インマヌエル姫路キリスト教会

礼拝メッセージなどを発信します

立派な勇士であったサウルの死を悼んだダビデ(2012.11.29)

2012年11月30日 16時40分12秒 | 祈り会メッセージ要旨
11月29日祈り会メッセージ要旨

『立派な勇士であったサウルの死を悼んだダビデ』
【Ⅱサムエル1:1-27】

 ダビデはアマレクの若者からサウルとヨナタンが戦死したことを聞いた。このアマレク人は瀕死のサウルを苦しみから解放するため、自分が殺したと語った。ダビデはこの若者が登用されることを望んで嘘をついていることを見抜き、且つ主が油注いだサウルを殺した咎により、この若者を殺した。主に油注がれたサウルに手を下さなかったダビデの主を恐れる信仰は全くぶれていなかった。
 ダビデはサウルとヨナタンの死を悼んで哀歌を作った。この哀歌には「勇士」という言葉が繰り返し使われている(19,21,22,25,27節)。サウルは王としては立派ではなかった。しかし戦士としては立派な勇士であった。ダビデはこの戦士としてのサウルを尊敬し、心の底からサウルの死を悲しんだのではないだろうか。それはダビデ自身も主が神殿建設を許さないほど主の前に多くの血を流した(Ⅰ歴22:8)戦士であったからこそ分かるサウルの立派さであっただろう。

12月2日クリスマス伝道礼拝

2012年11月30日 06時02分26秒 | 礼拝プログラム
インマヌエル姫路キリスト教会
12月2日クリスマス伝道礼拝プログラム

礼拝はどなたでも参加できます
お気軽にお越しください  

奏楽
賛美① ベツレヘムに生まれて 103
聖書交読 詩篇8篇
祈祷
主の祈り
伝道ブログラム――
 ○賛美② 久しく待ちにし 59
 ○賛美③ もろびとこぞりて 76
 ○聖書朗読 マタイ2:1~12
 ○説教 『宇宙飛行士の神体験』
 ○応答の時
賛美④ とうとき主こそ私の 392
献金
祈祷
頌栄 たたえよ、主の民 269
祝福の御言葉
奏楽

滅亡前の最後の善王( 2012.11.25.要旨)

2012年11月28日 21時05分28秒 | 礼拝メッセージ要旨
11月25日礼拝メッセージ(要旨)

『滅亡前の最後の善王』

【Ⅱ列王22:1~13】

はじめに
◎今日は「温かい律法から冷たい律法への変遷」シリーズ第3回(最終回)。
◎前回のヤロブアムは悪王の代表だが主と完全に心が離れてはいない。
◎今日見るヨシヤ王の祖父のマナセ王は、もはや主から完全に離れていた。

Ⅰ ヨシヤ王の時代に主の宮で律法の書が見つかった
A.大祭司ヒルキヤは「私は主の宮で律法の書を見つけました」と言った。
B.この異常な事態は悪王マナセの時代の不信仰がもたらしたものである。
C.律法の書が現存することがわからなくなるほどのマナセの不信仰とは…。
D.主の宮にアシェラ像を置くとは、教会の会堂に仏像を置くようなもの。

Ⅱ ヨシヤは宗教改革を行った
A.ヨシヤ王は主を恐れ、主を第一とする信仰を持つゆえ、衣を引き裂いた。
B.王は、神は生きていると知っており、神が激しく憤っていることを感じた。
C.王は主の契約のことばを実行することを誓い、民も皆、契約に加わった。
D.しかし主は王の祖父マナセが行った不信仰の故にユダを赦さなかった。

Ⅲ エレミヤは主の預言により先を見通していた
A.ヨシヤは善王であったが民は不信仰のままであったとエレミヤ書は語る。
B.民は主によりエジプトから救い出された記憶があるうちは律法を守った。
C.エジプトからの救出に実感が無い民にとっては律法は守る気がしない。
D.バビロン捕囚から帰還した民は逆に律法を守る意識が強くなり過ぎた。
E.エレミヤは70年後の捕囚か帰還と新しい契約について預言していた。

おわりに
 エレミヤ31:33の「わたしの律法を彼らの中に置き、彼らの心にこれを書きしるす」とは助け主の聖霊が私たちの内に入り、全てのことを教えて下さるということである。主イエス・キリストは、この新しい契約を結ぶために、この世に来て十字架に掛かり、復活して昇天した後に聖霊を遣わして下さった。このことを覚えながらアドベント、そしてクリスマスに向かって神と共に歩んで行きたい。

滅亡前の最後の善王(2012.11.25 全文)

