☆Eri's Style☆

I LOVE HIP HOP☆R & B

2005 BET Awards Nominees

2005-06-30 | Weblog
先に受賞者を書いちゃったので、順番が逆になっちゃいますが…
ノミネートされた面々もスゴいし~やっぱり去年から今年にかけて大活躍した人達ばっかりなので~
知らないのは勿体ないと思うから書いちゃいマース
(赤い文字になってるのは、私の個人的な趣味なので気にしないでクダサイ。笑)

BEST FEMALE HIP HOP
1. Miri Ben-Ari
2. Jackie-O
3. Remy Martin
4. Shawnna

BEST MALE HIP HOP
1. 50 Cent
2. Jay-Z
3. Ludacris
4. Snoop Dogg
5. T.I.
6. Kayne West

BEST COLLABORATION
1. Ciara f/Missy Elliott "1, 2 Step"
2. Destiny's Child f/Lil Wayne & T.I. "Soldier"
3. The Game and 50 Cent "Hate It or Love It"
4. Jadakiss f/Anthony Hamilton "Why"
5. Snoop Dogg f/Pharrell "Drop It Like It's Hot"
6. Usher and Alicia Keys "My Boo"

BEST FEMALE R&B
1. Amerie
2. Mariah Carey
3. Ciara
4. Fantasia
5. Alicia Keys
6. Jill Scott

BEST MALE R&B
1. Anthony Hamilton
2. John Legend
3. Mario
4. Prince
5. Usher

BEST GROUP
1. 112
2. Destiny's Child
3. Lil Jon and The Eastside Boys
4. The Roots
5. Terror Squad f/Fat Joe

BEST NEW ARTIST
1. Ciara
2. Fantasia
3. The Game
4. John Legend
5. Omarion

BEST GOSPEL ARTIST
1. Fred Hammond
2. Donnie McClurkin
3. Ruben Studdard
4. CeCe Winans
5. Kanye West

VIDEO OF THE YEAR (SONG TITLE)
1. Amerie "1 Thing"
2. Jay-Z "99 Problems"
3. John Legend "Ordinary People"
4. Snoop Dogg f/Pharrel "Drop It Like It's Hot"
5. Kanye West "Jesus Walks"

BEST ACTRESS
1. Halle Berry
2. Kimberly Elise
3. Regina King
4. Queen Latifah
5. Gabrielle Union

BEST ACTOR
1. Don Cheadle
2. Jamie Foxx
3. Morgan Freeman
4. Mos Def
5. Will Smith

FEMALE ATHLETE OF THE YEAR
1. Laila Ali "Boxing"
2. Gail Devers "Track & Field"
3. Lisa Leslie "Basketball"
4. Serena Williams "Tennis"
5. Venus Williams "Tennis"

MALE ATHLETE OF THE YEAR
1. Allen Iverson "Basketball"
2. LeBron James "Basketball"
3. Donovan McNabb "Football"
4. Shaquille O'Neal "Basketball"
5. Tiger Woods "Golf"

BET.com VIEWERS' CHOICE (SONG TITLE)
1. Ciara f/Missy Elliott "1, 2 Step"
2. Destiny's Child f/Lil Wayne and T.I. "Soldier"
3. Mario "Let Me Love You"
4. Omarion "O"
5. Terror Squad f/Fat Joe "Lean Back"
6. T.I. " U Don't Know Me"




BET AWARDS 2005

2005-06-29 | Weblog
BET AWARDS 2005 が6月28日8時から(現地時間)L.A のKodak Theatre にて開催されました。
Destiny's Childはパフォーマンスと次の3部門にノミネートされました
BEST COLLABORATION - Destiny's Child f/Lil Wayne & T.I. "Soldier" 
BEST GROUP and VIEWER'S CHOICE AWARD

And The Winner Is.................

