はーちゃんの気晴らし日記

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車窓からのトルコ

2014年11月06日 | お出かけ
トルコ旅行で、見聞きしたこと、思ったことなどをまとめて書きたいと思います。

【別荘】
エーゲ海沿いは、カラフルな建物が点在しています。






トルコの夏休みは、6月の第2週から9月の第2週まで3ヶ月間あるそうです。
その夏休みを過ごすため、海の周辺に別荘を持つ人が多く、カラフルな別荘が建っています。
トルコでは、以前は、「旅行」という習慣はなく、休みは、別荘で過ごすことが多い。
お父さんは、仕事があるので、週末だけ別荘に来るそうです。
最近は、旅行をする人も増えてきていますが、今まで通り別荘で過ごす人の数は圧倒的に多く、夏場は、かなりの人出になるということでした。
私たちが行った10月は、すでに閑散期。
別荘周辺は、どこも人気がなく、ひっそりとしていました。

【家】
バスの窓からなので、あっという間に通り過ぎてしまい、なかなか写真を撮るまでに行かないのですが、独特の家がたくさんありました。





廃墟になっている家もたくさん見かけました。
屋根が壊れ、壁も崩れたまま放置されています。
ビルのような建物も、人の気配がまったくなく、老朽化したまま放置されています。
反面、建築中の家もずいぶんたくさん見かけました。
主人は、それを見るたびに、
「あんな建て方で、地震が来たとき、大丈夫なんだろうか?」
と心配していました。
骨組みなど、私が見ても心細い感じがしました。
日本では、古くなった家は壊して、新たに建て直しますが、トルコでは、古くなった家は放置してしまい、新たに家を建て直してしまうのではないだろうかと思いました。
そんな風に感じられるほど、廃墟と新築中の家が多いと思いました。

【オリーブ】
海沿いでは、たくさんのオリーブの木を見ました。
飽きるほど延々とオリーブの畑ばかり続きました。
オリーブは、12月頃が収穫期だということで、バスの中からでも、緑色の実が見えました。
オリーブオイルには、緑色のものと黒っぽいものがありますが、あれは、種類が違うわけではなく、緑の実のまま収穫するのと、実が黒くなまで熟成させるのとで、色の違いが出るそうです。
トルコのオリーブの産出量は、世界でも5本の指に入るんだそうです。

【街中】
日本ではあまり見かけなくなった公衆電話です。


ザクロジュース屋さんもあちこちで見かけました。


ザクロを絞っているところです。
100%ザクロジュースです。

ガイドさんの話では、
「100%のザクロジュースは、かなり濃いので、胃の弱い人は、オレンジジュースとのミックスが良いと思う」
ということでした。
私は、すでに胃の調子が悪くなっていたので、ザクロジュースは飲みませんでした。

どこへ行っても、ザクロのお店がありました。
街中で絞って売っています。


ここは、色々な果物が置かれています。
絞ってジュースにするのかもしれません。


何かと思ったら、焼き栗のお店です。


焼いた栗の中身を出して売っています。


カッパドキアの街中に、こんな可愛いお店もありました。

ツボやお皿を売っていました。

【原発】
風力発電の風車をあちこちで見かけました。




広大な国土を持ち、木々の生えない山が多いトルコなので、そこを利用しているんだと思いました。
トルコでは、2016年に日本と共同開発で原発の計画があるということでした。
私がこのトルコ旅行で感じたのは、トルコは節電意識が高いということでした。
ホテルでも空港でも、トイレや廊下の電気は、センサーがついています。
真っ暗な廊下・・・と思っても、そこへ移動すると、電気がつきます。
必要な時だけ、電気を使う意識が高いと思いました。
それに、電力を作るための資源も日本に比べたら豊富だと思いました。
それは、ガイドのせっちゃんも言っていました。
「トルコは、電気をつくるための資源はいくらでもあるのに、どうしてこの美しい国に原発を作らなければならないのか・・」
と嘆いていました。
作るとしたら、エーゲ海沿いか黒海沿いが候補に上がっているとか。
「あの美しい海のそばに原発ができるなんて、悲しい事」と言っていました。
結論は、まだ先にになるらしいのですが、私も、他国のことながら、今のトルコに何故、原発なのか?と、思いました。
私たちには、福島の経験があるのに、何故、他国の原発を推進しなければならいのか?
そんな日本の政治が悲しいと思いました。