2012年11月25日 16時55分39秒 | 礼拝メッセージ全文
2012年11月25日礼拝メッセージ
『滅亡前の最後の善王』
【Ⅱ列王22:1~13:】

 今月に入って、伝道礼拝、聖餐式礼拝、世界宣教礼拝と、「何々礼拝」というのが続きました。きょうは久々に通常の礼拝です。そこで、中断していたシリーズの3回目の説教を行うことにします。来週からはアドベントに入りますから、きょうの3回目で、このシリーズも終わりです。そのシリーズとは、「温かい律法から冷たい律法への変遷」のシリーズです。
 新約聖書ばかり読んでいると、「律法は悪いもの」という印象を持ってしまいがちです。イエス・キリストの時代のパリサイ人たちは、律法を守ることに熱心になり過ぎて、隣人を愛することができなくなってしまい、結局のところ、主の御心から離れてしまっていました。イエス・キリストはこのような主の御心から離れていたパリサイ人たちを批判し、パウロもまた律法主義を批判しましたから、私たちはついつい律法を、「人を縛る冷たい規則」というような、堅くて冷たい、マイナスのイメージで捉えてしまいがちだと思います。しかしモーセの時代や、ルツ記のルツの時代、ダビデの時代には、律法はそのような冷たいものではなく、むしろ温かいものでした。それが、なぜ冷たいものに変わって行ってしまったのか、そこを見て行こう、というのが、このシリーズの狙いです。
 シリーズの第1回目では、ルツの時代とネヘミヤの時代を、「異邦人への視線」という観点から比較しました。
 ルツの時代、異邦人に対する視線は、とても温かいものでした。律法には、畑の収穫について、次のような規定があります。

「あなたがたの土地の収穫を刈り入れるとき、あなたは刈るときに、畑の隅まで刈ってはならない。あなたの収穫の落ち穂も集めてはならない。貧しい者と在留異国人のために、それらを残しておかなければならない」(レビ23:22)

 このように律法は、貧しい人々ややもめ、みなし子、そして異邦人など弱い立場の人々に対して、とても温かいものでした。それは、かつてイスラエルの人々も、モーセに率いられて脱出するまでは、エジプトの地では異邦人であり、奴隷として苦しい日々を過ごしていた弱い立場の者であったからです。自分達がそのような苦しい目に遭っていたのだから、それと同じ苦しい目に、異邦人を遭わせてはいけない、と主の律法は教えていました。そうして、ユダヤ人も異邦人も愛し合って共に暮らして行くこと、それが「主と共に歩む」ということです。それゆえ、ルツもモアブ出身の異邦人の女性でしたが、ボアズの畑で落ち穂を拾うことができ、そうしてやがてボアズの愛のもとに受け入れられ、ダビデの、ひいおばあさんになったのでした。
 そのようにルツの時代には、ユダヤ人の異邦人への視線は温かいものでした。しかし、ネヘミヤの時代、異邦人への視線は冷たいものになっていました。異邦人は異教の宗教を持ち込む悪者であるという見方をされ、追放されるようになっていました。神である主は、モーセの十戒の第一戒で「あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない」とおっしゃり、第二戒で「偶像を造ってはならない、それらを拝んではならない」とおっしゃっているのに、異邦人たちが異教の神々と偶像を持ち込んだため、ユダヤ人も偶像礼拝をするようになってしまっていました。ネヘミヤは、その諸悪の根源はダビデの息子のソロモンにあると見ていました。ソロモンが大勢の外国人の妻をめとり、その妻たちの影響を受けてソロモンまでが偶像礼拝をするようになってしまったからです。
 そこで、このシリーズの第2回目ではソロモンについて少し見た後で、その後にイスラエルがどうなったかを見ました。ソロモンの不信仰に怒った神は、ソロモンの王国を二つに引き裂き、北王国の王にはヤロブアムが、南王国の王にはレハブアムがなりました。そして、私たちはヤロブアムの信仰について見ました。ヤロブアムは初代の悪王であり、ヤロブアムの後の王が悪王であった時には「ヤロブアムの道に歩んだ」と記されるように、悪王の代表のような存在ですが、主から100%完全に離れていた、というわけではありません。それまでのイスラエルの信仰の形だけは、受け継いでいました。エルサレムの神殿の代わりに金の子牛を礼拝することを奨励したり、祭司はレビ人でなく独自に任命したりするなど、全くの自己流ですが、いちおう形だけは律法を重んじて、いけにえを捧げることもしていました。
 ですから、ヤロブアムの心は主から離れてはいましたが、後の時代の悪王から比べれば、まだまだ主と完全に離れる所までは行っていなかったと言えます。しかし、時を経て、まず北王国が滅亡して、南王国も滅亡が間近に迫った頃の悪王は、もはや完全に主から離れる所に行っていました。それが、きょう先ほど読んでいただいた聖書箇所の1つ前の章の列王記第二の21章に書かれている、マナセ王です。この21章には、マナセの不信仰ぶりが記されていますが、その不信仰ぶりは、先ほど読んでいただいた22章からも間接的に知ることができます。これはマナセの孫のヨシヤ王の時代に、主の宮、つまり神殿を修理しようとしていた時のことですが、8節を見てみて下さい。列王記第二22章の8節です。

