コーギー アルムのハルカゼ

コーギーの男の子のページです。
5歳、体重はだいたい12kgです。

3.11 vol.1

2011年03月18日 | 駄文
あれはちょうど一週間前、
スマイルベビークラスの予約の電話をして、
「えー今予約して取れるの9月ー?」とか思いながら、
主人に『予約してみた』のメールをポチポチしている時のこと。


茨城県って、私が30数年生きてきて思うに、中途半端な県なのですよ。
(これは完璧に私的な考えです)
都心からすっごく遠いわけでもないし、かといって近いわけでもない、
超田舎でもないし、都会でもない、
すっごく暑いわけでもなく、すっごく寒いわけでもない、
物価もすごく高いわけでもなく、安いわけでもない、
けっこう訛ってるけど、ベースは標準語だから聞き取れないほどじゃない、
有名なものって聞かれたら、納豆や水戸黄門かなぁと思うけど、べつにそれをプライドにしてるわけでもなく、
関東ローム層な山もあって、遠浅な海もあって、
なんというか、いろんな意味で中途半端なところじゃないかと思うんです。

大きな天災に見舞われたこともないので、
茨城だけは大丈夫という、根拠のない自信があったりして。
だから、ついおとといも妹と、「まさか茨城県がこんなことになるとはね」と話したくらいです。


・・・メールをポチポチしている時のこと。
ゴゴゴゴ・・・と地鳴りがして、建物が揺れました。
またかー最近多いなーと呑気に構えておりましたところ、
どうも様子がいつもと違う。
いつもならすぐ止むはずの揺れが止まらず、それどころかどんどん強くなる。
これはおかしいと娘を抱き上げ立ち上がると、落ちるはずのない位置に置いた雑誌がバラバラと全部落ち、台所のコップが落ちて割れました。
それを見て、あ、これはいつもと違う、ヤバいぞと思い、携帯をつかんで玄関へ急ぎました。
最後にちらっと見たテレビは、前後にバッタンバッタンと暴れておりました。
『あ、あれ、もうダメだな、液晶割れるな、旦那が悲しむな』と思いました。
娘がいなかったら、逃げずに、テレビをおさえて倒れないようにしてたかもしれません。

玄関まで来た時に主人から電話が来て、どうしていると聞かれ、
今玄関にいる、などと答えながら外に出ました。
出て、5~6歩歩いた時、おそらく一番強い揺れが来たのだと思います、
立っているのがやっとの状態になりました。
地面は揺れるし、建物も揺れるし、
駐車場の車はバウンドしてちょっと宙に浮いてるし、
まわりのすべてがゴーーーーーと鳴って耳元の電話の声も聞こえない、
その中で、私はうわー!いやー!と叫びながらも『娘は私が守らなきゃ、とにかくここから離れなきゃ』と思い、なんとか手すりをつかみながらヨロヨロと階段を下りて駐車場まで逃げました。
この、たった5メートルほどを逃げるのが、これほど時間がかかり、困難なものかと。
火事場のなんとかで、7キロ超の娘の重さは、まったく少しも感じておりませんでした。


幸いその後、揺れも徐々におさまり、

なんやかやあって、無事今まで生きております。

私の住む地方は、震度6強でした。
東北では震度7以上と言いますから、察して余るところであります。


地震前のコーギー もちろん地震後も元気ですよ。



いやー、しかし、
あの地震の時は、「さーてそれじゃ娘とお散歩にでも行きますかねー」と部屋着から着替えをしたすぐ後だったのですよ。

うん。着替えててよかった。グッジョブ自分。