平方録

この瞬間も時は刻まれてゆく

三が日というのはいつの年でも、あっという間に過ぎ去るものである。
あっという間に過ぎ去って仕事が本格的に始まると、そこから1月が過ぎ去るのに随分と時間がかかる。かかったものである。
正月から随分経ったなあ、と思っても月半ばに達したばかりの15日くらいだったりする。
そして2ヶ月くらい経ったんではないかと思う1月がようやく終わると、今度はあっという間に、気がつくと3月が終わりかけていたりして、えっ、もう4月か、などと慌てたものである。

さて、今年はこれまでとは違う。どんな時の過ぎ方になるのだろう。
自由人となった7月以降を振り返ると、時の流れは早くもなく、遅くもなかったように思う。
まぁ、どのみち長ぁ~く感じるのは1月だけだったから、他の11ヶ月はあまり比較の対象にならない。
こんなことを考えること自体、暇人になった証拠かもしれない。しかし、それはそれで喜ぶべきことに違いない。
刻々と刻まれて行く時をじっと眺めて思いを致すなどという芸当は、若いうちは出来るわけがないからである。
新たな境地というべきか。

姫は年末の29日の夕方にやってきて、元旦の夕方には分かれた。
正味3日間、ボクの3が日はあっという間に過ぎ去って行った。
楽しい時間があっという間に過ぎ去るのは竜宮城へ行った浦島太郎と同じである。玉手箱は残していかなかったから一気に更ける心配はないが、よくよく考えてみれば、既に玉手箱を開けてしまった年格好なんである。

姫の時間と言うのは、どのような具合に流れているのだろう。
来し方を振り返ってみれば、幼少期には大人がみな甘くなる正月が早く来ないかなぁとか、あと何日で遠足だとか、楽しいことを指折り数えて待つことはあっても、時の経つのが早いとか遅いとか、考えもしなかった。
当然である。大人に向かって「今年も1月が過ぎ去るのに随分時間がかかるね」などと言う子どもなんて、いるはずがない。
楽しいことばかりで時はぐんぐん流れているのではないか。よしんば、喧嘩して涙を流したり、おもちゃを買ってもらえないで拗ねてみたところで、一晩眠ればケロッと忘れてしまっているはずである。
興味の対象は次から次に尽きるところがないんである。

地球上の誰にも平等に1日24時間が与えられてはいるが、その流れ方は星の数ほどもあるんだろう。
あっという間にやってくる4月からは、ピッカピカの1年生。
春秋に富んだ姫は新たな時を刻んで行くことになる。

ん、自分の時間? そりゃあ自然の摂理に従うほかありませんナ。



2014年を締めくくる陽を浴びる長谷の大仏=12月31日
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