「そのとき、大祭司ヒルキヤは書記シャファンに、『私は主の宮で律法の書を見つけました』と言って、その書物をシャファンに渡したので、彼はそれを読んだ。」

 これは、とんでもなく異常な事態です。大祭司が、「私は主の宮で律法の書を見つけました」とは、何ということでしょうか。大祭司は、祭司の中のトップの存在で、1年に1回だけ聖所と至聖所を仕切る垂れ幕の内側に入ることができる存在です。その大祭司が、「私は主の宮で律法の書を見つけました」というのは、私たちの群れで言えば、教団の代表が、「私は本部で聖書を見つけました」と言っているようなものではないでしょうか。じゃあ、見つける前は何をしていたかというと、全くの自己流のやり方で儀式をしていたのでしょうね。この辺りは、いろいろな可能性が考えられますが、このヨシヤの時代の人々は、昔は律法の書があったということは知っていましたが、もはや現存はしていないと考えていたのではないかなと私は思います。それで、昔の人々はどのようにして儀式を行っていたかを想像して、行うしかなかったのだろうと思います。
 このようにヨシヤのおじいさんのマナセの不信仰により、ヨシヤの時代には、大祭司が律法の書が現存することを知らないという異常な事態になっていました。もし現存する可能性があることを知っていたなら、一生懸命に探したはずで、必死で探せば、とっくの昔に見つかっていたはずです。 
 マナセの不信仰は、律法の書の存在が忘れ去られたものになってしまうまでに、ひどいものでした。マナセの犯した悪行の数々と、それに対して主が怒った様子は、21章に書かれています。少しだけ、その一部を読んでみましょう。列王記第二21章の3節から6節までを、私のほうでお読みします。

「彼は、父ヒゼキヤが打ちこわした高き所を築き直し、バアルのために祭壇を立て、イスラエルの王アハブがしたようにアシェラ像を造り、天の万象を拝み、これに仕えた。
 彼は、主がかつて、「エルサレムにわたしの名を置く」と言われた主の宮に、祭壇を築いたのである。
 こうして、彼は、主の宮の二つの庭に、天の万象のために祭壇を築いた。
 また、自分の子どもに火の中をくぐらせ、卜占(ぼくせん)をし、まじないをし、霊媒や口寄せをして、主の目の前に悪を行い、主の怒りを引き起こした。」

 そして7節には、こうあります。「さらに彼は、自分が造ったアシェラの彫像を宮に安置した」
 これは、ひどいですね。これは例えるなら、この教会の会堂に仏像を安置するようなものです。この講壇の上に仏像を置いて、牧師が説教することもなく、みんなで仏像を拝むようにすれば、聖書も必要なくなりますから、聖書は、そのうちにどこかにいってしまって、やがては聖書がここにあったことも、わからなくなってしまいます。
 さて、この不信仰はマナセの子のアモンにも受け継がれました。しかし、孫のヨシヤには受け継がれませんでした。ヨシヤは主を恐れる信仰を持っていました。主の宮を修理しようとしていたことも、その信仰の現れとして見ることができるだろうと思います。律法の書は知らなくても、主を恐れ、主を第一にする心をヨシヤは持っていました。
 ヨシヤについて列王記の記者は、22章の2節に、「彼は主の目にかなうことを行って、先祖ダビデのすべての道に歩み、右にも左にもそれなかった。」と書いています。また、歴代誌の記者は、このヨシヤの信仰に関して、列王記には書かれていないことを、さらに書いています。歴代誌によれば、ヨシヤは、

「彼の治世の第八年に、彼はまだ若かったが、その先祖ダビデの神に求め始め、第十二年に、ユダとエルサレムをきよめ始めて、高き所、アシェラ像、刻んだ像、および、鋳物の像を除いた。」(Ⅱ歴代誌34:3)

とあります。このことから、ヨシヤは律法の書のことは知りませんでしたが、主を恐れ、主を第一とする信仰を持っていたことがわかります。それゆえ、列王記第二の22章11節に書かれているように、「王は律法の書のことばを聞いたとき、自分の衣を裂いた」のでした。そして、13節で次のように言いました。13節、

