先日、ひとつのことが終わりました。
別に失恋したとかでもなんでもなく、まあ、もうひとつの仕事を退職致しましたのですが。
もともと期間限定のものだったので、特に感慨もなく終わるだろうと思っていたら、予想外にとてもとても好きになってしまって、昨日はぼろぼろ泣いていました。
それだけ好きになれる場所、人たちに会えたことがとてもうれしいです。
ひまわりという、こちらのバイト。
入ったり抜けたりですが、こちらも、あともう少しだけ、お世話になります。
来月からは、平日に顔をださせて頂くかもしれません。
もし見かけた際は、よろしくお願い致します。
・・・というわけで。
過去日記など、書いてみます。
今年の初め、中国、ラオスを旅したときの、回想日記です。
****************************
中国の昆明という街を出て、わたしと旅の相方、Iは、大理へと移動することにした。
移動手段としては電車を使うのだが、中国の長距離列車には等級があるというこをご存知だろうか。
堅い椅子→堅いベッド→柔らかい椅子→柔らかいベッド。
噂によると、この柔らかいベッドは、飛行機のチケットよりも高いのだとか。
体調がお世辞にも芳しいとはいえないわたしたち二人が選んだのは、当然・・・・
・・・・堅い椅子。
だって安いんだもの(8時間の移動で、47元。650円くらい)。
いやいや、このほうが旅っぽいから。
当日、朝9時45分、。
昆明駅についたわたしは、まず、その駅の大きさに驚いた。
当然のごとく荷物チェックはあり、ホームに下りる出入り口は飛行機の搭乗口のよう。
下に降りると、そこにはわたしたちが乗る列車があった。
想像以上の大きさ。
長く大きく、二階建てのその列車に、わたしはうきうきと足を踏み入れたものだ。
中にはいると、扉のない小さな個室のようなところに、三段ベッドが二つ、対面に設置してあった。
その一番下のベッドが座席となり、そこにそれぞれ4人、合計個室に8人がつめこまれる。
では上のベッド二段はどうするのかというと、各々大量に持ち込んだ荷物置き場となるのだ。
そうして約8時間、空気のよどんだ楽しい狭苦しい車内で過ごすことになったのだった。
今でも思い出すと目を閉じたくなる。
目をつむる以外、あの車内では何もしようがなかった。
車内ではなぜか「君をのせて」やクリスマスソングが流れていた。
対面の椅子ではいちゃいちゃする若いカップル、隣の隣の席では大声で笑う夫婦。
カップラーメンの匂いが漂う中、時折思い出したように冷房の風がはいる。
が、基本的に空気が動かないこの狭苦しい個室の中では焼け石に水。
あまり整備されていないのだろう、列車はがたがたと揺れ、時折思い出したように急ブレーキもどきをかける。
はじめて座ったときには、予想していたより柔らかいなと喜んだ椅子は、一時間もしないうちに尻が痛くなり始めた。
ろくに身動きが取れない中、もぞもぞと動く。
トイレはついている。
小さな個室に行商人のように商品をひろげた売店のようなところもあった。
30分おきくらいに、ゴミはないかと頻繁に訪れるスタッフ。
ああ、体調が万全だったらさぞかし楽しかっただろうなあと、遠くの窓の景色をそっとみては息をはく旅路だった。
そうして午後6時ごろ。
列車は大理へとたどりついた。
降りてみて、驚いた。
都会だ。
人が少ない分、昆明よりもむしろ機能的にみえる。
宿のみなが口をそろえて「あそこはいい!」といっていたので、てっきオーストラリアのバイロンベイのようなヒッピー系の町かと思っていたので、この近代的な町には少々驚いたものだ。
首をかしげていると、何度かここを訪れたことのあるIが、「ここからバスにのるよ」といった。
言われるままに1.5元を払い、乗ること30分。
都会的だった景色は一変し、馬や牛や犬が池のまわりをうろつく牧歌的な雰囲気へとかわり、それもやがて、到着する頃には、一気に様変わりした。
古城。
という街らしい。
道路のかわりに敷かれた石畳。
ビルのかわりに並ぶ古い街並み。
白族と呼ばれる民族が多く住まう街
わたしが今回の旅で見てきたどの街よりも、そこは「中国」だった。
バックパッカーたちの姿もちらほらと見かける。
春節(旧正月)に向けて売られる爆竹、鳴らされる破壊音を背景に、歩くこと数分、今回の宿、bird barにたどり着いた。
ついたよの言葉に顔をあげると、一言でいうと・・・ぼろい。
小さい。古ぼけた。
ちょっと「ん?」って思いながら中にはいると、二度びっくり。
外観からは想像できない素敵さぶり。
広くとられた内庭には、暖かい時期はみなが集まるのだろう、大きなソファや、日向で語らうためのテーブルが置かれ、レセプションはBARと兼任で、その部屋には薪ストーブが燃えている。大きなビリヤード台に、すてきなインテリア。
呆然としているわたしの目の前を、太った猫が身体を縮めたかと思うと、丸椅子の上にジャンプをした。
何これ、すてきじゃーん!