BEST FEMALE HIP HOP

Remy Ma

BEST MALE HIP HOP

Kanye West

BEST COLLABORATION

Ciara f/ Missy Elliott "1, 2 Step"

BEST FEMALE R&B

Alicia Keys

BEST MALE R&B

Usher

BEST GROUP

Destiny's Child

BEST NEW ARTIST

John Legend

BEST GOSPEL ARTIST

Donnie McClurkin

VIDEO OF THE YEAR

Kanye West "Jesus Walks"

BEST ACTRESS

Regina King

BEST ACTOR

Jamie Foxx

FEMALE ATHLETE OF THE YEAR

Serena Williams "Tennis"

MALE ATHLETE OF THE YEAR

Shaquille O'Neal "Basketball"

BET.COM VIEWERS' CHOICE AWARD

Omarion "O"

ゴージャスな衣装はこちらから BET AWARD 2005 RED CARPET

♡♡Omarion♡♡

2005-06-29 | Weblog
Omarionの「Touch」のPVはダンスがめちゃくちゃカッコいいねー
前から思ってたんだけど Omarionってさぁ~同じ人間の動きとはとても思えない(笑)ダンススタイルだよね
どうやったらそんな動きが出来るの って観たヒトは絶対に思うハズ・・・・・
私がOmarionを知ったきっかけは「You Got Served」という映画なんだけど、観てないヒトは是非観て
この映画はB2K(Omarionがいたグループです)がヒップホップグループ、IMxのMarques Houstonと一緒にダンス !!!ダンス !!! これでもかぁ~!!!ってくらいにダンスシーン満載の映画です
(…ブログ書くのに色々調べていたら、IMXってImmatureだったんだねー 知らなくて驚きました

STORY ストリートダンサーのエルジン(Marques Houston)とデビッド(Omarion)は無二の親友。彼らのチームはストリートダンス・バトルで常勝し、他のチームからも注目される存在だったが、麻薬取引のトラブルに巻き込まれ決裂してしまう。50,000ドルの賞金とプライドを賭け、それぞれ別のチームとしてコンテストに参加する。が、最後には和解し、ブレイク、POP、ロック、彼らの持つすべてのストリート・ダンスの技を駆使しエルジンとデビットのチームが見事優勝
こうして文字だけだと伝わらないと思うケド、友情、恋愛、友の死、ドラッグ…とダンスだけの内容じゃないんです。
モチロン一番の見所はダンス・バトルのシーンでしょう。初めて本物のストリート・ダンスを観るヒトはおそらく口をぽかーんと(笑)それ位にスゴい技が炸裂しマスよ~
あと、私的にお勧めなのは Omarionの 笑顔 これが1番かな(笑)

Beyonce 、デスチャ解散について語る

2005-06-25 | Weblog
やっとコメントが発表されましたね。ファンとしては本人のコメントを聞くまでは、信じたくないというか…まぁ~複雑な心境です

ビヨンセがデスティニーズ・チャイルドの解散について、AP通信のラジオ局であるAPラジオのインタビューで語った。

ビヨンセはインタビューの中でグループの解散は「私達が(グループとしての)成功を果たした時に、この重要な一区切りを終えることが重要だと考えた」と語り、更に解散の理由を「だれかがソロ活動をしたいとか、皆が一緒にやりたくなくなったとか、これ以上レコードを売りたくないって思ったわけじゃない。ただ単に今が(グループとしての)終わりのタイミングだっただけ」とあくまでも発展的な解消であることを強調した。

また、ビヨンセは「解散」と呼ばれるのが好きではなく、「私達は『人生の中での一つの章の終わり』って言いたい」とも語っている。

Beyonce: Don't Call 'Destiny' a Breakup

ただ単にタイトルが面白かったので(笑)

2005-06-23 | Weblog
まず1コ~「ブリトニー、ウイルスメール作者にも大人気?」
何だろう???と記事を読んだら、米国のセキュリティ関連企業Panda Softwareが、世界中にばらまかれているウイルスメールの感染に利用された有名人のトップ10ランキングを発表したそうなんです。それが結構あらら…って感じで(笑)
2004年、ウイルスメールに登場した有名人のランキング

1位 ブリトニー・スピアーズ
2位 ビル・ゲイツ
3位 ジェニファー・ロペス
4位 シャキーラ
5位 オサマ・ビン・ラディン
6位 マイケル・ジャクソン
7位 ビル・クリントン
8位 アンナ・クルニコワ
9位 パリス・ヒルトン
10位 パメラ・アンダーソン

そして、更に違うタイトルで…「ブリトニー、メールランキングでビル・ゲイツを破る」だって
あり得な~い これって勝ち負け関係ないじゃんと思いながらも、どんな嘘のメッセージを見て第三者のヒトが興味を抱いて、ウイルス本体であるメールの添付ファイルや、悪意のあるWebサイトへのリンクをクリックしてしまったのか…が気になって仕方ないデス(苦笑)(例として「マイケル・ジャクソンが自殺未遂! 詳細はこちら」…と書いてありましたっ

スミマセン…個人的に”ツボ”なニュースだったので~

Beyonce ソロ活動再始動?!