【ガソリン】
ガソリンはアメリカから輸入しているそうです。
レギュラーガソリンは、日本円で、リッター230円くらいでした。
ずいぶん高いガソリン代です。
中央アナトリアが近くなると、車もずいぶん古いものばかり見かけました。
古すぎて、走るのかな?と思ったほどです。
ところが、イスタンブールなどの都会へ行くと、特に気になるような古い車はなく、ベンツなどの高級車や日本の車も多く見かけました。
地方と都会の格差を感じました。

【山岳地方と敗戦後の政策】
中央アナトリア方面の道で、牛の集団が歩いているのを見かけました。

普通に住宅街を歩いていたので、びっくりしました。

車窓から、たくさん、お墓も見ました。
トルコは、今でも土葬だそうです。
「人は、裸で生まれ、裸で死んで土に帰っていく」という考え方からだそうです。

私たちの旅行の行程を黄色の矢印で書いてみました。
イスタンブールに着き、イスタンブールへ戻りました。



こうして見ると、広い国土を持つトルコの半分も見ていないのがわかります。
以前、トルコの女性は、12歳になると、結婚していたそうです。
第一次大戦でトルコは敗戦し、トルコ共和国ができました。
その時の初代の大統領は、今までとは違った政策を始めました。
女性が12歳で結婚することを禁じ、女性にも教育を受けさせることを決めました。
ガイドのせっちゃんは、今、自分がこうしていられるのは、初代大統領のおかげだと言っていました。
「私は大学にも行って、教育を受けることが出来た。そして、毎日生き生きと仕事もできている。」
と。
せっちゃんは、私が思うに、30歳半ば過ぎくらいかな?と思うのですが、独身で、今は、イスタンブールに家を借りて一人住まいをしているらしい。
でも、実家に帰るたびに、結婚の話が出ると、言っていました。
「お母さんは、言います。『早く結婚してちょうだい』と。「これ、とても困ります」
そんな風にトルコの女性たちも、今では職業人として生き生き働く人が多くなってきましたが、私たちが行っていない東アナトリアという地方では、今でも12歳で結婚する女の子がいるとか。
みな、生活のためだそうです。
貧富の差が大きいのを感じました。
女性がストールを被らなくても良くなったのも、初代大統領の政策の一つだったそうです。
以前は、トルコの子供は必ず神学校へ行くのが義務だったそうですが、それを廃止したのも、その大統領だったとか。
トルコのイスラム教が、かなり柔軟性を帯びてきたのは、その大統領の政策のためだったように思います。

【テレビ】
このツアーで、ホテルを6泊したわけですが、テレビが見られないホテルが、2箇所ありました。
1箇所は、電源が入らなくて、もう1箇所は、ホテルのCMが流れるだけで、何も番組が見られませんでした。
私たちは、トルコ語がわからないし、疲れてしまって、テレビを見る気力もあまりなかったので、特に不満はありませんでした。
あるホテルで、たまたまスイッチを入れたら、映画をやっていて、リチャードギアが出演していたのですが、彼がトルコ語を話していたのが、違和感でした。

私たちは、テレビが見られるときは、大抵ニュースを見ていました。
言葉はわからなくても、映像で大体のことはわかります。
トルコで扱われる大半のニュースは、やはり、イスラム国との問題でした。
空爆の映像や、アンカラでのデモや武力衝突の映像は毎日流されていました。
扱う時間も、ずいぶん長かったように思います。
国境付近の大量のシリア人の難民の事も大きく取り扱われていました。

イスタンブールの繁華街には、流れてきたシリア人がたくさんいました。
道路わきで、物乞いをしています。
小さな子供や赤ちゃんを連れて、地面に座り込んでいます。
子供連れなので、お金を置いている人も多いようです。
座っている人たちのそばには、いくつかのコインが無造作に転がっていました。
「シリア人が、働きもせず、子供を盾に取って物乞いをするのは、許せない」
と感じているトルコの人も多いようです。
その付近では、スリが横行しているそうです。
それらは、みな、シリア人だと、トルコの人は言います。
情勢の不安を感じました。
私たちは、観光地を旅行していて、全く危険や危機を感じることはありませんでしたが、トルコ国内には、大きな流れがあり、事態が迫っているのを感じました。

思いつくままに書きましたが、観光以外のことも書いておきたいと思いました。


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