「行って、この見つかった書物のことばについて、私のため、民のため、ユダ全体のために、主のみこころを求めなさい。私たちの先祖が、この書物のことばに聞き従わず、すべて私たちについてしるされているとおりに行わなかったため、私たちに向かって燃え上がった主の憤りは激しいから。」

 この13節から、ヨシヤは優れた信仰心の持ち主であったことが、わかると私は思います。ヨシヤは、律法の書のことばを聞くなり、主は生きておられ、その主が怒っておられることを感じたのでした。
 現代的な感覚で言えば、忘れ去られていた古文書のようなものが発見されて、その中で神が民に対して怒っていたとしても、それは、遠い昔の神が遠い昔の人に向かって発した怒りのことばとしか、思わないのが一般的ではないでしょうか。聖書についても、そのような古い書物であると思っている人は多いと思います。それは、クリスチャンであっても、そのような人は多いと思います。特にクリスチャンが多い欧米で、信仰がなくても習慣的に教会に通っている人には、そのような人が多いと思います。そのような人々は、聖書を道徳の教科書のように捉えている人が多いと思います。日本で言えば、論語のたぐいです。聖書を道徳の教科書と思っている人は、主が今も生きているとは思っていないと思います。
 ヨシヤの場合も、見つかった律法の書を古い道徳の教科書とみなしても、いっこうにおかしくなかったと思います。しかし、ヨシヤは、生きている神の憤りが燃え上がっていることを感じ、衣を引き裂いたのでした。
 こうして、律法の書が発見されたことで、ヨシヤはさらに宗教改革を推し進めて行きました。そのヨシヤの宗教改革の具体的な内容が23章に書かれています。きょうは、この23章をじっくり読む時間はありませんが、さわりのところだけ、ご一緒に読んでみたいと思います。
 23章の2節と3節を、交代で読みましょう。私が2節を読みますから、皆さんで3節を読んでください。

23:2 王は主の宮へ上って行った。ユダのすべての人、エルサレムの住民のすべて、祭司と預言者、および、下の者も上の者も、すべての民が彼とともに行った。そこで彼は、主の宮で発見された契約の書のことばをみな、彼らに読み聞かせた。
23:3 それから、王は柱のわきに立ち、主の前に契約を結び、主に従って歩み、心を尽くし、精神を尽くして、主の命令と、あかしと、おきてを守り、この書物にしるされているこの契約のことばを実行することを誓った。民もみな、この契約に加わった。

 このように宗教改革を進めたヨシヤを列王記の記者は、25節のように書いて絶賛しています。ページをめくっていただいて23章25節です。

23:25 ヨシヤのように心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くしてモーセのすべての律法に従って、主に立ち返った王は、彼の先にはいなかった。彼の後にも彼のような者は、ひとりも起こらなかった。

 しかし、ヨシヤの祖父のマナセの不信仰があまりに甚だしかったため、主はユダの王国を赦しはしませんでした。26節です。

23:26 それにもかかわらず、マナセが主の怒りを引き起こした、あのいらだたしい行いのために、主はユダに向けて燃やされた激しい怒りを静めようとはされなかった。

 こうして、南王国のユダは滅亡へと向かって行き、やがてエルサレムの人々はバビロンへ捕囚として引かれて行きました。それは、ヨシヤの死後、間もなくのことです。私が持っている年表によると、ヨシヤが亡くなったのが紀元前608年で、その2年後の紀元前606年に、ダニエルらがバビロンへ連れて行かれました。エルサレムが滅亡したのは、その20年後の紀元前586年ですが、エルサレムが滅亡する前から、人々は何度かに分けてバビロンに引かれて行きました。
 このヨシヤの時代とバビロン捕囚の時代の、両方の時代にまたがって預言をした預言者がエレミヤです。エレミヤ書を読むと、当時の人々の信仰がどのようなものであったかが、わかります。ヨシヤの信仰は立派だったかもしれませんが、一般の人々の心は、相変わらず神から離れていました。結局のところ、いくらヨシヤが表面的な改革を行っても、人々の心の内側まで変えることはできませんでした。
 エレミヤが人々に、主のことばを必死になって告げても、人々の心は変わりませんでした。
 偶像礼拝にどっぷり浸っている人々に、いくら律法の教えを説いても、それはいっこうに心の中に入ってはいきません。モーセの時代、そして、ルツ・ダビデの時代には、律法の教えは、まだ有効でした。それは、エジプトで苦しい思いをしていたのを、主が助けて下さったという記憶がまだ残り、受け継がれていたからです。自分たちを救って下さった主から与えられた律法だから、守っていこうという気持ちが、まだかろうじてありました。かろうじてというのは、モーセの時代でさえ、イスラエルの人々はさんざん主に反逆したからです。それでもまだ、エジプトから救い出されたという記憶が残っていたので、どうにかこうにか、信仰が引き継がれて行ったのだと思います。
 しかし、イザヤやエレミヤの時代になると、民は自分達がエジプトから救い出されたことなど、実感をもって感じることは全くできないでしょう。エレミヤは再三にわたり、主はイスラエルの祖先をエジプトから連れ出したことを叫びましたが、そういうのを、「馬の耳に念仏」と言うのでしょうね。
 それに比べると、ネヘミヤの時代の人々は、バビロン捕囚という苦しい時代を知っていましたから、律法を守ろうという意識を、強く持つことができました。しかし、その意識が強すぎて、今度は異邦人を追放する、ということになってしまいました。ここでも、結局はエジプトのことが忘れられています。エジプトで異邦人として苦しい思いをしたのだから、異邦人に対して、優しくしなさいというのが、律法の教えでしたが、ネヘミヤの時代以降の人々は、隣人である異邦人を愛することができなくなっていました。

