短縮で午前中の順位は50台中、12位と善戦できた。イベントは午後も続きましたが、野球観戦のため一路、国府グラウンドへ。

到着すると、国府が試合前ノック中。ナントカ間に合った。

実は、昨日の九学戦の後、息子と国府グラウンドに赴き練習を視察したのであった。

なので、本日の本当の見所は、終止リラックスムードの春大王者に対し失うものは何も無い済済黌の捨て身の攻撃が期待されたのであった。

さてさて、野球の楽しむ醍醐味の一つが、試合時の気象及びグラウンド条件がゲームの流れに対してどのような影響を及ぼすかを想像することだったりする。昨日の文徳グラウンドは谷筋を上った台地の中腹にあり上空には吹上の風が吹きやすく打球は見た目以上に伸びる。文徳グラウンドで本塁打が出やすいのはこの理由による。そして、外野手の守備がカギだったりする。

ひるがえって今日の国府グラウンド。三塁線からライト後方への強風だった。従って、右打者の逆打ちが有利となる状況下なのであった。ディフェンスの立場からすると右翼手がカギ握るカタチ。

そして、試合開始。国府の投手は春大防御率No.1の左腕。実は、自分、春大の準々決勝の国府vs秀岳館を観戦していた。その好投ぶりから、済済打力は取れても2点、運が良ければ3点といったところだった。

一方、済済黌の先発投手は昨日、主戦だった緒方投手。昨日は6回に九学打線につかまっていた。疲労もあるはず、期待は精神力。春大の背番号10からエースナンバーをゲット。エースとしての意地発揮が最大の見所だった。
試合経過については今日の実況を参照されたい。国府の地の利を生かした右打ちに対する緒方投手の粘投は本当に素晴らしかった。

潮目は7回裏。同点に追いつかれた一死二塁の場面。九番打者の強い打球はファースト正面!最後のバウンドがイレギュラーし、一塁手の肩をかすめて右中間方向へ。ボールは右翼手の一塁カバーとは逆方向へ転がったのだった。
この間、打者は一塁を回ったところで転倒するも二塁走者が帰塁して逆転。終盤におけるグラウンドの荒れ具合が勝負のアヤとなったのであった。

野球ってオモロイ!
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NHK旗市内予選 濟々黌VS九学 雑感

2015-04-11 11:58:12 | 高校野球の記録
酔った勢いで、高校野球フリークの立場から今日の済済黌vs九学の試合について思うところを記録しておこうと思う。

先ず、今日の見所整理。

済済黌は春季大会2回戦で有明高校に対し主戦3投手が打ち込まれ、反撃の糸口もつかめないままコールド負け。なので、センバツ帰りの九学相手にどのような立て直しで試合に望むかが大きな焦点なのであった。また、夏までの試合経験を積むためにはこのゲームには是が非でも勝利しなければならなかった。

一方、九学はというとセンバツで大敗、済済黌と同様チーム立て直しが急務。特に、精神面での成長が必要な場面。夏に向けて一皮向けるためには控え選手達にも経験、自信をつけてもらいたいところ。それと、高校野球ファンとしては新人1年生のスタメン起用があるのかないのかというところであった。

蓋をあけると、済済黌は春季大会1回戦及び練習試合で好投していた投手が先発し、捕手の2年生を含め2年生が5人という布陣。一方、九学はセンバツでは2番手投手だった選手がエース背番号で、ライン沿いの選手もどちらかというと控えメンバー。そして、1塁手には1年生。

結果は序盤の九学の守備乱と制球難に乗じた大量得点で済済黌が逃げ切った形。しかし、両軍とも夏に向けてチーム成長を期したガチンコ勝負であることに間違いなく3投手を投入。打撃に関しては九学が圧倒するも守備の正面をつくことが多かった。しかし、これは済済黌投手陣の気持ちが優っていたからではないだろうか。
ただ、観戦していた者の率直な感想は、済済黌は勝ちこそすれ勝った気分にはなれないない薄氷を踏む試合展開なのであった。

明日は、春季大会優勝校の国府高校との対戦。
両陣営とも、どの投手陣で望むのかというのが見所になる。
自分としては有明に完敗した投手陣に奮起してもらいたい。そして、国府は主戦2投手が果たして登板するのかどうかだろう。
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いよいよ高校野球