今回、ドミトリーは空いていなかったので、ツインルーム。
それでも一人40元。
入ってみると、これまたすてきなお部屋。
大きなベッド。綺麗にベットメーキングされている。
水色のソファに絨毯、壁には小さな絵がいくつかかかり、シャワールームはひろく、歯ブラシ、綺麗なタオル、ハンドタオル、ボディソープ、シャンプーリンスまである。
正直ゲストハウスという部類でここまで素敵なところはめったにない。
今までで一番のデザイナーズルームだ。
うふふふと笑いながら悦にはいり、すてきだなあと連発していると、先にシャワーをあびたIが一言。
「いや、でも、いろいろとあるけどね、この部屋」
「ん?」
「日本人ならまず気にするというか・・・」
あら、思わせぶりな。
思いながら、滞在すること一時間。
うん、わかってきました。
まず、寒い。
日当たりのせいだろうか、ぶっちゃけ外より寒い。
冷え冷えとした空気。
そして照明が暗い。
オレンジ色の白熱灯はムーディーでとてもよろしいのだが、正直暗い。
さて、肝心のシャワールームはどうかといえば、ユニット形式なのだが、一応トイレとシャワーの間には半分壁がある。
そしてトイレ部分には明かりというものが存在しない。
昼は天井から光がさしこみ、たいそう明るいのだが、夜はほぼ真っ黒。
なんとか見えるがどっちかっていうと真っ暗だなあというかんじ。
おそらくこの部屋の設計者は昼間向けにつくったに違いない。
シャワールームと部屋の間には壁があるが、なぜか窓もある。窓には当然カーテンもついているが、なぜここに窓をつけるのか疑問を投げかけてみたい。
そしてシャワールームのドアノブ。
壊れてらっしゃる。あの丸い、手でもつところが食いちぎられでもしたかのような壊れっぷり。
固いわ痛いわで、扉があかず、がちゃがちゃしていたら外からIがあけてくれた。
総評すると、ムーディーさのかげに隠れる中国さ、というところか。
何にしろ、ベッドがホットカーペットがあるのがありがたかった。
そんな今日このごろ。
わたしは風邪と食あたり(たぶん)のダブルコンボ。
咳はごほごほ喉は痛いわ鼻水でるわ水飲んでもくだすわ、なかなかの最悪っぷり。
相方は相方で食当たっている様子で、二人してここ数日、ろくにものを食べていない。
三食?何それ。状態だ。
それでもとりあえず街はふらふらと徘徊し、スカートなど購入し、腹具合がおかしくなったら脂汗を流しながらすてきな有料公衆トイレにはいる。受付のおばちゃんに3マオ(4.5円)を払うと、扉なし溝が一本ひいてあるトイレがお出迎え。つんとするニオイが鼻にくる。
最後のほうには、わたしの体調は最悪に悪化していた。
ここ一週間ばかりも芳しくなかったけれど、この日は、ベッドから起き上がることすらできなかった。
震えがとまらずどれだけ着込んでも寒い。
水分をとったほうがいいと思いつつも、水を飲むとくだすからそれも怖くてままならず。
結局その日食べたのは、みかん一つ。
そもそも、大理の最後の一日は、宿を移動したのだが、この急降下は、まさにその瞬間だった。
それまで泊まっていた宿が、春節だということで大幅値上がりすると聞いたのだ。。
40→100元。それはないわとわたしたちはT宿に移動することにした。