2005-06-22 | Weblog
ビヨンセが、ソロ活動再始動の手始めに映画のサウンドトラックのレコーディングに入ると、MTV.comが報じていマス。

これはビヨンセ本人がMTVヨーロッパに語ったもので、既に撮影を終えているビヨンセ出演の映画『ピンクパンサー』のサウンドトラック用でシングル・リリースも予定している曲のレコーディングを行なう計画があるそうデス。また、12月より撮影の始まる次の映画出演作『Dreamgirls』のサウンドトラックにもビヨンセ自身が参加を希望しているそうですヨ。

なお、『Dangerously In Love』に続いてのソロ・アルバムに関しては「いつ始まるかは確かではない」と語っており、現在のところ未定でありま~す。

MTV News

civil rights movement (公民権運動)に関係する用語

2005-06-16 | Weblog
ネイション・オブ・イスラム
ネイション・オブ・イスラム(NOI)とは、1930年代にデトロイトで設立された宗教組織。開祖でもある指導者イライジャ・モハメドによると、黒人と白人の関係は以下のようになります。
「地球上に初めて現れた人間は黒人である。彼らはアラーの神を讃える偉大な文明社会を築いたがその過程で神によって追放された科学者がいた。彼が自分を追い出した黒人に対する復讐のために遺伝子操作によって作りだしたのが白人である。
その後、白人は復讐のために黒人の社会を破壊し、奴隷として支配する社会を作り上げた。しかし、この支配も今や終わりが近づいている。我々がそのことに気づくことで、再び黒人の理想社会を甦らせることができるのだ」ということなのだそうです。
だからこそ、彼らはこう主張します。「白人と黒人は別々に生きて行くべきである」と・・・・・
この主張は実に分かりやすく、なんとあの人種差別団体KKK(クー・クラックス・クラン)と、分離社会実現に向けた協力関係が結ばれるという嘘のような本当のような話もあったくらいです。(すべての人種差別は同じだということです)
NOIは典型的なカルト宗教だと言えますが、そんな宗教を受け入れる時代背景があったのも事実でした。当時着実に増えつつあった黒人中産階級をはじめ、社会の底辺に生きる人々や犯罪者たち、そしてモハメド・アリのようなスポーツ・エリートたちにまで、NOIが受け入れられたのには、それなりの理由があったのです。それは、NOI独特の宗教思想にあったようです。
NOIでは、多くの宗教とは異なり、それぞれの個人が社会的、経済的成功を追求することが、良しとされていました。すなわち、神の目を気にすることなく人は自らの成功のために必要なことをしても良いということなのです。これは、人種の壁に対し、言いようのない不満と怒りを抱えていた上昇志向の黒人たちにとって、実に好都合な考えでした。
実際、NOIは1960年の時点でアメリカ最大規模の黒人企業でもありました。酪農、出版、金融、食料品販売、医療雑貨店経営などから得た利益でキャディラックやリンカーンを乗り回す企業家、それがNOIの指導者イライジャ・モハメッドのもうひとつの顔だったのです。NOIは、社会を改革するのではなく、それぞれが生き残るために自由に闘うことを認めていたわけです。

スパイク・リーが監督した映画「マルコムX」でこの時代、NOI等がとても良く描かれています。

KKK
クー・クラックス・クラン(Ku Klux Klan)は、アメリカの白人至上主義団体の一つ。KKKと略される。
KKKは、黒人やユダヤ人や他の民族の市民権に対し異を唱え、同様に、カトリックや、左翼団体、同性愛者の権利運動やフェミニズムなどに対しても反対の立場を取っている。
1865年、南北戦争の終結直後に、最初のKKKが結成された。やがて活動に暴力的傾向が強まっていき、1871年には政府に違法のテロリスト団体と認定された。20世紀初頭、第一次世界大戦中に第二のKKKが誕生。白人貧困層の支持を集め、幾つかの州では少なからぬ政治的影響力を持つに至ったが、指導者が強姦と殺人で有罪判決を受けたことを機に崩壊する。その後も形を変えて生き長らえ、現在もなお、幾つかの分派が活動を続けている。