 エレミヤは、そういう時代が到来することを主から告げられて知っていました。
 まず、エレミヤ書の29章10節で、70年後にはバビロン捕囚が解かれて帰還することができることを預言しています。
 ご一緒に見てみましょう。エレミヤ書の29章10節です。私のほうでお読みします。

「まことに、主はこう仰せられる。『バビロンに七十年の満ちるころ、わたしはあなたがたを顧み、あなたがたにわたしの幸いな約束を果たして、あなたがたをこの所に帰らせる。」

 そして、さらにその先のことも見通していました。70年後にバビロンから帰還しても、モーセの時代の契約では、もはや主と共に歩むことはできない、新しい契約が必要であることを見通していました。それが、有名な31章の新しい契約についての箇所です。エレミヤ書31章の31節から33節までを、ここもご一緒に読んでみましょう。31節を私が読みますから、32節を皆さんに読んでいただき、33節は、ご一緒に読みましょう。

31:31 見よ。その日が来る。──主の御告げ──その日、わたしは、イスラエルの家とユダの家とに、新しい契約を結ぶ。
31:32 その契約は、わたしが彼らの先祖の手を握って、エジプトの国から連れ出した日に、彼らと結んだ契約のようではない。わたしは彼らの主であったのに、彼らはわたしの契約を破ってしまった。──主の御告げ──
31:33 彼らの時代の後に、わたしがイスラエルの家と結ぶ契約はこうだ。──主の御告げ──わたしはわたしの律法を彼らの中に置き、彼らの心にこれを書きしるす。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。

 33節の、「わたしはわたしの律法を彼らの中に置き、彼らの心にこれを書きしるす」とは、私たちの心のうちに助け主である聖霊が入ってくださり、すべてのことを教えてくださるということです(ヨハネ14:26)。
 主イエス・キリストは、この新しい契約を結ぶために、私たちの住む、この世に来て下さいました。そして、十字架に掛かり、復活して天に昇った後に、私たちのために聖霊を遣わして下さいました。
 来週からアドベントに入り、クリスマスに向かって、私たちはイエス・キリストが私たちのもとに来てくださったことに、心を向けて行きます。きょう、見て来たように、旧約の時代の人々は、神と共に歩むことがうまくできませんでした。それは、今の時代の私たちにとっても、まったく同じことです。主イエス・キリストは私たちが神と共に歩むことができるよう、赤子となって、ヨセフとマリヤの二人の間に生まれて下さいました。私たちにとって神と共に歩むことは、とても難しいことです。しかし、イエス・キリストを信じるなら、そのことが可能になります。そのことを覚えながら、今週もまた神と共に歩み、アドベントへと向かって行きたく思います。

サウルの最期と信仰者たちの最期(2012.11.23)

2012年11月23日 18時51分51秒 | 祈り会メッセージ要旨
11月22日祈り会メッセージ要旨

『サウルの最期と信仰者たちの最期』
【Ⅰサムエル31:1-13、Ⅰ列王2:1-4】

 「あす、あなたも、あなたの息子たちも私といっしょになろう」(28:19)というサムエルの言葉通り、サウルは最後の時を迎えた。ペリシテ人により、まず息子のヨナタンたちが死に、次いでサウルも射手たちにねらい撃ちにされ、ひどい傷を負った。そしてサウルの生涯は自ら剣の上に自らうつぶせに倒れることで終わった。悲惨な最期であった。主に見離されていたとは言え、最後に主に祈ることはできなかったであろうか。主から離れていたサウルらしい最期であった。
 ヤコブやモーセなど信仰者たちの最期は、後継者たちに後のことを託し、主の祝福の中を歩んで行くことができるよう、主への祈りに満ちたものであった。ダビデもまた死ぬ日が近付いた時、ソロモンに「主の道を守らなければならない」(Ⅰ列王2:3)と伝えた。常に主を恐れ、主を第一にしたダビデらしい最期であった。人の最期の時には、それまでの生き方が、そのまま表れるのである。

