今日は神戸は朝から雨です。昔の思い出に浸ってみましょう。
今日のブログは、所長が昔経験したことのある「野球に関するアルバイト」です。所長だけでは足りないので他の方も入れています。
観客でなく、スタッフにもなりきれない「アルバイト」(それも短期)という立場。この年ではもう味わうことができないかもしれません(筋肉番付山田さんはトレーニングを兼ねて、ヤフーBBでビール売りのバイトをされてますが)。
ちょっと前の、古きよき時代を感じていただければ幸いです。
1:大阪球場
大阪球場で3日だけ、切符切りのアルバイトをしたことがあります。外野席でした。ちぎった切符の半券を、両手で数えることが出来ました。高架下の板前さんが「ちょっと御免な」と高下駄履きで入っていき、点数を確認だけすると直ぐ出てきました。
帰りに阪急の選手がバスに乗り込むところを通りかかりました。今と違い、誰もキャーキャー言ってませんでした。所長も小さいほうではないので、選手を見て「背が高いな」とは思いませんでした(中沢捕手を見たように記憶があります)。しかし選手はユニのままだったので、筋肉ムキムキなのには驚きました。
当時はニットのピチピチユニだったからでしょうね。
2:阪急電鉄某駅
友人の紹介で、試合のある日に「阪急ブレーブス速報板」といって、駅のホームにあるPR用のイニングごとのスコアボードをつけるアルバイトもしたことがあります。
駅の事務室の片隅に机を借りて座って待機します。すると本部から「3回はゼロゼロ、4回はロッテ1点、阪急2点」などと電話連絡が入ります。するとおもむろに梯子と数字のかかれたプレートを持って、プラットホームに。そして言われた数字をぶら下げてまた事務室に戻ります。電車待ちのオヤジが、気づいて一瞬チラとボードを見てくれるのが、嬉しいものです。(おおっとかいう声は、なかったです)。
そのころは勿論インターネットなるものはなく、もっとも早くてスポーツ新聞の「電話速報」くらいでした。たまに中継のある日は、電話より先に吊り下げに行きました。
熱心な阪急ファンの駅員さんがおられ(阪急電鉄にもかかわらず、一人しかいなかった)、その人はしょっちゅう電話サービスを聞き、本部の連絡より早く「6回はゼロゼロや」と教えてくれました。(試合速報の電話サービスなんて、とっくに無くなったんでしょうね)。
極めつけは「9回表ゼロ。阪急勝ったで。先に吊って帰ってええで。本部から電話あったら「トイレ行った」言うて、代わりに聞いといたるから。」彼がご機嫌なときは、よく早めに帰らせてもらいました。なにせ優勝した年でしたから。
3:甲子園球場
売り子に行ったことがあります。なぜか担当したのが「冷凍みかん」。
一番記憶に残っているのは、最初にスタンドの上を向いて「冷凍みかん如何ですか~」と第一声をあげるとき。なかなか度胸が決まらない。
これがまた売れませんでした。たしかバイト料は歩合だったですが、汗をかくので途中でジュースを飲むとほとんど儲けが無かったような記憶があります。
4:グリーンスタジアム神戸
会社の同僚(女性)が、グリーンスタジアムで応援グッズ売りのバイトをしたことがあるそうです。
バイトしていたのは今と違い、オリが優勝したころなので球場はもの凄いことになっていたとか。開門したら波のように客が押し寄せてきて、殺気立つようなくらい。今では全然考えられません。
5:後楽園球場
関東の友人(仮称:ハム松くん)は後楽園球場での弁当売りのバイト中、数々の名勝負を覗くように見ていたとか。
6:阪急西宮球場
先輩にこんな人がいました。
午後から天気が下り坂になってくると「西宮球場に行ってくるわ」と消えていく。
あとで判ったのですが、彼は球場の切符切りのバイト登録をしており、試合中止決定までに球場入りすると、バイト料が何分の1支給されるんだとか。
ところで彼は、そんな天気の日しか行ってなかったような・・。
※4、5、6は本人の許可無く書いてますので、匿名です。
<所長の混迷・背番号物語第13回「11」>
いよいよこれからは投手の番号といった様相を呈してきます。アメリカではあまり投手が着けないようですけど。
野手ならハム大島。名球会入りも遅かったですね。長寿をほこる選手でした。
近鉄は野茂→吉井→大塚→川尻。メジャーに行く数字なんでしょうか。川尻も阪神時代、行きたそうだったし
荒木大ちゃんのような若いイメージもあれば、阪急佐藤のようなおっちゃんイメージもあるという。
永久欠番は村山。監督の時も「球団から私に頂いたものですから、ありがたく着けさせてもらう」と「11」を着けました。成績はここには記しませんが。
