日々の忙しさにかまけて放置していた、このblog。
今になって書き始めるやるせなさ。
オカンは今も尚ガンと闘い続けていますが、もういつその時が来てもおかしくない時期に差し掛かっている事をついに担当医に告げられました。
命の限られているオカンへの危機感に欠けていた自分。
距離の遠さから連絡する頻度もつい少なくなってしまったり、この日常に慣れてしまったり、もっとこうしておけば良かったと後悔でいっぱいです。
髪が抜けた2015年で止まっていましたが、その後髪はすっかり生え変わり、元来剛毛くせ毛だったのがしなやかなサラ毛に生え変わるという奇跡。
むしろ抜けて良かったね、と言ったぐらい。
それからも抗がん剤治療は続き、今年の2月頃。
これまで効いていた抗がん剤が効かなくなり、種類を変えてみるも3回目ぐらいでアレルギー反応。
加えて、肝臓の数値もこれまでとは比べ物にならないぐらい高いし、兼ねてから懸念していた左脚鼠径部のガンも大きくなっていたので、肝臓を優先に考慮し、抗がん剤投与終了したのが4月の事。
以下、妹からのメールと自分の記憶を擦り合わせて書き連ねます。
◆◆◆◆◆
4月。
腹膜播種の大きくなった腫瘍が膀胱の粘膜に浸潤。
それにより血尿や血塊が出始める。
痛みも感じ始め、痛み止めが処方される。(オキシコンチン+オキノーム)
緩和ケア、放射線治療の話を主治医から受ける。
5月。
GW前後で膀胱に対して放射線治療。
血尿など痛みがおさまる。
7月。
再び、肉眼では見えないぐらいの血尿が出始めてる事が検査でわかる。。
同月末頃から左足がむくみ始める。右足の倍ぐらい。日常生活には支障ないながらも、突っ張る感覚もあって歩行しにくい。
血の塊が尿道を塞ぎ、尿意ありながらも邪魔して出せない→いきむことで解消、を繰り返す毎日。
そして、9月。
23日(土)から再び血尿が始まり、血の塊で詰まりそうな日々が続いて寝れてない、と25日(月)に妹から連絡。
その日は元々検査の日でもあったので、検査の後とりあえず寝たいと言うオカンの強い希望で入院する事に。
主治医から個人的に呼ばれた妹に、脈も早くなってるし出血量も多いから、一晩で急変する可能性が高いと説明される。
その話を妹から受けて、いつ帰るか一日様子を見たものの、あまりに誰も見舞いに来ない様子に主治医から再度通告を受けたと妹から連絡があり、27日(水)の夜に子供連れて急遽神戸へ。
これまでの経過とこの土日まで持つかわからない、今回持ったしても年を越すのは難しそうという診立てで直接主治医から説明を受ける。
毎日気の休まらない状況ながらどうにか持ち堪えたので、心残りながら10/1(日)に自宅へ戻る。
夏に帰省した時より痩せて、顔色もあまりよく無かったけど、思ってたより元気だったし、食欲は落ちつつも嗜好品を口にしたい欲求は衰えて無かったのが幸い。
尿道カテーテルを付けてるので動き回る事はあまりできないけど、今のところまだ歩く気力はあったのも一安心。
ただ、一日に何度も起きる血塊の詰まりとそれによって起きる転げ回る程の痛み。
いつまで続くかわからない現状に、気力を奪われそうな様子も見ててツラい。
一番ツライのはオカンだけど、毎日いつ妹から着信あるかって思うと、気が休まらなくて落ち着かない。
今になって書き始めるやるせなさ。
オカンは今も尚ガンと闘い続けていますが、もういつその時が来てもおかしくない時期に差し掛かっている事をついに担当医に告げられました。
命の限られているオカンへの危機感に欠けていた自分。
距離の遠さから連絡する頻度もつい少なくなってしまったり、この日常に慣れてしまったり、もっとこうしておけば良かったと後悔でいっぱいです。
髪が抜けた2015年で止まっていましたが、その後髪はすっかり生え変わり、元来剛毛くせ毛だったのがしなやかなサラ毛に生え変わるという奇跡。
むしろ抜けて良かったね、と言ったぐらい。
それからも抗がん剤治療は続き、今年の2月頃。
これまで効いていた抗がん剤が効かなくなり、種類を変えてみるも3回目ぐらいでアレルギー反応。
加えて、肝臓の数値もこれまでとは比べ物にならないぐらい高いし、兼ねてから懸念していた左脚鼠径部のガンも大きくなっていたので、肝臓を優先に考慮し、抗がん剤投与終了したのが4月の事。
以下、妹からのメールと自分の記憶を擦り合わせて書き連ねます。
◆◆◆◆◆
4月。
腹膜播種の大きくなった腫瘍が膀胱の粘膜に浸潤。
それにより血尿や血塊が出始める。
痛みも感じ始め、痛み止めが処方される。(オキシコンチン+オキノーム)
緩和ケア、放射線治療の話を主治医から受ける。
5月。
GW前後で膀胱に対して放射線治療。
血尿など痛みがおさまる。
7月。
再び、肉眼では見えないぐらいの血尿が出始めてる事が検査でわかる。。
同月末頃から左足がむくみ始める。右足の倍ぐらい。日常生活には支障ないながらも、突っ張る感覚もあって歩行しにくい。
血の塊が尿道を塞ぎ、尿意ありながらも邪魔して出せない→いきむことで解消、を繰り返す毎日。
そして、9月。
23日(土)から再び血尿が始まり、血の塊で詰まりそうな日々が続いて寝れてない、と25日(月)に妹から連絡。
その日は元々検査の日でもあったので、検査の後とりあえず寝たいと言うオカンの強い希望で入院する事に。
主治医から個人的に呼ばれた妹に、脈も早くなってるし出血量も多いから、一晩で急変する可能性が高いと説明される。
その話を妹から受けて、いつ帰るか一日様子を見たものの、あまりに誰も見舞いに来ない様子に主治医から再度通告を受けたと妹から連絡があり、27日(水)の夜に子供連れて急遽神戸へ。
これまでの経過とこの土日まで持つかわからない、今回持ったしても年を越すのは難しそうという診立てで直接主治医から説明を受ける。
毎日気の休まらない状況ながらどうにか持ち堪えたので、心残りながら10/1(日)に自宅へ戻る。
夏に帰省した時より痩せて、顔色もあまりよく無かったけど、思ってたより元気だったし、食欲は落ちつつも嗜好品を口にしたい欲求は衰えて無かったのが幸い。
尿道カテーテルを付けてるので動き回る事はあまりできないけど、今のところまだ歩く気力はあったのも一安心。
ただ、一日に何度も起きる血塊の詰まりとそれによって起きる転げ回る程の痛み。
いつまで続くかわからない現状に、気力を奪われそうな様子も見ててツラい。
一番ツライのはオカンだけど、毎日いつ妹から着信あるかって思うと、気が休まらなくて落ち着かない。