2015-03-31 16:43:46 | 高校野球の記録
本年度も今日で終わり。
一年前、息子は病院から退院し、ようやく日常生活ができる程度に回復した頃ではなかったか。
あれから一年、早いものだ。

いよいよ、息子も高校生だ。もちろん野球は続ける予定だ。
進学先は熊本では一応進学校ということになっている濟々黌高等学校だ。
私の母黌であり、手前味噌だが野球部も含め「名門」である。
最近では平成24年の夏と25年の春に甲子園に出場している。

志望校についてブレはなかったかと言えばウソになるが、志望校を強く決定づけたのは、やはり、甲子園出場を果たした大竹投手(現早大野球部)と直接会って話をしたことだろう。中2の晩秋だったと思う。

ただ、その頃の本人の学業成績はどうだったかというと、それほどかんばしいものではなく、相応の努力が必要な状況であった。

そして、中3になった春、彼は全てにおいて自信を無くしていた。
無理もない。野球に復帰できるかもわからない、そんな状況だったからだ。

親として、ここで野球を諦めさせ、受験のために勉強をさせるという選択肢もなくはなかった。
復帰できるかどうかもわからないたかが少年野球のために、リハビリやトレーニングに時間や金を割くことは、バカバカしいことだと見られるムキがあったことも事実だ。

だが、我が家の選択は、結果がどうなろうと、とにかくシーズンが終わるその日まで野球をちゃんと続ける、そして、その後、受験勉強に邁進する、というものだった。
実のところ、親としての本当の心配は、野球を中途半端で終われば、その後の受験も中途半端で終わるかもしれないということだった。

ただ、受験勉強が本腰になったのは晩秋~暮頃だったように思う。
成績も一進一退で、志望校がどうにか射程圏内に入ったのは年明けだった。

息子は近所の私塾に通っていて、同じ志望校で野球をやっていた友人が少なからずおり、彼らと切磋琢磨することは彼の楽しみでもあったようだった。
しかし、願書提出日が近づくと、それまで同じ目標で頑張っていた友人たちの多くが志望校を下げはじめ、結局、中学から濟々黌に願書を提出した男子は息子一人だけになってしまった。

そういう友人の選択に対して息子は何一つ語らなかったが、その無口な様子が彼の心情を雄弁に物語っていた。一緒に頑張る仲間がいなくなったことを心配したが、それは杞憂だった。
例え一人になっても最後の最後まで諦めない。それが一匹オオカミの宿命だった。

合格のお祝い(次女は県立大学に合格)として、家族旅行で週末USJに行ってきた。
そして、甲子園で選抜高校野球ベスト8戦(準々決勝)4試合を観戦した。

いよいよ、息子の高校野球が始まる。
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中学硬式野球 終了

2014-08-25 23:18:27 | 中学硬式野球の記録
昨日、愚息の中学硬式野球が(ボーイズリーグ)終わった。
鹿児島で行われたフレッシュリーグの招待試合、三回戦が最後のゲームとなった。1-0の完封負け。相手は福岡のチームで左投手は注目選手のようだった。甲子園常連校の監督さんがその投手をめあてに来場していた。そんな好投手を相手に愚息は2三振。これが、中学野球最後の成績だ。まぁ、そんなもんだろう。

とにかく、愚息はこの三年間、怪我がホントに多かった!
中学入学前に右肘のケガで3ヶ月間ノースロー。その後、新チームに入ってレギュラー獲得も、デビューすぐの試合で死球による右足腓骨の骨折。
秋に復活するも、年が明ける頃にはダイビングキャッチで腰椎分離を発症。3ヶ月のコルセット生活で完全復帰には4~5ヶ月を要した。いよいよ最後のシーズンとなり秋までは好調子だったが、暮頃から原因不明の手首痛を発症し、そして、最後は、やはり腰椎分離症に関連した強度の腰痛による緊急入院。突然の痛みで歩行困難となり救急車での搬送だった。それが、今年の2月の末だった。
腰のCT画像や本人の状態から、「終わった」と思ったのは事実だ。
退院した夜、それまで平静を装っていた愚息が、ボロボロと泣き出した。もう、自分はどうなるかわからない、不安で不安で仕方がない、そんなことを訴えながら数時間、愚息は泣き続けた。
私だって泣きたかった。カミさんはチームの事務局兼婦人部長、私は保護者副会長という立場で苦労も多かった。なんで、こんなことに!グチの一つや二つもこぼしたかった。
しかし、泣きじゃくる愚息を見ながら思ったことは、「俺たちが、野球で学んだことは、最後まで諦めないってことだろ。」
復活までの過程については、改めて記録するつもりなのでここでは省略するが、6月の全国大会の地区予選には8番ライトでスタメン出場を果たした。愚息の復帰とともにチームも上昇気流乗ったかのようにそこそこの成績を収めることができた。
練習試合では柵越えも放ち、本戦では長打2本を含む3打数3安打も記録するなど、周囲に完全復活を印象付けた。

