not like everybody else

一日一枚(とても無理)

配慮??

2008-08-29 | Weblog
こんなニュースがあった。以下ニュースサイトの引用。

--

「中国との友好に配慮」長崎県が台湾側表敬拒否
長崎県が、台湾の総領事館にあたる台北駐福岡経済文化弁事処(福岡市)の周碩穎・処長の表敬訪問の申し入れを、断っていたことが分かった。
同県は「友好関係を築き上げている中国側に配慮した」と説明。周処長は26日、県庁で記者会見し、「九州の他県は受け入れているのに、なぜ長崎だけが拒否するのか」と批判した。
周処長らは26日、「長崎県日華親善協会」の設立総会出席のため、長崎市を訪問。協会側は事前に設立総会への金子原二郎知事の出席を要請したが断られた。周処長らは協会を通じ、県幹部への面会を申し入れ、これも拒否されたという。
県国際課によると日中国交回復後、台湾当局者から表敬訪問の申し出があったのは初めて。杉光正弘課長は「他県が台湾と交流しているのは知っているが、長崎には中国総領事館があるなど中国とは特に深い友好関係にある」と話している。
周処長は記者会見で、「台湾から長崎県内への観光客は20万人を超えて中国の7倍に上り、九州で最も多い。中国との友好の歴史は理解するが、訪問すら断るのは失礼だ」と述べた。

(2008年8月27日 読売新聞)


--

引用以上。

台湾の歴史は不勉強だが、wikiなどで読むと、台湾は、かつて日清戦争以来大日本帝国の統治下にあり、第二次世界大戦終結後に空白区となった。そしてこの地を巡って、進駐した中国国民党(中華民国)と中国共産党が争い、結果中国共産党が政権を奪取。中華民国政府が一旦崩壊し、「台湾国民政府」として再始動。現在も、中華人民共和国と独立問題で係争中。日中国交樹立以来、日本と台湾との政治的国交は無い。

確かに長崎市には中国総領事館があるという特殊性もあるので、中国を大切にしなくてはならない県の立場もある部分では理解できる。しかし、台湾の面会すら断るというその配慮は偏った実にいびつなものといえる。

九州他県の全てが、台湾の表敬訪問を受け入れている中、唯一長崎県だけがそれを拒否する背景に中国総領事館があることが今回の判断の正当な理由と成り得るのか?俺はそうは思わない。こういうことを配慮というのだろうか。否、それは媚を売るということだ。核廃絶を訴えるのもいい、高校生なんとか署名もいい。それはつまり平和な世界を訴えているわけで、被爆地として世界の平和を訴える側であれば、どんな理由であれ、どの地からの表敬訪問も分け隔てなく中立に受け入れるのが本来の姿だ。

長崎県を観光で訪れる台湾人は年間二十万人以上だという。台湾を認めない長崎県の姿勢があるならば、このような事実をどう考えるのか。台湾からの観光客がこの事実を知ったらどう思うだろうか。それは実に虫の良い話ではないか。何様のつもりか。こういう判断をした長崎県を自分の住む地として情けなくも思う。

100人

2008-08-26 | Weblog
現在~数ヶ月先に運営側として関わるべき行事がいくつかある。
ミッションA:某団体の創立10周年企画実行
ミッションB:業界特約店会の研修旅行設営
ミッションC:某社団法人青年部の全国大会@長崎
ミッションD:某組織の九州地区大会@長崎での呈茶席
ミッションE:某社団法人の事業でのゴルフ会設営
ミッションF:某会の創立50周年各種行事

ほとんどがここ数ヶ月に集中している。深く関わっているものもあれば、側面支援レベルのものもある。こんなに重なるのも珍しい。
物理的な仕事量はそれなりにあるとしても、どれもなんとかなる。頭の中で組み立てやシミュレーションが大抵はできる。この手の力は経験値によるところが大きくて、多分JCで先輩達に大抵鍛えられたからだろう。好む好まざるに関わらず、どんな人でも組織を束ねて何かをやらなければいけない機会は必ず来る。その時にその経験値は大いに力を発揮する。

何とかしたいのがミッションE。
このミッションEは夜の懇親会とセットでかつては毎年行っていたが、参加者数の減少等でここ数年は開催をみていなかった。そして今年は復活する。
俺は今年行きがかり上某ゴルフ会の代表幹事をやっており、このゴルフ会にかつて無い人数を集めようと思っている。現役は勿論のこと、先輩方&歴代(代表)幹事にも奮ってご参加いただこうと。記事を見てピンと来た現役先輩諸氏、11/8SAT@KCCよろしくです。事業審議承認前だけどまー良かろう。目標25組100人。書いちゃったな。
あんまり気合いを入れ過ぎると土砂降りになるので気をつけよう。

