平方録

銘酒「ひとりよがり」

山形に「ひとりよがり」という銘柄の日本酒があり、これが、名前とは裏腹に、酒どころ山形の酒らしく、コクのある、やや甘口ながら、なかなかいける酒なのである。
急にこんなことを思い出したのは、日本の首相がアメリカを訪れているニュースの中で、ホワイトハウスでの大統領との晩さん会に供された日本酒が山口県の「獺祭」と知って、それならこちらの方が良かったのではないか、と思ったのだ。

ホワイトハウスの話は以上。これで終わり。
あとは、どこかで読んだような記憶があるものの、何で読んだのかさっぱり忘れてしまったが、ふと浮かんだ断片をつなぎ合わせてみたものである。

                     *

水戸黄門の諸国漫遊ではないが、かの超のつく大きな米屋が諸国の米の出来具合に目を光らせる上で、さすがに1人では何かと不自由と見えて、大概の場合、イギリス屋という洋服屋を助さん代わりに一緒に伴っているが、格さん役がいなかったのである。
随分と前から、めっぽう腕の良い職人一家に目を付け「供をせい、供をせい」と言い続けてきたが、その職人一家には「最後の最後に使うのなら仕方ないが、あらかじめ喧嘩をするための道具を携えて外出することはまかりならん」という家訓があって、如何に頼りにしている兄貴の誘いであっても、道中危険も付き物で、おいそれと従うことが出来なかったという事情があった。

しかし、近所に、かつてよくいじめ、傷めつけた子がいて、それが今や随分と立派に成長し、力も随分とつけてきた。仲直りをしたつもりだが、いつ仕返しされるかわからない、と心配は募るばかりである。

ならば、積極的に遊びに出掛け、あれやこれや得意の“技術ごっこ”や“工作作り”などで遊び、やり方を教えたり教わったりして仲良くすればよいものを、そういう「積極的平和ごっこ」は嫌いと見えて、距離を置いて顔色ばかりうかがっている。
そんなわけだから、相手だって仲良くしてくれないかなと思っているのに気付かないだけでなく、時々、隣の子が嫌がる“靖国ごっこ”で嬉しそうに一人遊びをするものだから、話は複雑になってしまう。
素直に「遊びましょ」と声をかければいいのにと、いつも思うんである。
ご近所さんとは仲良くしておくのが良いに決まっている。「遠くの親戚より近くの他人」なのに…

結局、仲良くする道を選ばずに、遠くに住んでいる兄貴に睨みを利かせてもらおうと、守り続けてきた家訓をどぶに捨て、何かあれば押っ取り刀で駆けつける約束をしてきてしまったのである。
喜んだのは兄貴である。長いこと誘い続けた格さん役が「うん」と言ったのだから。
大いに喜んだ兄貴は一族郎党を集め、奥の座敷の上座に座らせて「挨拶の口上」までさせさせてくれる厚遇ぶりである。

これで助さん格さんがそろった。嬉しくてしょうがない米屋が、無理に出掛けなくてもいいような漫遊の旅に出ないかと心配である。
なぜって、格さんには供をする路銀とか、道中携えていく道具とかを新たにあつらえる必要もある。特に豊かでもなくなってきた懐具合を考えれば、心配の種は尽きない。
なにかあれば、兄貴の蔭に隠れていればよいというのでは供の用を成さない。自らも身体を張らなくてはなるまい。物見遊山に出掛けるわけではない。そういう覚悟も必要なのである。

加えて大事なことが残っている。
家訓はどぶに捨てる約束をしてしまったが、この家訓はそもそも職人一家全員のもので、許可なく勝手に1人で決めてしまっていいというものではない。
大勢の中には家訓を捨ててしまうことに反対する家族もいるくらいだ。
それを強引にやろうとしているのだから、その職人一家はこれから先行きどうなってしまうのか、ご近所さんのみならず心配する向きも多いのだ。

これまで、その家の人たちは世界中の困った人や技術の低い人たちのところに出掛けて行って、積極的に勉強を教えてあげたり、仕事のやり方などを丁寧に教えてきたので、ご近所さんから尊敬もされていたんである。
腕の立つ職人さんで、仕事振りも立派、作り出すものを素晴らしく、世界中から一目置かれていたのである。
これらは過去の話になるんだろうか。

格さんになって漫遊の旅に出るのは約束してしまった以上、一旦は仕方ないとしても、やはり家訓は捨てるべきだない、という声が家族の間から強まり、格さん役を辞退させてもらう段になって、それまでの友人関係にもひびが入りかけたり、もろもろ関係がぎくしゃくしかけて、随分と面倒なことになったようである。
ヤクザが悔いあらためて足を洗うのも同様だと聞く。それほど難しい行為のようである。

しかし、不可能ではあるまい。元々、地道にコツコツ仕事に励むタイプなのである。堅気に戻り、ご近所さんと仲良くしながら、また一から信頼を取り戻していくしかない。

                     *

物語はその先はどうなったか、すっかり忘れてしまって思い出せない。堅気に戻れたのかどうかも定かでない。                    
記憶を頼りに思いだし思い出ししたものだから、取りとめなく、曖昧で、つじつまの合わないところもあるが、何でこんなことをふと頭に浮かべたんだろう。
行く春を惜しむ余りの妄想に違いない。





■付記■ 朝、文章作成後、投稿する段になってブログのサイトが反応していないことに気付いた。何度か試したが駄目。こちらのパソコンの不具合はないようだ。てっきり検閲でも始まったかと思い、当局に遮断されたのかと思ったが、よくよく考えてみれば書いてる端から検閲して行くなんてできっこないし、たいしたことを書いているわけでもないから、そんなことがあるはずもない。朝食後にもう一度チャレンジしてみたが、それでも駄目。仕方なく、遊びに出掛けて戻った午後3時過ぎになって試したところ、復旧していて、投稿が可能になった。ブログ運営サイトのサーバーか何かの不具合らしい。サイト側から何のアナウンスもないからトラブルの時は困りものである。
ま、復旧して良かった。




ジャーマンアイリスと真紅のバラ


ガゼボにはわせた真紅のバラが先陣を切って咲き始めている(いずれも横浜イングリッシュガーデン、2015.4.30撮影)
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