そして、昨日の3回戦が最後のゲームとなった。

試合終了後、保護者の前に並んだ3年生選手の多くは泣き顔だった。キャプテンが涙声でお礼の挨拶をすると保護者の多くも目頭を押さえた。

しかし、不思議と自分は冷静だった。愚息もそのような様子で破顔している雰囲気すらあった。

夜は家族で近所の居酒屋に行った。
焼き鳥のクシを頬張りながら愚息が言った。
「三年後の今日は、オレはまだ甲子園に残ってるよ」
今回の大会では高校用のバットを使っていた。
そう、我々の目標は甲子園優勝なのだ。

「遼太郎、もし、お前が甲子園に行ったら、そんときは、応援バス一台くらいはチャーターするけんね、そんくらいせんと今まで世話んなった人達へのお礼にならんど!」
私は、ジョッキを煽った。

「アタシは、新幹線でイクけん」
鉄道好きのカミさんの主張だった
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選挙バカの詩×31『重き一票』

2013-06-30 21:46:15 | 雑談の記録
 永田夫妻の自宅は昭和に乱開発された住宅地の一角にあり、大通りから奥まった所にあった。道は大変狭く車を止めてドアを開けると、それがブロックの壁に当たるような狭さだった。

 家には軽乗用車を駐める程度の駐車スペースがあったが、最近そこに車を駐めた気配はなかった。そして、家やブロック塀に据え付けられた真新しい手摺が、住人の体の不自由を主張しているようだった。

 僕は磨りガラスに格子が入った引き戸の前に立つと呼び鈴を押した。返事は聞こえなかったのだが、引戸の向こうには明らかに人の気配を感じた。もう一度呼鈴を押して三原事務所から来た者だと告げると、すぐに返事が帰ってきてガチャガチャと忙しそうな鍵を外す音が鳴って引戸が開けられたのだった。

 目の前にオモチャのように小さいおバァちゃんとおジィさんが現れた。二人は迎えが今か今かとと玄関前で息を潜めて待っていたのであった。おジィさんは玄関に腰を下ろしていたが、既に靴を履いていた。おバァちゃんはファーの付いた白いダウンのコートに黒の帽子を被り精一杯のおめかし姿だった。

 おジィさんは一人で立ち上がることが困難だった。待っていた時間が長かったせいかもしれない。僕は介護の経験はなかったが、とにかく、このおジィさんを立たせなければならなかった。玄関から道路まではすぐなのだが、段差は数カ所あり、このおジィさんを抱えながらの数mが途方もない距離に思えたのだった。

 おジィさんは片方の手でしっかり僕の腕を掴み、もう一方は杖で自身の体を支えた。その全くおぼつかない足取りで体をゆっくり前に進めながら、そのおジィさんはしゃがれ声で念仏のように言うのだった。

 「ありがとうございます、ありがとうございます、ありがとうございます、ありがとうございます、、、」

 おジィさんを車に乗せるクライマックスの瞬間も「ありがとうございます」だった。車に乗ったあともそれはしばらく続いていた。
 しばらくすると、そのおジィさんに代わって、おめかしおバァちゃんがおジィさんの体の具合を説明するのだった。車を進めると、おバァちゃんは路地の抜け方を教えながらご近所さんの話や、ここは散歩道だの、ここがリハビリの病院だの、ここがグランドゴルフの広場だの、ここが郵便局だのを一生懸命説明してくれるのだった。

