詩はここにある(櫻井洋司の観劇日記)

日々、観た舞台の感想。ときにはエッセイなども。

ニーベルングの指環 「ラインの黄金」の虹

2017-07-26 19:10:00 | 日記
2002年1月から2月にかけてベルリン国立歌劇場の『ニーベルングの指環』が公演されました。その概要は以下の通りです。2002年1月27日「ラインの黄金」、1月30日「ワルキューレ」、2月1日「ジークフリート」、2月3日「神々の黄昏」、NHKホール
演出=ハリー・クプファー
指揮=ダニエル・バレンボイム
演奏=ベルリン・シュターツカペレ
出演=ファルク・シュトゥルックマン(ヴォータン)、デボラ・ポラスキー(ブリュンヒルデ)、クリスティアン・フランツ(ジークフリート)、ロバート・ギャンビル(ジークムント)、ワルトラウト・マイヤー(ジークリンデ、「神々の黄昏」のワルトラウテ)、ギュンター・フォン・カンネン(アルベリッヒ)、グレアム・クラーク(ローゲ、「ジークフリート」のミーメ)、ドゥッチョ・ダル・モンテ(ファフナー、ハーゲン)他

成田から渋谷のNHKホールへ1週間のうちに4日も通うのは凄く大変でした。上演時間が長いので、『ラインの黄金』を除いて、なんとか各駅停車の終電に間に合うという感じでした。日本では1987年のベルリン・ドイツ・オペラ以来のチクルス上演ということでS席のセット券をちょっと無理をして買い求めました。月末にかかってくれたおかげで、なんとか飛び飛びで4日間の休みをとることができました。

それまで歌舞伎にしろ、オペラにしろ、一人で劇場へでかけるということがありませんでした。前年の5月に劇場へ一緒に通っていた親しい友人が亡くなってしまい、それからはずっと一人での劇場通いが続いています。友人も楽しみにしていたワーグナーの『ニーベルングの指環』も二人ででかけることがかないませんでした。

会場となるNHKホールは何度も通っている劇場のひとつです。ロビーの柱の陰から友人がひょっこり顔を出すような気がして、友人の死を受け入れられない本当に辛い期間でした。それは歌舞伎座、国立劇場、東京文化会館、新国立劇場、二人の思い出が刻まれた博物館や美術館に足を運ぶたびに、耐え難い孤独感に打ちのめされる思いがしたものです。

だから、念願の『ニーベルングの指環』だというのにNHKホールへでかけるのは大変気が重いことでした。成田駅に向かうためにバス停でバスを待っていました。冬の冷たい雨が降っていました。やがて雨が止んで空に虹がかかりました。『ラインの黄金』を観る日に虹を見るとは。「虹の動機」があるくらい『ラインの黄金』と虹は切っても切り離せないものでしたから。精神的にはどん底の毎日でしたが、何か良いことが起こるかもしれない。そんな予感がありました。

『ラインの黄金』は何事もおこらず、素晴らしい上演にもかかわらず喪失感は消えることがありませでした。S席のセット券とはいえ、席番号は一定ではありません。毎回席は違っていました。そして『ワルキューレ』の日。前回のベルリン国立歌劇場の来日公演では単独で上演された演目です。もちろん友人と一緒でした。

二人で劇場へ行くときは。舞台に向かって下手側が僕の席。上手が友人の席と決まっていました。まもなく『ワルキューレ』が始まろうとしているのに、お隣の席は空席のままでした。このまま空席だったら、友人と並んで観ることになると勝手な想像をして、誰もいませんように祈っていました。場内が暗くなると同時に一人の男性が通路を進んで来ました。センチメンタルな友人のための空席の妄想が砕け散りました。

お隣に座ったのはA君。年齢はひとつ下でしたが、クラシック音楽が趣味の方でした。普通はお隣の人に気軽に話しかけるのは、なかなかできないのですが、彼は特別でした。ここで話しかけないと一生後悔する。そんな思いに駆られて思い切って声をかけていました。その後の二演目も席は別々でも長い休憩時間を一緒に過ごし、今でも親しい友人です。彼の存在があったこといくら感謝しても足りなくくらいです。

A君がいてくれたおかげで、どん底の精神状態からなんとか立ち直ることができ、ピアノ好きな彼が、さらにクラシック音楽の豊かな世界に導いてくれました。あの時の「虹」は、やはり幸福の前兆だったのです。僕は彼を歌舞伎や文楽を紹介することができたことを誇りに思っています。

自分の人生をふりかえってみると、多くの出会いによって人生を変えられていることに気が付きます。声をかけるべき、かけないでおくか。思い切って会いに出かけるか出かけないか。迷ったら実行あるのみなのです。いつまた虹がかからないだろうかと、雨上りの空を見上げるよりも、自分で虹をかける人になるべきなのです。

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