この宿。
いわゆる長期滞在者の宿で、これまでの宿とは一風かわっていた。
旅の愛読書、沢木耕太郎氏の世界の中の宿のようだ。
去年、大麻で警察の手入れがはいり、営業停止、今はアンダーグラウンドで活動中だそうだ。
一見出入り口とはわからない扉から入ると、まずバーがあり、居心地のよさそうなソファがならぶ。その奥には箱庭のような庭があり、壁にはアーティスティックな絵がかかれ、その壁の内側に部屋がある。
日本人の長期滞在者もいた。
世界中を旅しているミュージシャン。
ちょっと顔色悪いけど、やさしいどこの国かわからないおにーちゃん。
泊り客は、実に多種多様だったけれど、みな、ある種の同じ雰囲気をもっていたような気がする。
みな心優しく声をかけてくれる。
が、わたしはかつてなくバッドな体調。
夜はずっとパーティがひらかれ、楽しそうな声と音楽、楽器の声が耳をすまさずとも聞こえてくる。
何せ壁が特別素材。
同室の女の子はにっこりと教えてくれた。
「この部屋は暖かいでしょ? 発砲スチロールが壁だからだよ♪」
はっぽうすちろーる・・・。
震える手で壁をたたくと、ぽこぽこと、なるほど軽い感触。
小学校の図工の時間で、発泡スチロールでつくった船をプールに浮かべたなあと思いながら、もうあとはひたすら熱に浮かされる。
そんな、大理、最後の夜だった。
結局。
大理にいたのは、わずかな間だった。
けれど、いろいろな意味で、忘れられない思い出がたくさんできた。
外にでると、雲と山が近い。
あの町の、わたしの一番のイメージは、そんなところです。
別に失恋したとかでもなんでもなく、まあ、もうひとつの仕事を退職致しましたのですが。
もともと期間限定のものだったので、特に感慨もなく終わるだろうと思っていたら、予想外にとてもとても好きになってしまって、昨日はぼろぼろ泣いていました。
それだけ好きになれる場所、人たちに会えたことがとてもうれしいです。
ひまわりという、こちらのバイト。
入ったり抜けたりですが、こちらも、あともう少しだけ、お世話になります。
来月からは、平日に顔をださせて頂くかもしれません。
もし見かけた際は、よろしくお願い致します。
・・・というわけで。
過去日記など、書いてみます。
今年の初め、中国、ラオスを旅したときの、回想日記です。
****************************
中国の昆明という街を出て、わたしと旅の相方、Iは、大理へと移動することにした。
移動手段としては電車を使うのだが、中国の長距離列車には等級があるというこをご存知だろうか。
堅い椅子→堅いベッド→柔らかい椅子→柔らかいベッド。
噂によると、この柔らかいベッドは、飛行機のチケットよりも高いのだとか。
体調がお世辞にも芳しいとはいえないわたしたち二人が選んだのは、当然・・・・
・・・・堅い椅子。
だって安いんだもの(8時間の移動で、47元。650円くらい)。
いやいや、このほうが旅っぽいから。
当日、朝9時45分、。
昆明駅についたわたしは、まず、その駅の大きさに驚いた。
当然のごとく荷物チェックはあり、ホームに下りる出入り口は飛行機の搭乗口のよう。
下に降りると、そこにはわたしたちが乗る列車があった。
想像以上の大きさ。
