詩はここにある(櫻井洋司の観劇日記)

日々、観た舞台の感想。ときにはエッセイなども。

秀山祭九月大歌舞伎 『逆櫓』 『再桜遇清水』『』2017年9月16日

2017-09-19 19:16:37 | 日記
九月歌舞伎座の秀山祭 夜の部は初代吉右衛門の当たり役『ひらかな盛衰記 逆櫓』船頭松右衛門実は樋口次郎兼光を当代が演じる。
『再桜遇清水(さいかいざくらみそめのきよみず)』当代吉右衛門が松貫四として初めて脚本を担当し、主演した作品を、今回は吉右衛門が監修、染五郎が清水法師清玄と奴浪平の2役を早替りで演じた。

吉右衛門は時代物も世話物もどちらも素晴らしいが、時代物の主役にこそ真価を発揮しているように思う。竹本の語りと三味線に合わせ演技をしていくのが時代物。現代人の感覚では納得できないような封建的な論理によって悲劇が起こるのがパターンだ。

時代物の大役を説得力をもって演じてくれるのが吉右衛門なのである。年齢は重ねたとはいえ恵まれた体躯、大きな顔、明瞭な台詞術。必要なものは全て揃えているのが吉右衛門。そして何よりも大切な役柄の肚が根本にあり、長い年月をかけて自分の身体に叩き込んで、理屈を超えたところで演じている。それが吉右衛門の素晴らしいところ。集大成ともいうべき大役を次々と見せてくれるのは観客として実に喜ばしいことである。

その吉右衛門が書いた歌舞伎『再桜遇清水』は染五郎に継承された。役者の魅力と腕で見せる芝居。理屈を言ったらおかしなところも多い芝居だし、早替わりはあってもあえてケレンの要素は最小限にとどめたようで刺激を求める観客には物足りなかったかもしれない。

『逆櫓』時代物の大作上演に吉右衛門の覚悟を観た。大立ち回りもあり最後かもしれないという観客の想いもあったように思う。その期待に違わぬ上演成果。吉右衛門以外に誰がこの高みに登りつめられるだろう。顔の立派さ、立ち姿、台詞回し、非の打ち所がないとはこのこと。見事だった。

『再桜遇清水』「新清水花見の場」清玄を「きよはる」と「せいげん」と呼ぶことで桜姫が不義を免れ、高僧の清玄が破戒するとは何とも割に合わない話のよう。それでも納得させられてしまうのが歌舞伎か。染五郎の一人二役も早替わりというよりも役者の魅力を見せる方向。古風な引っ込み有り。

「雪の下桂庵宿の場」「六浦庵室の場」清玄の怨霊の執念を見せる幕切れまで問題が解決したようなしないような消化不良気味な展開。染五郎の魅力で見せるという方向だけはブレなかった模様。児太郎と米吉のお小姓のBL風な味付けも面白いが物語が膨らんでいかないので単なる点景に終わった。

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