先日公開された、
話題の『アビエイター』を観てきましたよ(^。^)
アメリカを代表する富豪にして映画監督・飛行家(英語でアビエイターね)として知られる・・・
”狂気の天才”(というか変人(^_^;))『ハワード・ヒューズ』の生涯で
分かってる所だけ(なんせ謎が多い人なので(^_^;))を映画化した・・・
まぁ、”伝記映画”です。・・・いや、でしたですね。
正直なところ、日本では”当たらない”映画でしょうねぇ・・・
なんせ、『ハワード・ヒューズ?誰?』って人が多いでしょ?
だけど、この映画、何の”前置き・説明”も無く始まっちゃうんですよ(゜o゜)
しかも、凄~いシーンから・・・
アメリカならこれで良いかも知れないけど・・・
まぁ、簡単に言うと”堤義明”さんみたいな人で、
アメリカでは知らない人はいないような(きっと、ワイドショーでもやり尽したようなネタ)
有名人なんだろうけどね(^_^;)
日本ではキツイよねぇ・・・・
僕は、映画評論家でも映画評論ブログでもないので、内容については何も言いませんが、
「私のように、ハワード・ヒューズに興味のある人には楽しめる・・・と、思います(^_^;)自信無し・・・」
でもね・・・
知れば知ったで、興味深い人よ。ホントに。
例えば・・・
『飛行機の操縦法を習ったのは14歳の時・・・』
とか、
『父親の死により遺産を相続したのは18歳の時・・・』
とか、
『映画「地獄の天使」で全米興行記録を塗り変えたのは22歳の時・・・』
とか、
『有名なリンドバーグの航空会社、TWAを買収したのが27歳の時・・・』
と言うように、まさに快進撃!
でもね・・・
こんなことは彼の人生において大した事じゃないのね。
自ら設計した飛行機で当時の”速度記録”を記録。しかも、自分の操縦で(!)
↓これがその『H-1』
どこかで見たような機体デザイン・・・
↓これかな?
零式艦上戦闘機・・・「ゼロ戦」ですね。
H-1が記録を達成したのが1935年で、
零式艦上戦闘機の開発が始まったのは1937年・・・
後に、大活躍する零戦と似通った(どっちが(^_^;))機体を設計してるんですよ。
これだけでも、ハワード・ヒューズが優れたエンジニアだったことが計れます・・・
その後も・・・
「アメリカ横断記録」を塗り変えたり、
「世界一周記録」も樹立したりで・・・
こと、航空分野では、
『リンドバーグを超える”天才”だったことは間違いない・・・と思います(^_^;)多分・・・」
その後、750人乗り(!)の世界最大の飛行艇なんてものも造ってます(^_^;)
↓水陸両用飛行艇ハーキュリーズ
長さ67メートル幅98メートル、8発エンジン・・・(ジャンボ機の1.5倍くらいかな(^_^;))
この飛行艇は、なんと木材(非戦略物資だったんだって・・)を使って造られていて、
その木材名を取って“スプルース・グース”と呼ばれた(^_^;)
戦争が連合国優勢になり、戦争遂行に無用とされた“スプルース・グース”は
米国政府から契約打ち切りされるが、ヒューズは私費で飛行艇を完成させる・・・
その後ロングビーチで進水したが、巨大飛行艇は既に戦略的価値がない物として当局から飛行が禁止される。
しかし、ヒューズは・・・
「滑走試験」中に“間違えて”飛行艇を離水させ1.6km飛行させてしまった(^_^;)
最初にして最後の飛行であったが、彼は、ここでまた合衆国の英雄となった・・・
どこまでも『アビエイター』な野郎!
それで、どこまでも馬鹿・・・だけど、どこまでも魅力的なのが『ハワード・ヒューズ』なのでしょうねぇ
ホントはもっと、いろいろなことがあるんだけど・・・
これで興味をもたれた方は、是非劇場でご覧下さいね(^。^)
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↑気になるランキング。協力宜しくお願いします<m(__)m>
話題の『アビエイター』を観てきましたよ(^。^)
アメリカを代表する富豪にして映画監督・飛行家(英語でアビエイターね)として知られる・・・
”狂気の天才”(というか変人(^_^;))『ハワード・ヒューズ』の生涯で
分かってる所だけ(なんせ謎が多い人なので(^_^;))を映画化した・・・
まぁ、”伝記映画”です。・・・いや、でしたですね。
正直なところ、日本では”当たらない”映画でしょうねぇ・・・
なんせ、『ハワード・ヒューズ?誰?』って人が多いでしょ?