11月25日礼拝プログラム

2012年11月23日 07時42分33秒 | 礼拝プログラム
インマヌエル姫路キリスト教会
11月25日礼拝プログラム

礼拝はどなたでも参加できます
お気軽にお越しください

奏楽
賛美① とうとき主のみ救いよ 14
聖書交読 詩篇40篇
祈祷
主の祈り
賛美② 朝つゆの園を 378
賛美③ 私を祝して 463
聖書朗読 Ⅱ列王22:1~13
説教 『滅亡前の最後の善王』  小島牧師
応答の時
賛美④ 聖霊よ 主のそばに 171
献金
祈祷
頌栄 父・子・聖霊の 271
祝福の御言葉
奏楽

主は一つ、信仰は一つ( 2012.11.18.要旨)

2012年11月21日 22時38分10秒 | 礼拝メッセージ要旨
11月18日礼拝メッセージ(要旨)

『主は一つ、信仰は一つ』

【エペソ4:1~16】

はじめに
◎先週は岩上先生を通してアンテオケ教会の宣教の働きを学べて感謝。
◎教会が大きくても小さくても私たちはアンテオケ教会のような働きをすべき。
◎しかし日本はクリスチャンが少ない。なぜ国内だけでなく世界宣教も、か。

Ⅰ 世界宣教の支援を通じて私たちの視野が広がる
A.宣教師の先生方の宣教報告から「主は一つ、信仰は一つ」を学べる。
B.遠い国の、肌の色が異なり、違う言語を話す人々も同じ神を信じている。
C.世界的な視野の中で神の恵みを知ることで、神の大きさがわかる。
D.神は地域限定の神ではなく、地球規模・宇宙規模の神である。

Ⅱ 人類の視野はまだまだ狭く、天動説を卒業していないかのよう
A.視野が狭いと神に対する想像力も大きく広げることができない。
B.アポロ宇宙船が撮った地球の写真は人類の意識を変えたと言われるが…
C.昨今の近隣諸国との領有権の問題や世界情勢を見るとそうは思えない。
D.それほどまでに私たちは自分中心になりやすい罪の性質を持っている。

Ⅲ パウロは傑出して広い視野を持つ人であった
A.もともと優れた知性と豊かな知識を持ったパウロが復活したキリストと出会
って人生が変えられ、固定観念が打ち砕かれてさらに視野が広がった。
B.伝道旅行で様々な場所を巡り、人々と議論してさらに広い視野を得た。
C.エペソ人への手紙の壮大な記述は、そこから紡ぎ出されたものである。
D.広い視野で世界を見て、私たちも「主は一つ、信仰は一つ」を感じたい。

おわりに
「すべてのものの父なる神は一つです」(6節)私たち人類は皆が、このように言える者になりたい。そのためには先ず私たちクリスチャンが「信仰の一致と神の御子に関する知識の一致とに達し、完全におとなになって、キリストの満ち満ちた身たけにまで達する」(13節)ことが必要である。そうすればやがて周囲の人々も、人知を遥かに越えたキリストの愛を知ることができるようになるだろう。

主は一つ、信仰は一つ(2012.11.18 全文)