スコアボードを替えるための役の人がいるのも。
パ球団なので、テレビ中継がないので、電話チェック
というのも渋いです。
西武線の駅にはホワイトボードがあって、多分駅員
の人がマジックでスコアを入れてます。
普段は乗らずに野球見に行くときしか乗らない電車
なので、ボードを見るときは試合が終わった時です。
大体、先発投手と点数しか書いてないです。本塁打
欄もあったような。
背番号11
大島は11だったですか。背番号の印象はなかった
です。
所長さんの上げられた荒木、佐藤義は印象強いです
ね。
篠塚とセロリが同じくらい嫌いだった元中日三沢もいました。ラジオの番組でこのコメントをアナウンサー
が紹介していたのがすごく印象に残ってます。
駅ホーム広告の吊り下げれられている中にそれが混じっており、サイズはタテ60×ヨコ180くらいですか。梅田のような大きな駅なら、かなり目立つくらい大きいものだったようです。
もちろんかなり前になくなりました。
中日三沢。
たしか島根の出身で、全国中継があるとき異常に頑張るということも聞いたことがあります。
いい感じですねー。大阪球場の外野、両手分とは・・。
しかもおっちゃん乱入なんて、草野球やないちゅーねん。
速報といえば、JR大阪駅で誰にも頼まれないのに、自作の手作りのボードで阪神戦の速報をしていたおっちゃんがいました。TVでも取り上げれていたけど、いまはどうされているのか。
久しぶりに、ほのぼのさせて頂きました。
・・・ちょっと悲しい(笑)
今年の横浜スタジアムには外人(白人)の売り子さんもいました。日本語ぺらぺらのようでした。しかしハマスタの売り子さんは心なしか「ヤンキー」「サーファー(陸?)」系の方が多い気がします。
西武ドームの「ホッカイロ」売りさんと狭山茶売りさんは印象深かったです。狭山茶のほうはコスプレが好きな女の子と客にはたまらんでしょう(?!)
http://www5d.biglobe.ne.jp/~tadamats/sa.htm
5年前まであちこちで売り子をしていた方のサイトです。
http://www.geocities.co.jp/Colosseum-Acropolis/9306/
更新が2000年で止まってますが、興味深いですよ。
中日の三沢は国会議員になった人ですよね?
とても楽しく、古き良き野球風景を思い浮かべながらよませていただきました。
たしかにイチローのいた頃のオリックスは、神戸の球場がにぎやかでした。
あそこは甲子園に次いで日本で2番目に美しい球場だと思います。
デーゲーム後などは、神戸が近いのでデートコースにはもってこいなんですがね。
僕もよく応援に行きました。
ちなみに電話速報サービスは、タイガースの試合に関してはドコモが今も無料でやってますよ。
♯8455をダイヤルすれば、通話料のみでアナウンステープですが教えてくれます。
(ドコモの携帯からだけ可能だと思います)
試合展開なども教えてくれるし、ドキドキ感もあって、結構重宝するんですよ。
たしか「ダットサン」とか出ていたような・・。
住宅公園になってからでも球場があるうちに行けばよかったと、後悔しております。
スコアのひと:
優勝のとき、TVドキュメンタリーで見ました。今年もやってたのかしらん。
たしかにヤンキーぽい売り子さん、おりましたねえ。
ときに、所長はエビスガールがご贔屓。関西にはいないので。
西武にカイロ売りがいるのも驚きですが(夏暑く冬寒い球場だそうですね)、ご案内の「狭山茶」売りのおねーちゃんがいるのも、驚きです。
中日三沢、たしか参議院にでてましたね。彼は「ズームイン」に出てましたよね。
ヤフーBB(おっと孫さんが球団持ったので、来年から確実にグリーンに戻る?)の写真はこちらに掲示しておりますので、よかったらご覧下さい。
オリックス、夏休みラジオ体操
http://blog.goo.ne.jp/hamuzo99/e/74a88bd4b6adb98c2056cf8a456b6208
オリックス公開練習
http://blog.goo.ne.jp/hamuzo99/e/d9fff0bcef1d69350c4f8d391df5365f
昔はスポーツ新聞の一面の端のほうに、「テレホンサービス06-***-****」(まだ局番が3ケタだった)が書いてあったものです。無機質な声のお姉さんが「○○スポーツテレホンサービス、何時何分現在。セントラルリーグ・・・」というテープが流れました。
そのオジサン曰く「日刊が一番早い!!」。