KKKのメンバーはフードを備えた白いローブを着用している。それは敵に報復するために死後の世界から戻った兵士の幽霊を表し、顔を隠している。白いローブとフードのもう一つの意味は「匿名の功績」であり、メンバーは神によって使命が与えられたと信じ、謙遜の象徴として白いローブとフードを着用する。また別の説は中世のテンプル騎士団員を模倣した物だとする。オリジナルのKKKの指導者には「テンプル騎士団員」の位階を持ったスコットランド人の石工が多数いた。"Grand Wizard"、"Exalted Cyclops"、"Kleagle"と言った位階はKKK内での地位を示すために使用された。…そうです。

KKKについては映画「ミシシッピー・バーニング」や「白く乾いた季節」を自分の目で観てもらった方が分かりやすいと思います。勿論映画はフィクションですが、色々考えさせられると思いますよ。もしかしたらショックを受けるかもしれません。当時はバス、レストラン、トイレ、生活全てにおいて「ホワイト(白人)」と「カラード(有色人種)」の2つに別れていたのです。分かりやすく言うと、同じレストランの中でも「ホワイト」と「カラード」の座る席は全く違ったのです。私達日本人は …勿論「カラード」ですね… 
そんな様に、日本人には到底理解出来ない「直視出来ない」行為が繰り返されていた時代が本当にあったのです・・・

civil rights movement (公民権運動)とは?Part 2

2005-06-15 | Weblog
…この前は話が途中だったので、その続きです。

マルコムX (Part.2)
1942年、彼はN.Y. 黒人文化の中心地ハーレムのナイト・クラブ「スモールズ・パラダイス」で働き始め、ここであらゆる犯罪についてのノウハウを学ぶ事に。1943年、彼に徴兵令状が届きますが、兵役に就きたくない彼は麻薬のやりすぎによる精神異常を装い兵役を免れます。その後マルコムはハーレムでポン引きになり、白人上流階級のサディストや同性愛者らを相手に稼ぎはじめるのです。しかしそんな彼も1944年、売春斡旋の罪で逮捕され、その為にナイト・クラブには出入り出来なくなり、どんどん転落していくのです。ドラックを売り、ポケットには沢山の札束。しかし、すぐに警察にマークされ、結局は売人さえも出来なくなり、仲間達と強盗に押し入るまで転落していったのです。
しかし初心者の彼らはすぐに足がついてしまい、逮捕され、初犯ではなかった彼は10年の刑を宣告され、州立チャールズタウン刑務所に収監されることにるのです。

1947年、彼は刑務所でビンビーという人物と出会います。彼はマルコムに通信教育を受け、図書館で勉強するよう強く勧めました。この出会いこそ、カリスマ的な演説者マルコムX誕生のきっかけであり、その後彼の影響を受けることになる数々の活動家、アーティスト、そしてモハメド・アリのような人物が現れる原点となったのです。
こうして、彼は再び学ぶ喜びを思い出し、本を片時も手放さない生活が始まります。辞書で言葉を学ぶことから始まった彼の勉強は、言語学、神学、哲学から奴隷制の歴史などへと広がって行きました。そして、ちょうどこの頃、彼の弟のレジナルドがネイション・オブ・イスラムに改宗。初めて彼はネイション・オブ・イスラムの指導者、イライジャ・モハメドの教えに出会うことになるのです。

1952年、マルコムはシカゴのNOI<ネイション・オブ・イスラム>の寺院で初めてイライジャ・モハメドに会い、すぐにモハメドの魅力の虜になり、NOIに入信、その後自らの名をマルコムXと改めます。
「Xは、永遠に知り得ない真のアフリカの姓を象徴している。私にとってXという姓は、青い目の悪魔が私の父祖におしつけた姓、白人の奴隷所有者の姓である『リトル』にとってかわる姓なのだ」

1953年、彼はNOIの布教に専念するため、仕事をやめ、ボストンで牧師として活動し始めます。その後、彼はその頭の良さとカリスマ的なスピーチの魅力によりめきめきと頭角を現し、ニューヨークやフィラデルフィアでも牧師に任命され、全米各地で演説を行うようになります。しかし、彼がNOIのリーダー的存在となるにつれ、その発言は注目を集めるようになり、その内容もしだいに過激さを増すようになっていきます。
「なぜ白人があんなにあなたがたを憎むのかわかるだろうか?それは黒人の顔を見るたびに、白人は自分自身の罪と真っ向から向き合うことができないのだ!」
1959年、マルコムの行動範囲はいよいよアメリカ大陸を飛び出し、エジプト、サウジアラビアなどの中東諸国やガーナなどアフリカ諸国を訪問します。この際、彼は当時第三世界のリーダー的存在だったエジプトの大統領ナセルとも会っており、翌年にはキューバのフィデル・カストロとも会談を行いました。彼はしだいに共産主義諸国との共闘をも口にするようになり、アメリカ政府はいよいよ彼を危険人物としてマークするようになります。