2012年11月19日 11時03分42秒 | 礼拝メッセージ全文
2012年11月18日 世界宣教主日礼拝メッセージ

『主は一つ、信仰は一つ』
【エペソ4:1~16】

 先週の礼拝で私たちは、岩上先生を通して、神様からの幸いなメッセージをいただくことができて感謝でした。
 先週は、使徒の働きに記されているアンテオケ教会の宣教の働きについて学びました。アンテオケ教会は異邦人伝道の基地となった教会です。また、バルナバとパウロを迎え入れ、エルサレム教会が困窮していた時には支援を行うという懐の深さも持った教会でした。そして、バルナバとパウロが世界宣教への伝道旅行に出て行った時には、祈りを持って送り出し、支えました。
 先週のメッセージで私たちは、教会が大きくても小さくても、アンテオケ教会のような働きをしなければならないことを学ぶことができました。そして今、インマヌエルの群れは、ザンビア、ケニア、カンボジア、香港、フィリピン、台湾、ボリビア、また東京の中国人系のキリスト教会に宣教師の先生方を送り出しています。きょうのこの説教の時間の後半では、この宣教師の先生方の宣教地からの報告のDVDを観ることにしています。これもまた感謝なことです。
 宣教は、国内宣教と世界宣教の大きく二つに分けることができると思います。国内に目を向けてみると、私たちの国・日本のクリスチャンの割合は非常に低いです。ですから、インマヌエルの群れが世界に宣教師を送り出している地域のほとんどが、日本に比べればクリスチャンの割合が高いのではないかなと思います。つまり、世界的に見ても日本は最も福音が必要とされている地域と言えるのだと思います。それなのに、なぜわざわざ日本から、日本よりクリスチャンの割合が高い地域に宣教師を送り出す必要があるのでしょうか。日本国内での牧師不足が深刻になっている今、私たちは何故わざわざ宣教師を送り出す必要があるのでしょうか。
 理由の一つは、イエスさまがそうしなさいと命じているということがあるでしょう。しかし、主が命じているから、そうするというだけでは、安息日を頑なに守るパリサイ人とあまり変わらないことになってしまいます。ですから、他にも理由があるでしょう。
 それは、今日のメッセージのタイトルでもある、「主は一つ、信仰は一つ」であることを学ぶためであろうと思います。宣教師の先生方による宣教地からの報告のDVDを観て、遠い国の、肌の色が異なり、異なる言葉を話す人々も、皆、同じ神を信じていることを知ることで、「主は一つ、信仰は一つ」であることを学ぶためであると思います。世界的な視野の中で神の恵みを知ることで、神の大きさがわかるのだと思います。神様は、地域限定の神様ではなく、地球規模、宇宙規模の神様です。
 今月の第一の主日の伝道礼拝で、私は「地動説的な神観のすすめ」というタイトルで説教をしました。地動説的に神を観るとは、地球を離れた所から神を観るということです。そうすることで、神様がいかに大きい方であるか、ということが良くわかってきます。
 逆に、視野が狭いと、神に対する想像力も大きく広げることができず、神の役割も限定的にしか考えられなくなります。多神教とはそのような狭い世界観から生まれたのではないかと思います。そして私たちも気を付けないと、神様を小さく観てしまいがちになってしまいます。そのような私たちに、海外で宣教の働きをしている先生方の報告は、私たちの視野を広げてくれることに、大きく役立ちます。
 きょうの礼拝の後の運営委員会では、クリスマスのチラシの案をお見せしますが、私はそのチラシの中に、宇宙から見た地球の写真を入れて見ました。アメリカのNASAが提供している写真で、NASAの写真は無料で自由に使って良いことになっているそうですので、使ってみました。私が使った写真は比較的最近のものですが、NASAの地球の写真では、非常に有名な写真があります。それは、アポロ宇宙船から撮った地球の写真です。アポロ宇宙船というのは、アメリカが1960年代から70年代に掛けて、月の探査をするために打ち上げたもので、人類はこのアポロ宇宙船からの写真によって初めて、宇宙に浮かぶ小さな地球の姿を見ることができました。地球は、地上にいる私たちから見ると大きいですが、宇宙から見れば小さな星です。しかし、小さいけれども、青くて、とても美しい星であることがわかりました。その小さくて美しい星の上で人間は戦争をして殺し合い、また大量の汚染物質を排出して汚しています。アポロ宇宙船からの地球の写真は、人類にそのことを気付かせてくれて、特に平和と環境の問題の意識を大きく変えたと言われています。
 ただ私は、昨今の日本の隣国との領有権の問題や、世界の情勢を見ていると、まだまだ私たち人類は地球規模の視野を持つに至っていないように思います。それほどまでに、私たちは自分中心になりやすい罪の性質を持っています。人類は天動説を卒業して地動説を信じるようになり、アポロ宇宙船からの地球の写真を観てもなお、完全に天動説の世界観から脱し切れていないように思います。そのような人類は、実はまだ天動説を卒業していないのかもしれません。