 僕はこの路地に入ってきた当初、無造作に開発されたその入り組んだ住宅地について毒づいたのだが、おバァちゃんの話を聞いているうちに、この何の変哲もない町がこの老夫妻にとっては大事な「ふるさと」であることに思い至ったのだった。

 そして、主人がどうしても三原候補に投票したいというのだが、このような状態で途方に暮れていたところに、わざわざ来て頂いてありがとうございますと感謝するのであった。
 
 突然、おジィさんが思い出したように言った。
 「誰だったかね?、誰だったかね?」
 おバァちゃんが言った。
 「ミハラさん!、ミ、ハ、ラさん!」
 「そうだった、三原さんだった、、三原さん、三原さんはイイ人だもんなぁ〜、そうそう、三原さん、三原さん、、、」
 そして、しばらく念仏のように「三原さん」を続けるのだった。
 また、突然、おジィさんが言った。
 「何だったかね?何だったかね?」
 おバァちゃんが言った。
 「民自党!ミン、ジィ、トーでしょ!」
 「そうだった。民自党、民自党、民自党、、、」
吉本新喜劇も顔負けの真剣なボケとツッコミに、僕は安全第一の運転を心がけたのだった。

続く、、、
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選挙バカの詩×30『重き一票』

2013-06-28 20:52:03 | 雑談の記録
 選挙戦は終盤に突入していった。そして、我々にとっての最終兵器がいよいよ投入されたのだった。東京から持ち込まれた「サヨピン」だ。と言っても「サヨピン」は自らの意志で熊本にやって来たのだが、その小型犬のような可愛らしさと気さくな語り口、そしてなんと言っても笑ったときの口元のチャーミングさが、前回選挙で年配先輩達から絶大な支持を得た大きな理由であった。

 夕刻、事務所に出向いたときのことだった。サヨピンファンクラブ会員番号No.1の野間口先輩がテーブルを挟んでサヨピンと話し込んでいた。サヨピンは困惑気味の表情だった。ファン会員の無理なお願いに困っているのかと思い心配になって二人に近づいた。ところが、話を聞いてみると無理なお願いというか相談をしていたのは彼女のほうだった。

 電話作戦による支援依頼をしていたところ、投票に行きたくても主人の足が悪いためにどうしたらいいだろうかという相談を受けたとのことだった。詳しく聞くとその夫妻はかなりの高齢の様子で、老老介護で投票所に向かうのは困難な様子だった。

 サヨピンも相談を受けたもののどうして良いか判らず、電話の向こう側の高齢女性の長い話に耳を傾けるだけだったそうだ。だが、彼女のなんとかしてあげたいという気持ちが十分伝わってきたのだった。

 僕はその老夫妻の住所をサヨピンに聞きいた。なんと、会社から車で僅か10分足らずの距離だった。
 「、、明日なら、連れてってやれるかも、、特別な予定はないし、、でも、、できれば午前中の早い時間、、9時くらいがいいかな〜、、サヨピン、、悪いけどそのばぁちゃんにもう一度電話してみてくれない、、」
 彼女はすぐに電話を掛けたが、また、その話の長いこと長いこと。何から何まで話さないと気持ちが収まらないやかましいタイプの老婆だなと思うと億劫になったがサヨピンの丁寧な対応に負けてはいられないと思ったのだった。

 結局、その老主人のリハビリの時間の都合で翌日の午後1時過ぎに伺うことになった。
 そして、高齢先輩夫妻を投票所に案内したあと、自分のウォールに任務完了の知らせを老夫婦と一緒に撮った画像と併せて投稿したのだった。
サヨピン!任務完了しました!  S23年卒の永田先輩と奥様を期日前投票にご案内してきました!  仕事の合間をぬって車を出しただけだけど、こんなに人に感謝されたことは生まれて始めてだよ!たかだか数10分の出会いだったけど、貴重な時間だったよ!  いろんなお話しができました!  奥様が、昨日、電話を取り次いでくれた女性にくれぐれもヨロシクとのことでした!  この票は重い!泣!。コメントが返ってきた。