マルコムが有名になり、その発言が過激になるにつれ、しだいにNOIに対する政府や社会、マスコミからの圧力は強まるようになります。そのため、彼をスポークスマンとするNOI自体がその批判の矢面に立たされるようになり、しだいに彼を排除しようという動きが教団内部から高まり始めます。
ちょうどその頃、イライジャ・モハメドが姦通により、自分の秘書たち3人に子供を生ませていたことを知ったマルコムは、かつては『恐れ』をもって従っていた指導者を表立って批判するようになります。そのうえ彼は、もう一人の国民的ヒーローであるマーチン・ルーサー・キング牧師をも批判するようになり、穏健派の公民権運動支持者たちからも批判されるようになってしまうのです。
1963年8月に行われたあの有名なワシントン大行進の際も、彼はその行動を否定し、参加を拒否しています。
「怒れる革命家たちが、怒りをぶつけるべき相手と腕を組んで陽気な足どりで、『勝利を我らに』と唱和している。そんな馬鹿げた話がどこにある?」
「ワシントン大行進は問題解決を意図したものではない。それは爆発を縮小させるためのものだった」
実際、このワシントン大行進において、キング牧師ら黒人側とアメリカ政府の間には取引が行われており、アメリカ政府に対する演説での非難は最小限に抑えられていたことが後に明らかになっています。彼の発言は確かに真実を突いていました。

1964年、マルコムはついに自らNOIを脱退します。4月には、メッカへの巡礼の旅に出かけました。その後彼は中東やアフリカ諸国を再び訪問するうちに、しだいに自らの考え方を改めて行きます。
「その朝、はじめて私は『白人』というものを再評価し始めた。『白人』という言葉は、肌の色を指すのではなく、それが意味するのは『態度』や『行動』だということに気づき始めたのだ。・・・」
「これまでアメリカ黒人の誰ひとりとして自分たちの問題をアフリカ問題と同じ範疇にいれようと努力した者はいなかったし、またいれたこともない。さらに問題を国際化したこともない。そうして意味で、私が当地を訪れたことは、まさに歴史的な事件だった」
こうして、帰国した彼は宗教色を排した政治団体「アフロ・アメリカ統一機構」を設立。さらにキング牧師らをはじめとする公民権運動を指導者たちに謝罪し今後の協力を約束しました。
「この国を救うのには真に深い友情Brotherhoodしかないということを学ぶのに、私はたいへんな回り道をした」と・・・・・・・

この頃、それまで黒人の解放にのみ力を注いでいたキング牧師もまた新しい道へと進もうとしていました。1967年、彼はそれまでの立場を改め、ヴェトナム反戦をあえて訴えるようになったのです。
「人種差別は、単にアメリカだけの現象ではない・・・どこの国をながめても、我々は有色人種の汗と苦難の上に、白人たちが帝国を築いているのをみる」 マーティン・ルーサー・キング牧師
彼は黒人解放運動を世界各地で行われている人種差別との闘いのひとつとしてとらえ直すことで新たな視点をもつようになったのです。これはアメリカという白人国家に対する本格的な挑戦でもあり、危険な賭けでもありました。この翌年キング牧師が暗殺されてしまったのは、彼のこうした方針転換によるものだったのかもしれません。そして、この時になってやっと、キング牧師とマルコムの考え方は多くの点で一致を見るに至っていたのでした。

1965年、マルコムが帰国するとその翌日彼の自宅が爆破されました。幸い、この時彼は無事でしたが、彼の命はもう失われたも同然でした。結局、それから1週間後の2月21日、マルコムはハーレムのオーデュポン・ボール・ルームでの講演中に銃によって暗殺されてしまいます。彼を殺した犯人として3人の黒人が逮捕され、3人とも有罪となり終身刑を言い渡されています。しかし、彼らがなぜマルコムを暗殺したのか?誰かに依頼されたのか?その事実はまったく明らかにされないまま事件の調査はうち切られたました。1980年には、再捜査をFBIに要請する運動が起きましたが、結局新事実はないとして却下されました。