 このように現代人でさえ、まだまだ十分に視野が広まっているとは言えない中で、きょうの聖書箇所のエペソ人への手紙を書いたパウロは、当時としては、傑出して広い視野を持った人物ではなかったかと思います。先週のメッセージにもあったように、パウロはアンテオケを拠点にして3回の伝道旅行に出ました。第2次伝道旅行と第3次旅行では、ヨーロッパのギリシャにも足を延ばす遠大な旅でした。そして第3次伝道旅行を終えてエルサレムまで戻って来た時に、パウロは捉えられて、ローマまで送られました。このエペソ人への手紙は、その囚われの身となっていた時のローマで書かれたものです。パウロはもともと優れた知性を持ち、広く豊かな知識を持っていた人物ですが、復活したイエス・キリストに出会ったことで人生を大きく変えられました。先ず、このことにより、それまでの固定観念を打ち砕かれ、広い視野を持つことができるようになったのだと思います。そしてさらに伝道旅行で、それまで知らなかった場所を巡り、そこで人々と議論し、伝道することで、さらに視野が広げられたのだろうと思います。

 きょうの聖書箇所はエペソ人への手紙の4章ですが、その少し手前の3章17節から19節に掛けての壮大な記述は、私が最も好きな聖書箇所の一つです。これまでも、何度かここを引用して来たと思いますが、せっかくページが開かれていますので、ご一緒に読んでみたいと思います。エペソ人への手紙3章の、17節を私が読みますから、18節を皆さんで読んで下さい。そして、19節をご一緒にお読みしたく思います。

3:17 こうしてキリストが、あなたがたの信仰によって、あなたがたの心のうちに住んでいてくださいますように。また、愛に根ざし、愛に基礎を置いているあなたがたが、
3:18 すべての聖徒とともに、その広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解する力を持つようになり、
3:19 人知をはるかに越えたキリストの愛を知ることができますように。こうして、神ご自身の満ち満ちたさまにまで、あなたがたが満たされますように。

 当時の人としては傑出して広い視野を持つパウロが、このような壮大な記述をした後で、「主は一つ、信仰は一つ、バプテスマは一つです」と、4章5節で書いていることを覚えたく思います。
 そうして6節で、

「すべてのものの上にあり、すべてのものを貫き、すべてのもののうちにおられる、すべてのものの父なる神は一つです」

とパウロは書いています。 
 私たち人類は、皆が、このように言える者にならなければなりません。そのために、私たちクリスチャンが果たすべき役割はとても大きいと思います。そのために、私たちは、もっともっと信仰において成長する必要があると思います。
 そして、まず私たちクリスチャンが、13節にあるように、

「私たちがみな、信仰の一致と神の御子に関する知識の一致とに達し、完全におとなになって、キリストの満ち満ちた身たけにまで達する」

ことが、必要だと思います。そうなることで、私たちの周囲の人々も、人知を遥かに越えたキリストの愛を知ることができるようになり、「主は一つ、信仰は一つ」という信仰の一致に達することができるようになります。
 主は一つ、信仰は一つです。そのことを覚えながら、宣教報告のDVDをこれから観ることにします。

信仰の良い循環の中にあったダビデ(2012.11.15)

2012年11月16日 13時53分41秒 | 祈り会メッセージ要旨
11月15日祈り会メッセージ要旨

『信仰の良い循環の中にあったダビデ』
【Ⅰサムエル30:1-31】

 ダビデたちがアキシュの所にいる間にツィケラグがアマレク人に襲われており、妻子たちは連れ去られていた。ダビデたちは声をあげて泣いた。そして民が皆、ダビデを石で打ち殺そうと言い出した。この時ダビデは主によって奮い立った。ダビデにとっては大変なピンチであったが、常に主を恐れ、主を第一にしていたことの故に、主がこのピンチを救って下さった。このように、ダビデの信仰は良い循環の中にあった。主への信仰がダビデを助け、そのことがまたダビデの信仰を深め、そうして主によって王にふさわしい者へとされて行ったのである。
 主の「追え。…必ず救い出すことができる」(8節)という声に従ってアマレク人を打ち、多くの分捕り物を得た時もダビデは「主が私たちを守り、私たちを襲った略奪隊を私たちの手に渡されたのだ」(23節)と言って戦利品を皆で分け合った。こうしてダビデは王の風格をすっかり身に付け、次章でサウルは死んだ。

11月18日世界宣教主日礼拝

2012年11月16日 09時02分20秒 | 礼拝プログラム
インマヌエル姫路キリスト教会
11月18日世界宣教主日礼拝プログラム

礼拝はどなたでも参加できます
お気軽にお越しください

奏楽
賛美① ベツレヘムに生まれて 103
聖書交読 イザヤ52:1~10
祈祷
主の祈り
使徒信条
賛美② 朝つゆの園を 378
賛美③ なやむ世びとのために イ349
聖書朗読 エペソ4:1~16
説教 『主は一つ、信仰は一つ』  小島牧師
応答の時
賛美④ 私たちは一つ(2回) 450
献金
祈祷
頌栄 父・子・聖霊の 271
祝福の御言葉
奏楽