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ライフスタイル雑談ブログ
by hamarie_february

わからない

2006-10-22 16:08:20 | 学問・社会

昨日は昼から,ある「集会」に参加してきました.



集会のタイトルは,「和歌山カレー事件の謎に迫る市民の集い」というものです.別件で会場の近くにいて,あるMLで情報が流れていたのを思い出し,ちょうど時間が空いていたので,1時間遅れでしたが参加してみました.



 



「和歌山カレー事件」...私自身,記憶は非常に曖昧で,事実関係などを正しく把握しているとは言えません.しかも当時,この事件の報を見聞きして持った感情は,地域コミュニティの病みに対する無念さといった単純なものでした.



何故,我々はこのような事件が起こってしまうまでに関係性を悪化させてしまうのかとぼんやりと考えたことを思い出します.



 



その後,季節は移り,しばらく前からMLにこの話題が出るまでは,事件そのものを危うく忘れかけていましたが,現在,「地域と大学を結ぶ」といったミッションを掲げる研究センターの事務職におさまっているのは,「地域コミュニティ」を考えることについて,どこかに小骨のように引っかかっていたからかもしれないと自己分析しています(後から考えてのことですが...)



 



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支援者の方のメールによると,被告の林眞須美氏は当初からずっと無罪を主張しています.自白も物的証拠も動機すら無いにも関わらず,状況証拠だけで一審・二審と有罪・死刑判決を受けているということです(二審は控訴棄却).



詳しくは,支援する会のウェブページをごらんください.



 



ワタシがこのたび参加してみようと思ったのは,まず判決の性急さと死刑制度への疑義が根本にあります.



が,それよりも,おぼろげな記憶を辿ると,その逮捕を決定づける際に科学的鑑定―Spring 8での鑑定―が大きな役割を果たし話題になったはずで,こういった科学的鑑定が,一連の裁判の過程の中でどう取り扱われたかという点を,概略でも知りたいと思ってのことでした.



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聞いた話を書きます.



鑑定書は,最初の,いわゆる「中井鑑定」のほかに,その後の鑑定書(補充書含み)があり,全部で3通あるそうです.鑑定は,犯罪に使われたとされる砒素が,被告の自宅に置かれてあった砒素と同一かどうかといった点については,(非常に簡略に結果だけ書きますと)「同一である,同一とも言えない,同一である」という結果が出たようでした.



2番目の鑑定結果は,3年もの時間をかけて出された結論らしいですが,裁判所はその鑑定に対して補充命令をし,それを受けて,データのバックグラウンドの雑音を消す作業を追加させ,その結果出されたのが3番目の結論だということでした.



この一連の流れから弁護団側は,データ補正の仕方によって読み方,結論が変わるのだという主張をされていました.また,同一か同一でないかという分析は,含まれている不純物の分析によるが,これには標準物質が存在しないので絶対的な分析にはならないはずだとのことでした.



さらに科学的鑑定という面を取り上げると,検察がそのほかの物的証拠と言っている紙コップからも,被告の自宅,流し下から見つかったとされる(被告本人もその家族も全員,そんなものは見たことがないと言っているそうですが)砒素が入っていたプラスチック容器からも,被告の指紋は一切検出されなかったということです.



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こういった報告を聞いて,当時,流しの下から砒素が見つかったという報道には釈然としないものを感じていましたが,ますます,わからなくなりました.



しかし,事件の全貌も,一審の判決文もしっかりと検討しないまま,一方の側だけの主張で(いくらBlogとはいえ)判断することはできません.



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話のレベルを,判断ということでなく,信用するかどうかに限定しますと,砒素が同一かどうかという科学的な判断結果を信用するかしないかというのはワタシにとってかなり難しい問題です.サイエンスカフェの運営に参加しながら,どうしたことだとツッコまないでくださいね.



いや,むしろワタシ自身は,サイエンスの不確実性にどう向き合うかといったことが,サイエンス(カフェ)の醍醐味だと思っています.