Hollow me

2008-08-23 | Weblog
ミュージックマガジンで表紙含む特集を組まれたりしてて、前々から気にはなっていたゆらゆら帝国のアルバム「空洞です」。やっと買った→聴いてみた。いやはやこれはかなり面白いアルバムだ。もっと早く聴くべきだった。昨日今日と佐世保に泊まり出張だったが、道中はこればかり聴いていた。

大抵の日本産の音楽は"○○っぽい"という、既存の(特に海外の)音楽になぞらえて表現もできるわけだが、これにはそれが見つからない。
またいわゆるロック然とした様式美やお約束を一切排除したようなところも聴き手を試しているかのよう、しかし歌詞も曲もポップで印象深い。しかししかし明らかに普通の音楽ではない。

音は良質ではありながらスカスカでユルユル。その音像は従来のサイケデリックな感じだけがむき出しになったかのようなヒリヒリ感も。
アルバムの意味不明さや奇っ怪さは序々に深みに入り、M7「美しい」~M8「学校に行ってきます」でそのピークを迎える。特に「学校に行ってきます」の歌詞と曲の気持ち悪さといったら!思わず笑いながら唸ってしまいます。尺八が入っているロックの曲って初めて聴いた。

最後に綺麗なメロディのキャッチーな曲を持ってくる辺りも、まるで中盤までの気持ち悪さに耐えた褒美のようで、中毒性、リピート性を増幅させる。

俺の中では、今のところ国内現役ミュージシャンのアルバムでは、コーネリアス「SENSUOUS」とゆらゆら帝国のこのアルバムが双璧かも。こないだ出たリミックスも買わなきゃ。

料理屋

2008-08-21 | Weblog
某先輩の弟さんがオープンしたイタリアンのトラットリアでディナー。シンプルだが素敵な内装。おかげで美味しい料理がさらに美味しく感じられた。それまでは新宿御苑あたりのイタリアンで修行されていて満を持して地元での開業と相成ったと。
自宅から歩いて5分とかからない場所なのでまた行こう。

料理屋さん商売って憧れる。
油屋よりもはるかにシビアで難しい商売だと思うので、とてもできないんだけど憧れる。

300坪という庭に昭和初期のオンボロの日本家屋があって、離れにこれまたオンボロの蔵なんかもあるのが一族の本家。今は伯父夫婦が守ってくれている。
6~70年程前はそこに親父含む大家族が住んでいたので厨房も広い。2Fはちょっとした洋間のようなものもある。相当に古いけど、たたずまいは威厳めいたものがあって俺は結構好きだったりするのだ。かつて某大学の先生たちがまとめられたという「長崎の近代和風建築」とかいう本にいくつかの古い建物と一緒に紹介してもらったり、「長崎ぶらぶら節」の古賀なんとかさんの生家のロケ地候補に挙がったりした家。原爆にも耐えた。今も階段の手すりにはガラスの破片が刺さった跡がある。

この家も先ではなんらかをどうにかしなきゃならないのだろうが、市内中心部に位置しながらも結構閑静であるし、改装してお忍びイタリアンなんかにすればいい感じなんじゃないかな…などとおぼろげに夢想するが…やはり夢のまた夢だね。

精霊流し

2008-08-18 | Weblog
ずいぶんと更新をサボっていたらお盆も終わりました。

身内では伯母の初盆などもあったが、今年のお盆は高校の同級生の精霊船を出した。友人は5年にも及ぶ闘病生活の後、今年の4月に40を前に癌で亡くなった。
各地から同級生有志が30名ほど集まる。久々に会う友人もいた。
家で出す船ではなく、友人有志で出したので、「○○家」ではなく彼の名前の小さな船。

高校を卒業して20年も経つと、その変化も様々。肥大していたり禿げ上がっていたり、白髪が目立ったり、隣に小さな子がいたり、大きな子もいたりする。時々その見た目が微動だにしていないのもいる。卒業後の様々な日常の成果が顔に身体に現れているよう。このブログも意外にも見られていて驚いた。だいぶ飽きていたが、今後少しは真面目に更新することに。


さて、精霊流し。相変わらずの爆竹の量。音は確かにすごいけど結構慣れるものですね。思案橋から魚市跡地までを約2時間ほどかけて流す。

僕らの前の船は黒い船に黒装束と明らかに普通じゃない雰囲気を漂わせていたが、案の定くんちのようにグルグルと回していた。酒に酔っていたのか警察も含めてずいぶんともめていたよう。彼ら(やあるいは故人)にとっては精霊流し≒おまつりなのかね。

県内他地域では船を海に流すというフィナーレもあるそうだが、こちらは船の数が多すぎるのか、そのような幻想的なシーンもなく、広場に巨大鋏を携えた重機がやってきて眼前でジャンジャンバリバリ破壊していく。

あたかも故人が破壊されるかのようなその光景は少し寂しかったりもするが、ただ、形あるもので慰霊を表現したり、船をぶん回したりするのも、現世に生きている我々の自己満足だったり分かり易さだったりの為のものであり、慰霊そのものではないということか。要は故人を偲ぶ気持ちが大事ということで。