だけど、この映画、何の”前置き・説明”も無く始まっちゃうんですよ(゜o゜)
しかも、凄~いシーンから・・・
アメリカならこれで良いかも知れないけど・・・
まぁ、簡単に言うと”堤義明”さんみたいな人で、
アメリカでは知らない人はいないような(きっと、ワイドショーでもやり尽したようなネタ)
有名人なんだろうけどね(^_^;)
日本ではキツイよねぇ・・・・
僕は、映画評論家でも映画評論ブログでもないので、内容については何も言いませんが、
「私のように、ハワード・ヒューズに興味のある人には楽しめる・・・と、思います(^_^;)自信無し・・・」
でもね・・・
知れば知ったで、興味深い人よ。ホントに。
例えば・・・
『飛行機の操縦法を習ったのは14歳の時・・・』
とか、
『父親の死により遺産を相続したのは18歳の時・・・』
とか、
『映画「地獄の天使」で全米興行記録を塗り変えたのは22歳の時・・・』
とか、
『有名なリンドバーグの航空会社、TWAを買収したのが27歳の時・・・』
と言うように、まさに快進撃!
でもね・・・
こんなことは彼の人生において大した事じゃないのね。
自ら設計した飛行機で当時の”速度記録”を記録。しかも、自分の操縦で(!)
↓これがその『H-1』
どこかで見たような機体デザイン・・・
↓これかな?
零式艦上戦闘機・・・「ゼロ戦」ですね。
H-1が記録を達成したのが1935年で、
零式艦上戦闘機の開発が始まったのは1937年・・・
後に、大活躍する零戦と似通った(どっちが(^_^;))機体を設計してるんですよ。
これだけでも、ハワード・ヒューズが優れたエンジニアだったことが計れます・・・
その後も・・・
「アメリカ横断記録」を塗り変えたり、
「世界一周記録」も樹立したりで・・・
こと、航空分野では、
『リンドバーグを超える”天才”だったことは間違いない・・・と思います(^_^;)多分・・・」
その後、750人乗り(!)の世界最大の飛行艇なんてものも造ってます(^_^;)
↓水陸両用飛行艇ハーキュリーズ
長さ67メートル幅98メートル、8発エンジン・・・(ジャンボ機の1.5倍くらいかな(^_^;))
この飛行艇は、なんと木材(非戦略物資だったんだって・・)を使って造られていて、
その木材名を取って“スプルース・グース”と呼ばれた(^_^;)
戦争が連合国優勢になり、戦争遂行に無用とされた“スプルース・グース”は
米国政府から契約打ち切りされるが、ヒューズは私費で飛行艇を完成させる・・・
その後ロングビーチで進水したが、巨大飛行艇は既に戦略的価値がない物として当局から飛行が禁止される。
しかし、ヒューズは・・・
「滑走試験」中に“間違えて”飛行艇を離水させ1.6km飛行させてしまった(^_^;)
最初にして最後の飛行であったが、彼は、ここでまた合衆国の英雄となった・・・
どこまでも『アビエイター』な野郎!
それで、どこまでも馬鹿・・・だけど、どこまでも魅力的なのが『ハワード・ヒューズ』なのでしょうねぇ
ホントはもっと、いろいろなことがあるんだけど・・・
これで興味をもたれた方は、是非劇場でご覧下さいね(^。^)
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確かに自分もアビエイターの公開を知った時は「ハワード・ヒューズって誰?」という感じでした。
でも映画を観てからは実際のハワード・ヒューズがどんな人物だったのか少し興味惹かれましたね。
やっぱり日本人には馴染みが薄い人なので、この映画ではじめて知ったという人が多いと思います。私もその一人ですが。
本当にすごい人ですよね。私もすごく興味を持ちました!