長く大きく、二階建てのその列車に、わたしはうきうきと足を踏み入れたものだ。
中にはいると、扉のない小さな個室のようなところに、三段ベッドが二つ、対面に設置してあった。
その一番下のベッドが座席となり、そこにそれぞれ4人、合計個室に8人がつめこまれる。
では上のベッド二段はどうするのかというと、各々大量に持ち込んだ荷物置き場となるのだ。
そうして約8時間、空気のよどんだ楽しい狭苦しい車内で過ごすことになったのだった。
今でも思い出すと目を閉じたくなる。
目をつむる以外、あの車内では何もしようがなかった。
車内ではなぜか「君をのせて」やクリスマスソングが流れていた。
対面の椅子ではいちゃいちゃする若いカップル、隣の隣の席では大声で笑う夫婦。
カップラーメンの匂いが漂う中、時折思い出したように冷房の風がはいる。
が、基本的に空気が動かないこの狭苦しい個室の中では焼け石に水。
あまり整備されていないのだろう、列車はがたがたと揺れ、時折思い出したように急ブレーキもどきをかける。
はじめて座ったときには、予想していたより柔らかいなと喜んだ椅子は、一時間もしないうちに尻が痛くなり始めた。
ろくに身動きが取れない中、もぞもぞと動く。
トイレはついている。
小さな個室に行商人のように商品をひろげた売店のようなところもあった。
30分おきくらいに、ゴミはないかと頻繁に訪れるスタッフ。
ああ、体調が万全だったらさぞかし楽しかっただろうなあと、遠くの窓の景色をそっとみては息をはく旅路だった。
そうして午後6時ごろ。
列車は大理へとたどりついた。
降りてみて、驚いた。
都会だ。
人が少ない分、昆明よりもむしろ機能的にみえる。
宿のみなが口をそろえて「あそこはいい!」といっていたので、てっきオーストラリアのバイロンベイのようなヒッピー系の町かと思っていたので、この近代的な町には少々驚いたものだ。
首をかしげていると、何度かここを訪れたことのあるIが、「ここからバスにのるよ」といった。
言われるままに1.5元を払い、乗ること30分。
都会的だった景色は一変し、馬や牛や犬が池のまわりをうろつく牧歌的な雰囲気へとかわり、それもやがて、到着する頃には、一気に様変わりした。
古城。
という街らしい。
道路のかわりに敷かれた石畳。
ビルのかわりに並ぶ古い街並み。
白族と呼ばれる民族が多く住まう街
わたしが今回の旅で見てきたどの街よりも、そこは「中国」だった。
バックパッカーたちの姿もちらほらと見かける。
春節(旧正月)に向けて売られる爆竹、鳴らされる破壊音を背景に、歩くこと数分、今回の宿、bird barにたどり着いた。
ついたよの言葉に顔をあげると、一言でいうと・・・ぼろい。
小さい。古ぼけた。
ちょっと「ん?」って思いながら中にはいると、二度びっくり。
外観からは想像できない素敵さぶり。
広くとられた内庭には、暖かい時期はみなが集まるのだろう、大きなソファや、日向で語らうためのテーブルが置かれ、レセプションはBARと兼任で、その部屋には薪ストーブが燃えている。大きなビリヤード台に、すてきなインテリア。
呆然としているわたしの目の前を、太った猫が身体を縮めたかと思うと、丸椅子の上にジャンプをした。
何これ、すてきじゃーん!
