<朝のディボーション>
シェバの女王の訪問が記録される。シェバは南アラビヤにあり、紅海を隔ててエチオピヤに、またアラビヤ海を経由してインドへの海路もあり、国際貿易が盛んであった。女王はイスラエルとの貿易交渉を目的として訪れたのだろう。しかし、ここでは、ソロモンの富と知恵がテーマとなり、その基本的な目的が明確に示されている。
ソロモンは「幸いなことよ。知恵を見いだす人、英知をいただく人は。それの儲けは銀の儲けにまさり、その収穫は黄金にまさるからだ。知恵は真珠よりも尊く、あなたの望むどんなものも、これとは比べられない」(箴言3:13-15)と語っている。彼は豊かさの中に生きぬいたが、その豊かさの秘訣は知恵にあった。「銀を受けるよりも、わたしの懲らしめを受けよ。えり抜きの黄金よりも知識を。 知恵は真珠にまさり、どんな喜びも、これには比べられないからだ。」(箴言8:10,11)今日多くの人は知恵よりも、富を欲するところがある。しかし、富を得ようとするならば、知恵が必要である。そして知恵を得るためには、それを捜し求めなくてはならない。それは労力を要することであって、宝を掘り当てるように、捜し探り出すことによる(箴言2:2-5)。知恵は、ある日閃くように与えられるものではなく、積極的に捜し求めていくことによって与えられるのである。本を読み、瞑想し、祈り、そして生活の中に実践することによって得られていく。怠け者に知恵は得られない。勤勉さの中にこそ与えられるものである。
<夜のディボーション>
また、知恵は、自分のために与えられるものではない。シェバの女王を通して、歴代誌の著者は、「あなたの神、主のために王とされたあなたの神、主はほむべきかな」(8節)と語らせている。つまり、知恵は主のものであって、主がお与えになった責任を果たすためのものである。ここを勘違いしてはいけない。
ソロモンの王権は、ソロモン自身のためでも、王家のためでもなく、主のために与えられたのであるという。したがってソロモンに与えられた知恵も、主のために用いるべきものとして与えられていた。ソロモンは、「富と知恵とにおいて、地上のどの王よりもまさっていた」(22節)と著者は言う。13節以降は、その知恵によってソロモンが多くの成功を収めたことが記録される。
大切なのは、権威を持ち、そのための知恵を備えられたのなら、その権威を正しく用いることだろう。人々を助けるために、用いなくてはならない。ある人が、働くというのは「傍」を「楽」にすることであると言った。周囲の者が仕事をし易いように、手助けしていく、それが働くことであると。確かに、権威とそれを用いる知恵が与えられたのなら、私腹を肥やすためではなく、神のみころをなし、人々に至福をもたらすために用いる必要があるだろう。周囲にいる者たちが、活かされるように、豊かにされるように用いていくのである。神に与えられた賜物を、正しく用い、神の栄光を現す歩みをさせていただくこととしよう。
シェバの女王の訪問が記録される。シェバは南アラビヤにあり、紅海を隔ててエチオピヤに、またアラビヤ海を経由してインドへの海路もあり、国際貿易が盛んであった。女王はイスラエルとの貿易交渉を目的として訪れたのだろう。しかし、ここでは、ソロモンの富と知恵がテーマとなり、その基本的な目的が明確に示されている。
ソロモンは「幸いなことよ。知恵を見いだす人、英知をいただく人は。それの儲けは銀の儲けにまさり、その収穫は黄金にまさるからだ。知恵は真珠よりも尊く、あなたの望むどんなものも、これとは比べられない」(箴言3:13-15)と語っている。彼は豊かさの中に生きぬいたが、その豊かさの秘訣は知恵にあった。「銀を受けるよりも、わたしの懲らしめを受けよ。えり抜きの黄金よりも知識を。 知恵は真珠にまさり、どんな喜びも、これには比べられないからだ。」(箴言8:10,11)今日多くの人は知恵よりも、富を欲するところがある。しかし、富を得ようとするならば、知恵が必要である。そして知恵を得るためには、それを捜し求めなくてはならない。それは労力を要することであって、宝を掘り当てるように、捜し探り出すことによる(箴言2:2-5)。知恵は、ある日閃くように与えられるものではなく、積極的に捜し求めていくことによって与えられるのである。本を読み、瞑想し、祈り、そして生活の中に実践することによって得られていく。怠け者に知恵は得られない。勤勉さの中にこそ与えられるものである。
<夜のディボーション>
また、知恵は、自分のために与えられるものではない。シェバの女王を通して、歴代誌の著者は、「あなたの神、主のために王とされたあなたの神、主はほむべきかな」(8節)と語らせている。つまり、知恵は主のものであって、主がお与えになった責任を果たすためのものである。ここを勘違いしてはいけない。
ソロモンの王権は、ソロモン自身のためでも、王家のためでもなく、主のために与えられたのであるという。したがってソロモンに与えられた知恵も、主のために用いるべきものとして与えられていた。ソロモンは、「富と知恵とにおいて、地上のどの王よりもまさっていた」(22節)と著者は言う。13節以降は、その知恵によってソロモンが多くの成功を収めたことが記録される。
大切なのは、権威を持ち、そのための知恵を備えられたのなら、その権威を正しく用いることだろう。人々を助けるために、用いなくてはならない。ある人が、働くというのは「傍」を「楽」にすることであると言った。周囲の者が仕事をし易いように、手助けしていく、それが働くことであると。確かに、権威とそれを用いる知恵が与えられたのなら、私腹を肥やすためではなく、神のみころをなし、人々に至福をもたらすために用いる必要があるだろう。周囲にいる者たちが、活かされるように、豊かにされるように用いていくのである。神に与えられた賜物を、正しく用い、神の栄光を現す歩みをさせていただくこととしよう。