吉末 武志
ご苦労様です〜そんな積み重ねですよね〜 
12月14日 15:08 〓 いいね!を取り消す 〓 4

藤谷 千晶 あ~♪ 
昨日の先輩へのフォローをしてくれたんだね!!さゆぴんが、すっごく優しく対応してたのと、東くんの行動力♪素敵な仲間達に、改めて感動!!
12月14日 15:17 〓 編集済み 〓 いいね!を取り消す 〓 8

林 優雅
東センパイ、良い表情!!充実感みなぎっておられますね☆
12月14日 15:19 〓 いいね!を取り消す 〓 8

山口 浩司  
(*^ー゜)b グッジョブ!!
12月14日 15:35 (携帯より) 〓 いいね!を取り消す 〓 7

谷垣 征一郎
いろんなドラマを作ってるね。頑張って!
12月14日 16:23 (携帯より) 〓 いいね!を取り消す 〓 7

田中 聡子
さゆぴんも東くんも、さすがだなぁ… 感動して、ちょっと泣きそう(T_T)今日は電話口で先輩方から沢山激励されて泣きそうだったのに、さらに涙腺がゆるむ…
12月14日 18:38 〓 いいね!を取り消す 〓 7

東 英介
このご夫妻はね、子供がおらっさんでね、ミハラのことをね、息子か孫のように思ってるんだよ。「もう私どもは死ぬばっかりですが、キハラさんに託したいのです」・・・泣き!・・・「今度、三原さんと一緒に遊びに来てください」って・・・超泣き!
12月14日 18:43 〓 いいね! 〓 11

田中 聡子
ちょっ、夕飯の支度中に泣くよ…(T_T)
12月14日 18:46 〓 いいね!を取り消す 〓 6

谷垣 征一郎 そら、イイ報告をしにいかなくちゃね
12月14日 18:46 (携帯より) 〓 いいね!を取り消す 〓 5

松 さゆり
電話をした張本人のサヨピンです!私のお願いを聞いてくれた東君、本当にありがとう♪夜に事務所でミッション完了の話を聞いて、感謝、感激!とあまりの面白さで涙がチョチョギ出ました(^^)/今日の欽ドン賞、決定!東君、サイコー♪
12月14日 21:39 〓 いいね! 〓 6

谷垣 征一郎
欽ドンと来たか……オリの分も頑張って来てちょ。
12月14日 22:21 (携帯より) 〓 いいね! 〓 3

松 さゆり
は〜い(^^)dびっ微力ですが、ガンバリます♪
12月15日 9:40 〓 いいね! 〓 2

野間口 剛
あぁ昨日のあの話ですね。そばにいて東君の素早い行動力には驚きました。それとサユピンさんは人使いが巧みですな〜。
12月15日 14:49 〓 編集済み 〓 いいね! 〓

続く、、、
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中九州支部予選準決勝戦

2013-06-22 22:28:16 | 雑談の記録
残念ながら先週行われた中九州支部予選大会は準決勝敗退でした。

HP管理者として、今回の大会では動画撮影を試み、以下のような2分半のムービーを作ってみました。

中九州支部予選準決勝戦
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選挙バカの詩×29『過去の戦い』

2013-06-14 22:12:08 | 雑談の記録
 前回の第45回衆議院議員選挙は二〇〇九年の夏に行われた。当初、この衆議院選挙は、当時の阿曽首相の人気を背景として二〇〇八年の秋に行われることが支配的な雰囲気であったために、現職だった三原代議士はその年の夏に選挙事務所を開いたのだった。そして、それと同時に黄壁城高の有志の会による後援会活動も始まったのだった。

 しかし、その後の阿曽首相の資質問題等に関連した民自党に支持率低下に加え、アメリカ合衆国のサブプライムローン問題に端を発した経済低迷に対処するための補正予算成立を先決として、選挙は先送りされたのだった。
 これによって、有志の会による後援会活動は出鼻を挫かれるかたちになったのだが、準備期間を必要とする我々にとっては先送りはむしろ歓迎される出来事であった。しかし、三原陣営にとっての先送りは、他の民自党候補と同様に、事務所費の増大やその後引き続いたの民自党の支持率低下を招き、約一年後の不利な選挙戦を強いられる結果となったのだ。

