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平方録

立冬の相模湾沿いを食い倒す

立冬の朝、富士山を眺めつつ友人夫妻のリクエストに応じて鎌倉・坂ノ下の住宅地の奥にひっそりと存在する和菓子屋を尋ねる。
山形の友人が知ったのはテレビの番組だそうで、肝心の地元住民であるボクも妻も名前さえ聞いたことはなかったのだが…

営業は金、土、日の3日間のみで、この日の商品はここに写っている12種類のみ

ズームしてみる

店の名前にもなっている「手鞠」と「リンゴ」


家に帰って食べてみると、なるほど ! …という感じの上品な甘さの菓子だった

昼食は相模川を渡った平塚のこの店
名物のタンメンとギョウザを食べに行ったのだが写真を撮り忘れた
タンメンと言ったって具は刻んだタマネギだけ…
友人の感想は「なるほど…癖になりそうな味だね」
ギョウザもおいしいのだ

食後は大磯まで行き、旧吉田茂邸を見学する
1952年に署名されたサンフランシスコ講和条約によって敗戦国日本は国際社会に復帰するわけだが、その原動力となった吉田茂が条約締結を記念して作らせた檜皮葺の兜門は別名「講和条約門」と呼ばれている

2009年に焼失したが2017年に再建され、一般公開されている
首相退任後も政財界の「大磯詣で」は続いた

応接間として使われた2階の「金の間」。西に富士山、南に相模湾が見渡せる絶景の部屋
吉田茂のエピソードは多いが、首相退任後に防衛大学校の第1回の卒業式で学生たちに贈った言葉が印象深い
「君たちが日陰者であるときの方が国民や日本は幸せなのだ。どうか耐えてもらいたい」

「調査」などという、訳の分からない理屈で危険な中東に護衛艦を派遣しようとしているアベなんちゃらには思いもつかない言葉だろう
あいつの爺さんの岸信介のことは大っ嫌いだが、あの岸だってこれほどひどい発想はしないはずだ
それにしても、あまりにレベルが違い過ぎてため息が出る
そう言えばアソータローも吉田の孫だった あの立ち居振る舞いには、さすがの吉田も草葉の陰で呆れているに違いない

晩飯はこれも友人夫妻のリクエストで鎌倉駅裏のフレンチレストランへ
これは牛の腸と大根のスープ 美味!

前の晩に三崎の魚屋でゲットした相模湾産のアカヤガラを刺身で食べて感激したばかりだが、そのアカヤガラを使ったブイヤベースがあり、即、飛びついた
もう、ホントいい味が出ていて美味 美味 美味 ♪
この一品によってアカヤガラはボクらにとって格別な食材となった

メインディッシュは牛のハラミのステーキにしたが、食い意地が張っているのでついつい写真を撮るのを忘れてしまう
6時に予約しておいて料理とワインを堪能し、店を出たのは9時半近かった
アッという間の3時間超 やっぱりこの店は美味しい そして肝心なのは美味しい店は探せばいくらでもあるだろうが、値段が手ごろなのが特にヨロシイ ♪



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