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ハイクノミライ

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『週刊俳句』第3号 遠藤治さんの「十二音技法が俳句を滅ぼす」という記事について(3)

2007-05-14 15:23:51 | about THC
そして、一生かかって体得できるかできないかという「切れ」の概念を、ごく初歩の段階で、それと意識することなしに自動的に句に取り込めるという利点がある。


あ、これはなるほどなと思いました。

ただ、「一生かかって体得できるかできないか」というのは大げさすぎる。


「切れ」というのは最近たびたび持ち上げられてますけど(去年の『俳句研究』誌上、有馬朗人と長谷川櫂の対談は突っ込みどころ満載でしたが)、俳句において構造的に必須の条件ではないと思ってます。(これは稿を改めて書きます)

必須の条件なんてそもそもないんでしょうけれど。


むしろ「こういう風に考えると、いろいろな俳句に当てはまってくるでしょ?」というような「なるほどー」を喚起する学術用語として僕は見てます。


学者っぽい気質の人ほど「切れ」を強調する傾向にある気がしませんか?

それは彼らが物事を説明するには学術用語が必要だから。
あるいは、ある事象は体系化される必要があると彼らは考えているから。


おっと、今回も話が逸れてしまった。

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1 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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さらに言えば、 (ユースケ)
2007-05-14 15:27:44
その学者っぽさについての「ニーズ」が確かにあるんですよね。

俳句が体系化された、学問的なものであってほしい、という社会のニーズ。俳句愛好者のニーズ。
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