【シーズン6】人生が100倍楽しくなる、パスターまことの聖書通読一日一生(旧約聖書 新約聖書 聖書通読ブログ)

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エレミヤ書36章

2017年05月13日 05時34分32秒 | エレミヤ書
既に、25章において語られたメッセージの背景を知る部分である。エホヤキム王の第4年(BC604年)、神は、ヨシヤの時代(BC627年)から約23年にわたって啓示された神のことばを記録するように命じられた。祭司や首長たちと対立し(20:1-6、26:1-11)神殿に近づいたり、語ったりすることを禁じられていたエレミヤにとって、それは、神のことばを民に告げ知らせる機会となった。エレミヤは、書記のバルクに神のことばを書き取らせた。巻物の紙は、パピルス紙であったとされる。獣皮紙は小刀で裂くのは難しく、焼却の際には異臭を放ち耐えられなかった、と考えられるからである。また通常巻物は、横20㎝、縦30㎝くらいの長方形を一段とし、横に5、6mの長さに貼り合わせて作られていた。
翌年、断食が布告された際に、バルクは書記シャファンの子ゲマルヤの部屋でこれを公に読み上げた。断食というのは、この年、バビロン軍がペリシテの平野にあるアシュケロンを打ち破ったので、国家存亡の危機に直面していたためである。またゲマルヤはエレミヤの命を助けたシャファンの子アヒカムの兄弟と考えられている(26:24)。彼の部屋は神殿の高い位置にあり、多くの人々に読んで聞かせるには好都合だった。バビロン侵略の現実的な脅威が語られ、民に悔い改めが促された。ただ、そこには預言者ウリヤを捕えるためにエジプトに遣わされたアクボルの子エルナタンがいた(26:20-23)。ここでは、巻物を焼かないように王に願う勇敢な三人の中にも名を連ねている(25節)。彼は、王の命令によってウリヤを捕らえエルサレムに連れ戻したが、結果ウリヤは王に処刑されてしまった。彼は苦々しい思いをしたのかもしれないし、そこで悔い改めたのかもしれないが、詳しいことはわからない。ともあれ、おおむね首長たちはエレミヤたちに好意的であり仲裁的である。しかし、エレミヤを隠し助け出されたのは、主ご自身であった(26節)。
王は「冬の家の座」(22節)についていた。別邸ではなく、王宮の中で、日当たりのよい、暖炉のある暖かい部屋という意味だろう。王はバルクが読み上げた巻物を持って来させ、首長たちの前で読ませた。それは、とうてい受け入れられる内容ではなく(29節)、王は、それが数段読み上げられるごとに切り裂き、赤々と燃える暖炉の火にくべてしまった。王には、神のことばを恐れ、悔い改める心がなかった。しかし、たとえ巻物が燃やされても、神の言葉は失われない。神は、再びご自身のことばを書き記すよう、エレミヤに命じられる。エホヤキム王を後継する者はなく、また神を畏れない国民全体にも同様のさばきがある、とそれは再録された(32節)。エホヤキムの死について聖書は詳しく語っていないが、マタイの福音書の系図に、エホヤキムの名は出てこない。その子エコニヤの名が記されているが3ヶ月と10日と短命に終わった(Ⅱ歴代36:9)。
神のことばは、巻物としての形を失っても、語られたとおりに成就した。神のみことばには力があり、信頼に値する。また、聖書は、書かれた神のみことばであるのだから、信仰をもってこれに聞き、従うことが大切である。常に、聖書に向かい、繰り返し語られる神のことばに悟りを得、信仰と生活の規範として、日々聴き従って歩みたいものである。