今回、ドミトリーは空いていなかったので、ツインルーム。
それでも一人40元。
入ってみると、これまたすてきなお部屋。
大きなベッド。綺麗にベットメーキングされている。
水色のソファに絨毯、壁には小さな絵がいくつかかかり、シャワールームはひろく、歯ブラシ、綺麗なタオル、ハンドタオル、ボディソープ、シャンプーリンスまである。
正直ゲストハウスという部類でここまで素敵なところはめったにない。
今までで一番のデザイナーズルームだ。
うふふふと笑いながら悦にはいり、すてきだなあと連発していると、先にシャワーをあびたIが一言。
「いや、でも、いろいろとあるけどね、この部屋」
「ん?」
「日本人ならまず気にするというか・・・」
あら、思わせぶりな。
思いながら、滞在すること一時間。
うん、わかってきました。
まず、寒い。
日当たりのせいだろうか、ぶっちゃけ外より寒い。
冷え冷えとした空気。
そして照明が暗い。
オレンジ色の白熱灯はムーディーでとてもよろしいのだが、正直暗い。
さて、肝心のシャワールームはどうかといえば、ユニット形式なのだが、一応トイレとシャワーの間には半分壁がある。
そしてトイレ部分には明かりというものが存在しない。
昼は天井から光がさしこみ、たいそう明るいのだが、夜はほぼ真っ黒。
なんとか見えるがどっちかっていうと真っ暗だなあというかんじ。
おそらくこの部屋の設計者は昼間向けにつくったに違いない。
シャワールームと部屋の間には壁があるが、なぜか窓もある。窓には当然カーテンもついているが、なぜここに窓をつけるのか疑問を投げかけてみたい。
そしてシャワールームのドアノブ。
壊れてらっしゃる。あの丸い、手でもつところが食いちぎられでもしたかのような壊れっぷり。
固いわ痛いわで、扉があかず、がちゃがちゃしていたら外からIがあけてくれた。
総評すると、ムーディーさのかげに隠れる中国さ、というところか。
何にしろ、ベッドがホットカーペットがあるのがありがたかった。
そんな今日このごろ。
わたしは風邪と食あたり(たぶん)のダブルコンボ。
咳はごほごほ喉は痛いわ鼻水でるわ水飲んでもくだすわ、なかなかの最悪っぷり。
相方は相方で食当たっている様子で、二人してここ数日、ろくにものを食べていない。
三食?何それ。状態だ。
それでもとりあえず街はふらふらと徘徊し、スカートなど購入し、腹具合がおかしくなったら脂汗を流しながらすてきな有料公衆トイレにはいる。受付のおばちゃんに3マオ(4.5円)を払うと、扉なし溝が一本ひいてあるトイレがお出迎え。つんとするニオイが鼻にくる。
最後のほうには、わたしの体調は最悪に悪化していた。
ここ一週間ばかりも芳しくなかったけれど、この日は、ベッドから起き上がることすらできなかった。
震えがとまらずどれだけ着込んでも寒い。
水分をとったほうがいいと思いつつも、水を飲むとくだすからそれも怖くてままならず。
結局その日食べたのは、みかん一つ。
そもそも、大理の最後の一日は、宿を移動したのだが、この急降下は、まさにその瞬間だった。
それまで泊まっていた宿が、春節だということで大幅値上がりすると聞いたのだ。。
40→100元。それはないわとわたしたちはT宿に移動することにした。
この宿。
いわゆる長期滞在者の宿で、これまでの宿とは一風かわっていた。
旅の愛読書、沢木耕太郎氏の世界の中の宿のようだ。
去年、大麻で警察の手入れがはいり、営業停止、今はアンダーグラウンドで活動中だそうだ。
一見出入り口とはわからない扉から入ると、まずバーがあり、居心地のよさそうなソファがならぶ。その奥には箱庭のような庭があり、壁にはアーティスティックな絵がかかれ、その壁の内側に部屋がある。
日本人の長期滞在者もいた。
世界中を旅しているミュージシャン。
ちょっと顔色悪いけど、やさしいどこの国かわからないおにーちゃん。
泊り客は、実に多種多様だったけれど、みな、ある種の同じ雰囲気をもっていたような気がする。
みな心優しく声をかけてくれる。
が、わたしはかつてなくバッドな体調。
夜はずっとパーティがひらかれ、楽しそうな声と音楽、楽器の声が耳をすまさずとも聞こえてくる。
何せ壁が特別素材。
同室の女の子はにっこりと教えてくれた。
「この部屋は暖かいでしょ? 発砲スチロールが壁だからだよ♪」
はっぽうすちろーる・・・。
震える手で壁をたたくと、ぽこぽこと、なるほど軽い感触。
小学校の図工の時間で、発泡スチロールでつくった船をプールに浮かべたなあと思いながら、もうあとはひたすら熱に浮かされる。
そんな、大理、最後の夜だった。
結局。
大理にいたのは、わずかな間だった。
けれど、いろいろな意味で、忘れられない思い出がたくさんできた。
外にでると、雲と山が近い。
あの町の、わたしの一番のイメージは、そんなところです。