約五百年前の今日、1500年3月20日(旧暦2月20日)はオヤケアカハチが琉球王府軍との戦い(アカハチホンガワラの乱)に破れ、戦死した日です。
オヤケアカハチについては、八重山の英雄として、改めて説明することも無いくらい、みなさんよくご存じかと思います。舞台劇も何度か上演されています。
そんな英雄も中山王府から見ると、中央集権化を進める上での邪魔者だったわけですね。
金城哲夫はウルトラマンに登場する怪獣レッドキングの由来はアカハチであると言っていましたが、まさに中央側から見ると辺境の地の怪獣のような反逆者だったのでしょう。
八重山は長く一つの文化圏を形成し、独自に歩んできました。
オヤケアカハチは波照間で生まれ、幼少の頃から頭角を表していたといいます。
八重山で勢力を拡大していったアカハチは、すでに中山王府から宮古の首長を任じられていた仲宗根豊見親からの年貢を断るなど、中央に反目する勢力になっていきました。
八重山の中には仲宗根豊見親と親族関係になり王府と組む勢力、長田大主もいましたが、アカハチは長田大主一族を討ち滅ぼしてしまいます。八重山で内戦があったわけですね。こうしてアカハチの勢力が増大していくにつれ、王府や仲宗根豊見親は「これはけしからん奴だ」と思ったわけです。
で、1500年、王府は46隻の船に3,000人の軍勢でアカハチ討伐に出兵します。
迎えるアカハチ軍は、海岸で女性たちが両手に草木を持って踊り、呪術を唱え、相手を呪います。 王府軍はそれを見て「日が悪い」といったん引き返します。なんとものんびりとした戦いです。
翌日、王府軍は新川と登野城の二手に別れて上陸し、挟み打ちにして、アカハチを討ち取ります。
こうして王府の統治は宮古、八重山まで及ぶようになり、中央集権化が進むようになっていくのです。
時代に翻弄された反逆者、地元のヒーロー、オヤケアカハチ。なんだかマブヤーのハブクラーゲンやハルサーエイカーのチリー・ドブーと通じるものを感じます。私だけかも知れませんが。
琉球の中にもこういう構図があったわけですね。
暑中お見舞い申し上げます。
未だにメ-ル不通で、コメント欄にご挨
拶申し上げます。
オヤケアカハチ・・・>みなさんよくご存
知かと思います。
もちろん知りませなんだ。
今頃、「伊波南哲」の書いた児童文学で読んでいます。
作者のことでも、感動しています。
・・・と遅れに遅れて、よちよちと着い
ていってます。と言いたいのですが、
てぃんが-らさんの過去のブログを読
むにつれ、やっぱり博学な人に・・・
と、今更ながら恐ろしくなりました。
お婆のことですから、大目に見てください。
メール復活しましたら、またラブレタ-書かせてください。
とにかくお元気で、健康に気をつけて
下さいね。(ブログ、他の観光案内に
なっていて、昨日は戸惑いました。)
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