 勝山をはじめとする有志の会の同窓生は、毎週木曜日に事務所に集まり、政治情勢や後援会体制作りについて話し合い来るべき決戦の日に備えたのだった。しかし、解散と言われなが時間だけがいたずらに経過していく中で活動のモチベーションを維持するのは困難なであった。中だるみ的な時期もあった。だた、時間の経過とともに世間では政権交代の風が次第に強くなり、それと比例して我々には危機感がつのっていった。しかし、有志の会の危機感とは裏腹に、世間の「風」を受けた支援者の声には諦めの霧が掛かり始めたのだった。

 そして、いよいよ選挙戦に入ってもその霧が晴れることはなく、むしろ濃くなっていくかのようだった。我々の力ではどうにもならない濃い霧と風に包まれた中での戦いは、ある意味、自分との戦いであったように思う。自らが激しく活動していなければ、濡れしぼんで吹き飛ばされるような感覚だった。

 当時、三原は現職であり各業界団体からの支援は今回の選挙よりも多かったが、黄壁高の有志の会の協力者及びその活動力は今回のそれと比べると明らかに少なかった。

 そして、三原は落選した。確かに、善戦は出来た。それなりの票数を得ることもできた。だが、復活当選を果たすには至らなかった。
 落選が確定したのは、即日開票の一日が終わろうとしている頃だった。一縷の望みを抱いて事務所に残っていた支援者も、三原の敗戦の弁を待って蜘蛛の子を散らすように去って行った。

 三原は今回の選挙期間中に限らず、いろんな場面でよく口にしていたことがある。それは、前回の選挙で落選が確定し、事務所の雛壇から敗戦の弁を話したときの心境だ。
 「、、オマエ、よく、その話をするよな、、」
 「、、あぁ、よく話してるな、、」
 「、、なんか、理由とかあるんか?、、」
 「、、ある、、」
 「、、なに?、、」
 「、、忘れないようにさ、、」
 「、、なるほど、、」
 「、、オマエ、ワカッテル?、、」
 「、、ナントナク、、」
 「、、ほら、人間ってウマく出来ててさ、、イヤな事ってすぐ忘れるようにできてるだろ、、でも、、忘れちゃダメなんだよな、、ダメなんだよ忘れちゃ、、」
 「、、確かに、オレ、前回の選挙のこと、もう殆ど思い出せんし、、」
 「、、だろ、、」
 「、、ナルホドな、、」
 「、、ほら、プロスポーツ選手がさ、負けたときの写真とか、相手チームが勝った写真を自分のロッカーに貼ってあるって話があるだろ、、それと一緒だよ、、悔しさを忘れないようにさ、、もっとカッコつけると、負けたことに負けたらダメってことさ、、」
 「、ほーっ、なるほどなぁ〜っ、カッケー!、」
 
しかし、選挙バカは当時の心境を詩に残しているのであった。

『走れ火の玉』

火の玉は 考えない
しかし 意思を持っている
火の粉をふりまき走り抜ける

火の玉は 考えない
しかし 意思を持っている
自身の炎が種火となる

火の玉は 考えない
しかし 意思を持っている
種火はやがて大火をまねく

火の玉は 考えない
しかし 意思をもっている
燃え上がれ 激しく燃えろ

火の玉は 考えない
しかし 意思をもっている
走れ 走り抜けろ
灰になるまで 命尽きるまで

続く、、、
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全国大会へ駆け上がれ!

2013-06-11 22:20:45 | 雑談の記録
このバカブログサイトは、最近、ご存知の選挙バカシリーズで持っていると思われても仕方がないと思う今日この頃、みなさん如何お過ごしですか。

hiratakuwaは、先日、生まれ初めて整骨院に行きました。 ゴールデンウィーク頃、トレーニング中に左脚ふくらはぎを肉離れしてしまってなかなか癒えないまま、ゴルフしたり、審判したりで週明けは痛みを抱えて出勤していたのでした。

ま、そんなことはさておき、愚息が所属するチームが熊本地区予選で優勝し次週の中九州大会に駒を進めました。あと2勝で全国への切符をものにできます。 愚息もようやく調子を取り戻し、なんとか代打要員としてゲームにも出場できるようになりました。

下にhiratakuwaが作成した入団式の歓迎ビデオを紹介したいと思います。 ご鑑笑下されば幸いです。なお、ここをクリックしますと、hiratakuwaが管理するチームのサイトもご覧頂けます。