「彼はポン引きの罪人・・・学究的な僧侶・・・情熱的な賢者・・・そして殉教者であった・・・マルコムXはアメリカにとって危険であるために殺された・・・マルコムの遺産は彼の生涯であった」
リロイ・ジョーンズ(詩人)

「もし、私たちが1965年に・・・より強く・・・より知性に満ちていたならば・・・私たちが理解し尊敬していたブラザー・マルコムは今日も私たちのそばにいるだろう」
オラペツェ・ゴシツィル(南アフリカの詩人)

「マルコムXは常に変化と成長の途上にある人間だった・・・人々が自由に尊厳を持って歩く世界という彼の夢の実現は・・・彼の暗殺によって・・・わずかの間は遅らされることになった・・・暗殺はその夢の提唱者を殺したが夢を殺すことはできなかった・・・その夢は彼がわれわれに残したものであった」
ジョン・ヘンリック・クラーク「マルコムX-人間と彼の思想」より

Destiny' s Child 突然の解散発表!!!!!!!!!!!

2005-06-14 | Weblog
現地時間11日スペイン、バルセロナのパラウ・セント・ジョルディのステージ上、デスティニーズ・チャイルドが16,000人のファンに向けて思わぬ発表でファンを驚かせた。メンバーの一人ケリーはデスチャとしてヨーロッパをツアーするのはマクドナルド主催で現在行われているワールド・ツアー "Destiny Fulfilled...And Lovin' It"が最後になることを告げた。ビヨンセ、ケリー、ミッシェルは長年応援してくれたファンに感謝し、今後はデスティニーズ・チャイルドのグループを解散し、それぞれが音楽、舞台、テレビや映画などめざす分野でキャリアを築いていく決意を表明した。…らしいデス


デスチャの声明文:
「私たちはグループとして成功に恵まれ、世界中の素晴らしいファンに恵まれたわ。9歳の時からデスティニーズ・チャイルドとして一緒に活動し、14歳の時からみんなでツアーをしてきたけど、今回いろいろ話し合い、内面を見つめなおしていく過程で気付いたのよ。今回のワールド・ツアーは3人が友情によって結束し、音楽やファン、そしてお互いへの感謝の気持ちでいっぱいのまま、フィナーレを飾る機会だと。みんなで活動してきた素晴らしい月日を経て、それぞれが自分のゴールをめざして、ソロとして真剣に努力するときが来たと気付いたの。みんなグループから自然に脱皮する時期が来たのね。今後何があろうとも私たちはずっと友達・姉妹として互いを敬愛し、アーティストとして励ましあっていくわ。限りない愛情とサポートを注いでくれたファンの皆さんに感謝するとともに、私たちがそれぞれの運命を全うしていく道のりでまた会えることを願っています」
デスティニーズ・チャイルドはアメリカに戻り、7月9日セント・ルイスを皮切りに北米ツアーをはじめ、9月10日バンクーバーにて最終公演が予定される。"Destiny Fulfilled...And Lovin' It"の北米ツアーはデスチャにとって、4年ぶりの全国公演となる。ツアーではデスチャと同じレコード・レーベルSony Urban/Columbia Records所属のエイメリー、プラチナ・ディスク受賞アーティストマリオ、急成長のタイラがサポート・アクトに決定している。"Destiny's Fulfilled...And Lovin' It"ツアーは豪華なセット、洗練された照明、原始的な音、ドラマチックな新演出に代表される芸術的なモダン・コンサートである。*「ハウス・オブ・デレオン」のティナ・ノウルズデザインの衣装に身をつつんだデスチャの3人はいまだかつてないほど美しく、歌も最高だった。(*「ハウス・オブ・デレオン」・・・ビヨンセと母ティナによるファッション・ブランド)90年代後半、2000年代初め最も売れている音楽グループ デスティニーズ・チャイルドは、世界中で4000万枚以上を売り上げ、それにビヨンセ、ケリー、ミッシェルのソロ・レコーディングを加えるとなんと5000万枚に達する。1997年のアルバム・デビュー以来、デスチャはグループとして、またはソロで驚異的な38のゴールド、プラチナ、マルチ・プラチナ・ディスク認定をRIAAから受けている。

何だか悲しいです