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日記

思い出のマーニー

2014-09-02 05:09:53 | Weblog
一週間に一回くらいは書こうと思ってたのにもうさぼってる!w

実はこの監督の前作である借りぐらしのアリエッティとかちゃんとみてないのですが(テレビで流れてるのを横で眺めていたことはあるのだけど…なんか…ちゃんと頭に入ってこなかった)なんというか…どうにも地味だw
別に地味であることは悪でもなんでもない訳でそれはそれでもいいのだけどテレビでCMバンバン打ってでかく金稼ごうって作品ではないよなぁ、とは思うのでした。

イマドキのCG屋って何やって生きてるかっていうとそれはもうひたすらパチの映像で食ってるんですよ。アニメの仕事とか赤字にしかならないのですが赤字の仕事をやるためにパチで稼いで赤字のアニメとか映画の仕事やったりしてる訳ですw
パチの映像は非常に目的が鮮明でそれは「当たるかも!当たるかも!!!!」という感情を煽り立てることです。全部がそれで出来ています。それ以外のものは存在していません。それくらい「純粋」な表現なのだといえる。しばらくそんな仕事ばっかりしてて思うことは実のところ映像というのはこの「当たるかも!」が入れ替わっただけで基本的な役割は同じだということです。人の感情を何かしら煽り立てる、静謐さすらその対象になる、ということ。
そういう映像としての技術的部分の成り立ちがその対象と分離するくらい明確に認識できるようになると、では具体的なシーン、カットで行われるそれは何の為に、どこに集約するように行われるのか、という目的もまた明確になります。それが空虚であれば空虚である、ということもまた明確になるということです。
シーンにこめる意図を判りやすくする、というのはそれはそれで勿論良くないこともある訳です。判りやすいというのは最大公約数化するみたいなものなので。だからそういうのが嫌だ、というのも判るし例えば現実の問題としていじめられるのは周りに理解されようとしないお前が悪いみたいな論理はどうにもならないのは確かです。しかし映像の場合判ってくれ!と訴えかけてるのは自分な訳でそこで「お前がわかってくれないのはお前が悪い」とか言い始めてもどうしようもない、というかそれでは「いじめたくなる俺を理解しないお前が悪い」といってるようなものなのでそれはやはりどうにもならんよなぁ、としか言えんよなぁと。
実際見ててそれほど退屈はしなかったと思う、んだよね。アニメーションの技術は折り紙つきな訳で。しかしカットごと、シーンごとに煽られるそれが全然全体につながっていかない。
同時期に「グランドブダペストホテル」って映画を見たんですよ。これがまた古風な感じ、というか独特な舞台的カメラ回しをするある意味でこれまた「よくある」感じの作りなんですけどどうせ全員にはわかってもらえない、と割り切るなら割り切った上で自分のやりたいことはきっちり明確にして全部ぶち込んでやろうって意味でよほどスッキリしていた。
ジブリという体制の中でそれが難しかったんだろうな、というのも判るんだけど結局そういうことになってしまうならもうそういうやり方自体がダメだ、という話にはなるんだろうしジブリの制作部が解散になるっていうのもアレみた後それを聞いた時の感想は「ああ、うん、わかる。超わかるわw」だった。
人に媚びるのは嫌だ、そういう表現はしたくない、っていうのはそれはそれで十分意味があるんだけどそこに「人に媚びるのが大好き、俺のやりたいこと、心から求めることは人に媚びることだ!」って人間が登場してしまった時そうでない人間がただひたすら蹴散らされるだけの存在に成り下がるのは仕方ないのだよねぇ。そういうことがエンターテイメント業界なのだから。ジブリは宮崎駿の奴隷しか求めなかったから新しい、そういう人材を発掘・育成することはできなかった、だから終焉を迎えることになった。そういうことをある意味心から納得させてくれる映画だったような気がする。


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