広島市PTA協議会「父親委員会」

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●PTAはボランティアじゃないと思うんです。

2009年09月21日 | ●管理人エッセイ(つぶやき)
よく「PTAはボランティアなんだから…」という言葉を聞くのですが、私はそれにずっと違和感を感じています。

結論を言うと、PTA活動は「ボランティア活動」ではなく「コミュニティ活動」だと思っています。

先ほどネット検索でざっと調べたのですが、ボランティアというには、①無償性、②利他性、③自発性が必要なようです。
つまり、無償(または利益といえない程度の有償)で、社会などのために、自分の労働力や技術などを自発的に提供すること、ではないかと思います。

PTA活動にも「無償性」と「利他性」はあります。
そして、「自発性」も「ない」かと言えば「ない」わけではありません。
むしろ、ちゃんとあります。
しかし、それは派生的な部分で、根本的には「自発性」とは違う「動機」で動いています。

ボランティア活動は自発的な善行。
「やれば褒められる」ことですが、裏返せば「やらなくても責められない」ということです。
PTA活動をボランティア活動だと解釈すると、この辺に誤解を生じます。
「好きな人にやってもらえばいい」とか「できないものはできない」とか。

PTA活動をコミュニティ活動だと考えると、「PTA会員はコミュニティの一員としての責務を負う」ということに、理解が進むと思います。
PTA活動は自治活動なんです。
厳しく言えば「やらなければ責められる」べきものなんです。
会費を納めるだけでなく、組織の目的に向って働くことも責務なんです。
もちろん、家庭や仕事の事情により、働く量はまちまちでも仕方ありませんが、責務自体は会員全員にあるのです。
したがって、「好きな人にやってもらう」にしても、傍観者であることは許されません。
「できないものはできない」と思っている人も、参加するよう努力する必要があるのです。
せめて、やってくれる人に感謝し、応援してほしいものです。

「ボランティアではない」と言いましたが、一方では「やはりボランティア」という思いもあります。
つまり、一定の部分までは責務ですが、それ以上は「自発性」がなければできないからです。

「volunteer」の語源は志願兵です。
自ら望んで手を挙げて役員になる人は少ないと思いますが、役員決めの沈黙に堪えかねて手を挙げてしまった人、頼まれて断りきれず役員になった人。
それは「誰かがやらなければならない」という犠牲的精神からの行動。
それはやはり「自発性」だと思います。

日本には古くから「手弁当」という言葉があります。
自分だけの損得勘定ではなく、弁当持参で世のため人のために働く。
それはボランティア活動にもコミュニティ活動にも通じる言葉です。
PTAも「手弁当活動」ですね。


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