入団式2013 ムービー

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選挙バカの詩×28『活動の実態』

2013-06-11 21:45:57 | 雑談の記録
 全くそのとおりだと思う。それを最も深く理解して選挙を戦っていたのが、対抗馬で帝国維新の会から立候補した三世議員の末野氏であることは言うまでもない。氏は新党へ鞍替えするまでは、母から多額の小遣いを貰いながら首相の座についた波戸山氏の重要腰巾着として、シッカリその後ろに張り付いてはカメラへの露出を図り知名度アップに血道を上げていたのだった。

 一方、三原は民自党の第一選挙区支部長になるまでは、ごく普通の家庭に育った一般人に過ぎず、いわゆる、地盤看板カバンとは無縁の人間であった。また、黄城高時代はハンドボール部の主将であったが、勝山や門田のような「知名度」は殆ど無く、従って、彼等の支援を得ることができなければ無援の可能性もあった。

 ただ、事情は民自党県連では異なっていた。当時の「公募」は民自党にとって日本初ということもあり、特に第一選挙区での連敗脱出は県連の最重要課題であった。このため、二〇〇五年の衆議院選挙では民自党の議員団はフル回転で三原を支援し、当時の古泉旋風を追い風に三原は復活当選を果たしたのだった。しかし、当時、同級生が行っていた活動が、当選にどのように寄与できていたかと問われると返答に窮せざるを得ない。当時の我々は、選挙戦についてあまりに無知であり、「ローラー作戦」の内容すら知らず、その作戦も重倉議員の名簿と地図を拝借してのかりそめの活動であった。そして、有力とされる先輩の声や指示にひたすら従い、今日は西へ、明日は東へという具合であったのだ。

 第一選挙区の有権者数は約三七万人である。過去二回の投票率は六五%以上で当選得票数は十万票を超えている。

 第一選挙区に住所を置く黄城高の同窓生は約八〇〇〇人だ。これは有権者数に対して2%程度であり、いかにも貧弱に思える数字なのだが、その八〇〇〇人が五人の知人・友人に支援をお願いし、それが投票行動に繋がると仮定すると、その人数は八〇〇〇×五=四4〇〇〇〇(四万人)となり当選得票数の四割を占める。投票率が低下するような環境下でこの組織票を固めれば、さらにその比率は上がっていくのである。従って、黄城高の「組織」固めは選挙結果に大きな影響を与えると考えられるのだ。

 しかし、八〇〇〇人なのである。八千件でもいい、八千軒でもいいだろう。名簿から住所を調べ地図に落とし込み、実際に訪問して支援をお願いするのである。これをローラー作戦と呼ばずして何と形容すれば良いのだろうか。

 二人一組の一班が一日に訪問できる数は平均七〇件だ。一班体制だと一一五日、十班体制でも十日以上という計算になる。小学生の算数レベルだが、延べ人数は軽く二○○人を超える。地図作りの人員を含めると三○○人に達する。これが、我々に与えられた課題なのであった。知名度の無い一般人が、知名度を誇る有名人に勝つための努力が、如何に大変で困難を極める作業であるか理解頂けると思う。

 この不可能とも言える作業をなんとしてもやり遂げるのだと言って一歩も譲らなかったのが勝山なのであった。そして、「名誉」なことにローラー隊長に任命されたのが僕なのであった。隊長は大将の命令に従わなければならないが、作戦の計画策定は隊長の任務であった。

 効果的な作戦遂行のため、計画の基本は小学校の校区によって分類・整理した。三原の地域後援会も小学校区で区割りされた単位で組織されていた。しかし、校区数は四七校区と多く、限られた人員でしかも短期間に「勝つ」ための効果的な活動を行うためには、優先順位を定めて集中攻撃を図らなければならなかった。従って、隊長の僕に求めらたのはその優先順位の決定だった。僕は過去二回の選挙におけるローラー実績と同窓生の校区人口及び地理的条件を考慮して四七の校区を四つのレベルに分類し、その分類に基づいて作戦図(校区分類割付図)を作成したのだった。そして、作戦は勝山の号令のもと実行されたのであった。

続く、、、
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