平方録

秋田山形紀行 最終章

「閑さや岩にしみ入る蝉の声」の芭蕉の句で名高い天台宗の古刹宝珠山立石寺へ岐阜の友人夫妻と行ってみる。
山形駅から仙山線の仙台行き電車に乗り込む。ローカル線らしからぬ4両編成の電車で約20分。
ホームに降りるとすぐ目の前にそそり立つような断崖が迫り、その所々に転がり落ちそうな格好をして古い建物が張りついたり、空中にせり出しているような建物さえ目に入ってくる。

あんなところにまで延々と登って行かなければならないか、と少々怖気づく気分だが、そこは2度目の余裕である。
奥の院まで千数百段。2年前、アメリカから戻ったばかりの4歳の姫は平気な顔をして飛び跳ねるように階段を上って行ったのである。
そびえ立つ杉などの巨樹が直射日光を遮ってくれる分、体力は奪われなくて済む。
途中には、芭蕉が山寺で詠んだ句をしたためた短冊を埋めて石の塚を建てたと伝えられる「せみ塚」や、ちょうど見ごろを迎えていたアジサイの群落が広がる場所などがあり、立ち止まって休むには好都合なのである。
朝早くから、梅雨空とは打って変わった夏空が広がり、アブラゼミとは違うニイニイゼミのような「ジィー」とも「ニィー」ともつかないような蝉の声が聞こえてきて、申し分がない。

岩にしみ入った蝉の種類が何だったのか。アブラゼミを主張する山形出身の斎藤茂吉とニイニイゼミ説の夏目漱石門下の芭蕉研究家との間で激しい論争が起こったそうな。実際に調査が行われたとかで、その結果、芭蕉が訪れた新暦の7月13日ころ鳴き出しているのはニイニイゼミで、山寺界隈ではまだアブラゼミは鳴かないという結論に達したんだそうで、茂吉の敗北という形で一応の終止符が打たれたようである。

芭蕉が到着したのは夕方だったと随行した曾良の記録に記されているから、人気もない山寺の石にでも腰かけて息でも整えている時に耳にした蝉の声なのである。
あの立地の雰囲気で、しかも夕方ともなれば、音は蝉の声以外にはなく、その蝉の声さえ周囲があまりにも静かなので岩に染み入って消えていくかのようだ、という情景は理解が届く。
あ~疲れた~、などとぼやき声混じりの観光客に交じって登って行くのとは、別次元の話である。

ホームから見えた断崖からせり出して見えるお堂は五大堂という展望台のような所で、眼下の町筋や仙山線の線路が箱庭のように見える絶景の地である。
登り疲れた体に、吹き抜ける夏の風が実に心地良い。この景色と風が、上まで登ったご褒美なのである。

下山すると所用を済ませた山形の友人夫妻が到着し、ご推奨の“山形で1番美味しい”という肉そばを、山寺が一望できる駅と反対側の丘の上のレストランで賞味する。
肉と言っても鳥肉の入った汁まで冷たい山形独特の蕎麦だが、なるほど、言われる通り美味しい!

ここで4人と別れ、仙山線に揺られて仙台へ。
仙台にはこれまで用事もなく、初めての街である。したがって目当てもないのだが、町をぶらついた後、名物の牛たんでも食べてから帰ろうという魂胆である。
最初に目に留まったのが駅前のビル群の一角にぽっかり穴があいたような空間に広がる、戦後の闇市を彷彿させるような野菜や魚介を売る店が立ち並ぶところである。
妻はその安さにびっくりしていたが、魚介類などは石巻など大きな漁港を抱えているだけに三陸一帯で水揚げされるものはダイレクトに運び込まれるのだろう、鮮度も安さも見事なものである。にぎわっているわけだ。

青葉通を真っ直ぐ広瀬川に向かって歩き、国際センターのところまで行って広瀬通を戻ってきただけで、途中、一番町というところの牛たん屋に立ち寄って本場の牛たんとやらを味わって見た。
実はこれも山形の友人の推奨で、「牛タンならあの店!」と念を押されて尋ねたのである。
うんっ! これは納得がいった。何か秘密があるのだろう。牛の舌を炭火で焼いただけなのだが、実に美味しい。
焼酎のロックを舐めながら食したのだが、麦飯にも良く合うところが素晴らしい。妻と3人前を食べてすっかり満足した。
仙台に寄り道した甲斐があったというものである。




山形駅に到着した仙山線の電車


山寺駅を降りると目の前の断崖の上に五大堂が見える



詠んだ句をしたためた短冊を埋めたと伝えられる「せみ塚」


開山堂(右)と納経堂


五大堂からの展望


肉そばを食べた駅を挟んで反対側の丘の上からの山寺


太助本店の牛たん
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