余談ですが,ポリグラフ(ウソ発見器)の結果は,現在の裁判では有罪立証とはなりません.科学的根拠が有罪に結びつくとは認められておらず,むしろ交通事件などで自白を引き出すツールとして使われているだけだということです.



 



ワタシが現段階で言える唯一の意見は,少なくとも,判決が性急すぎるのではないかということです.こういった死刑事件において,近年の傾向は,2~3年で結審されるということなのです.そして,決定的に有罪でなければ無罪であろうという「推定無罪」原則が崩れつつあるということでした.特に被告が無罪を主張している場合,それは,やっぱりおかしいんじゃないか.



また,さらに深まったのが「証言の妥当性」「黙秘権行使の権利」に関する最新の知見ですが,これはサイエンスの話題からはずいぶんと逸脱しまので,別の機会があれば...ということで.

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3 コメント

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死刑制度 (complex_cat)
2006-11-01 18:28:58
亀レスすいません。
 私は死刑反対論者ではないのですがそちら方面の運動をやっている方の話を聞いていて,日本では,まだ冤罪の可能性のある事件が起こる温床があるから,ある日突然,無実の人間が死刑になるかも知れない可能性がある以上,死刑制度には反対する意味があるのかもなとぼんやり思ったことがあります。
 しかし,原始的なヒトとその集団を考えると,タブーを犯せば集団からの完全な追放処分というのは必要かと思います。原初的なヒトという生き物を考えると,共同体からの追放=事実上の極刑かも知れません。

 しかし,いくら直感的におかしい,怪しいという人間でも,問題のある捜査の進め方で死刑になってしまうのならば,考え方を変えねばならないかなと思うことがあります。

 鑑定は,化学分析の分野の話ですが,その分野特有のの瑕疵を含んでおります。スタンダードがないということですが,検量線にぴったし乗るような極小誤差の世界では扱えない事象の方が,この世界には多いかと。
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death penalty (hamarie_february)
2006-11-01 22:26:08
重い話題にコメントいただきまして,ありがとうございます.うれしいです

少し前『ダンス・イン・ザ・ダーク』という映画を観たときに,死刑についていろいろと考えました.

「死刑反対」をどう原理的に擁護するのかというのは非常に困難だとワタシも思っています.思考の上では反対の立場に固執しても,もしもの際の現実の対応は食い違ってしまうかもしれないとも思います.

ぼんやりと残酷だという思いに対しては,それこそ「科学」によって,苦しませず致死させる方法はいくらでも可能でしょうし,冤罪の可能性を理由にしても,長らく問題視されている取り調べを可視化したり,捜査方法を近代化(笑)―たとえばおとり捜査や通信傍受など―させることで信頼性を向上することができれば,その点で反対を唱えていた方々にとって,簡単に許容しうる道理になります.

そうすると,おそらくC_Cさんと同じように「原始的なヒトという生き物」の掟に対して,反対できる理由が今のところのワタシには見つかりません.

しかし,そこに「戦争」という変数を加えた場合,もしかしたら少し違ってくるかもしれないなと推測しています.

「ヒトを殺すこと」に対するdeath penaltyを,ヒトに対してしか与えられないことに,ワタシは制度の根本的な不備を感じています^^;;;

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あは,間違えちゃった... (hamarie_february)
2006-11-03 11:57:08
自己レスです.すんません...『ダンス・イン・ザ・ダーク』は,日本の競走馬の名前でしたぁ

正しくは,『ダンサー・イン・ザ・ダーク』.
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%80%E3%83%B3%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B6%E3%83%BB%E3%83%80%E3%83%BC%E3%82%AF

ついでに,「情報流通促進計画byヤメ記者弁護士」(http://blog.goo.ne.jp/tokyodo-2005/e/6b0591aebedae49de8ba2372a2d293f1)さんのblogから得たこちらの情報,リンクしておきます.
http://asiapacific.amnesty.org/apro/aproweb.nsf/pages/adpan_maiko
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