餃子倶楽部

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「風立ちぬ」1000日の記録(3)

2013-09-14 07:16:24 | 餃子ライブラリ
■堪(たふ)る限りに力を尽くして

2012年10月

 新作の公開まで1年を切った去年秋、映画作りはいよいよ追い込みに入った。だが宮崎には重い宿題が残されていた。
「出さなきゃいけない結論があるんですよね。飛行機が作りたいってどういうことなんだろうって。零戦が飛んだからめでたし、めでたしなわけでもないし」
 戦争前夜、二郎は戦闘機の開発に心血を注ぐ。だが、殺戮の道具を作った人物にどんな結末を用意すればいいのか。
 宮崎の迷いは日に日に深くなっていた。
「難しいところに行くなとは思ってたけど、本当に難しいところに来たね」
 さらに、宮崎を困惑させる事態も起きていた。
 ひと月前、日本は尖閣諸島を国有化した。だが、それに反発した中国が領海侵犯を繰り返し、緊張が高まっていた。映画で描くきな臭い時代が到来しつつある、と宮崎は感じていた。
「アメリカと戦争やるようなことは冗談で言ってても、そんなこと起こんないだろう、と常識的に思ってた。多くの日本人もそう思ってた。なんか知らないけど土壇場になったら熱狂して(戦争に)なっちゃったんだよね。それは今も同じだと思うよ。いよいよ前夜になってきたなって感じがする」


2012年10月15日

「日曜日はもうすごかった。なんかしないと気分変わんないから、散歩に行った。全生園というハンセン病の展示がすごかったですね」
 ハンセン病の療養施設で生涯にわたって隔離を強いられた人たちの写真展を見たという。意に反して定められた人生。それでもしっかりと生きようとする姿が目に焼きついていた。
「女房もいたんだけど、2人ともそれについては何もしゃべらないで帰ってくるっていう、いやちょっと、衝撃的ですね。おろそかに生きちゃいけないって気持ちになるよ。あれ見ると、本当に」
 宮崎の中で何かが変わろうとしていた。
「なんか突然、時間をかけてやる意味が出てきた」
 アニメーターが書いたまま手つかずにしていたカットを直し始めた。二郎が試作機の墜落に立ち会い、日本の航空技術の未熟さを目の当たりにする場面。アニメーターガ描いたのは呆然とする二郎だった。
「こういう顔じゃないんだ。失敗に立ち会うことでなんか感じたんだと思う」
 宮崎は二郎の表情を大胆に変えていく。
「セリフに歯をつけてるだろう?歯をつけるとぐっと攻撃的になるんです。攻撃的というか、はっきりしてくる。この人たちにとっては戦争というのは、時代というのは選択できないんです。今の自分たちと同じですよ」
 どんな時代にあっても精一杯生きようとした人たちがいた。それが宮崎の変わらぬメッセージだ。

「今日、自分は深く感銘を受けました。目の前に果てしない道が開けたような気がします」(二郎)

 宮崎の決意を示す文章がある。

 時代の歪みの中で夢は変形され、苦悩は解決せずに、生きねばならない。その運命は、実は、現代の世界に生きる自分たちそのものではないのか。

 宮崎は一気に絵コンテを仕上げていく。世界のどこにもない飛行機の開発に邁進する二郎。描くのは、いかに二郎が力を尽くして生きたか。
「精一杯生きたって感じにしなきゃいけない」

 物語は当初の予定から大きく動き始めた。その鍵を握る女性がいた。

「震災の時、本当にありがとうございました。里見菜穂子と申します」(菜穂子)

 ヒロイン菜穂子。恋に落ちた2人は互いにとってかけがえのない存在となっていく。だが菜穂子は不治の病に冒されていた。2人は離れ離れになる。それでも二郎に会いたい一心で菜穂子は名古屋駅へやって来る。映画のクライマックスが近づいていた。
「菜穂子が病院抜け出してくるってわかった瞬間に、二郎もなんかの覚悟があるはずだ。そこまでちゃんと表現しなきゃダメだ。駅で再会するシーンが山場なんだよ。その時に二郎がどういう態度をとるか」


2012年11月3日

 宮崎は一人、絵コンテに向かい続ける。
「人が別れ別れになってしまう時代だからさ。みんなに共通体験があったの。会えないとかね、連絡が取れないとか。時間がないんですよ、菜穂子さんが。そういう切迫感がなんかないといけないと思うんだけど、どういうふうに表現していいのかオレにもよく分からない」
 宮崎が研ぎすまされてゆく。
「やってることの意味なんて分かんないの。作っているときは分からない。意味を考えて作っているんじゃない。2人を出会わせなきゃいけない。出会わせたらどうするんだ」


2012年11月14日

 どうしても気になっているシーンがあった。名古屋駅の再会の場面だ。激動の時代を精一杯生きようとした二郎と菜穂子。そのすべてをこのシーンに凝縮する。
「(すぐ帰るつもりだったという菜穂子に対し)二郎が駅で『いっしょに暮らそう』って言うしかないんだよ。それが菜穂子を受け止める二郎の最善のことなんですよ。どういうふうに生きたかってことのほうが大事なんですよ。零戦がどうのこうのって映画じゃないんだよね。全然違う。だから、飛行機が作りたかったんで、戦争やりたかったんじゃないとかね、そういうくだらない言い訳をするのは一切やめようと思ってる」
 かつてない切ないラブシーンが誕生した。

「二郎さん、二郎さん」
「よかった。見つけられなかったらどうしようかと思った。大丈夫だよ、歩ける?」
「うん」
「行こう」
「私、一目会えたらすぐ帰るつもりだったの」
「帰らないで。ここでいっしょに暮らそう」


2012年12月17日

 宮崎はフィナーレに取りかかった。二郎と菜穂子のはかない新婚生活のシーンだ。菜穂子が病床から起きて二郎のYシャツをかいがいしくたたむ。どれだけのリアリティを持たせられるか。迷い、思い悩む宮崎はもはやそこにいなかった。
「ディテール、ディテールしかないんですよ。ディテールこそ大事なんだけど」
 人が生きた様をまっすぐに描く。
「ヒロインが死ぬことで盛り上げて映画を作ろうと思ってないんだよ、もう、この人たちがどうやっていくか見ていくしかない」


2012年12月29日

 年の瀬、絵コンテは残り100カット。宮崎は2人の別れのシーンに向かった。日々をどれだけ濃密に生きようとしているか、自らに問いただすようにして鉛筆を走らせる。
「人が生きていくっていうのは、力を尽くして生きていくっていう、堪(たふ)る限りに力を尽くして生きていくっていうこと。自分たちに与えられた自分たちの範囲で自分たちの時代に、堪(たふ)る限りに力を尽くして生きるしかないんです」
  まだ見ぬ自分に出会うため危険なかけに挑んだ新作映画。宮崎はこれまで書き貯めてきた絵コンテを見直し始めた。
「まあ、よく描いてきたね、こんなに。一寸先は闇でやってやってんだからね」
 ようやくたどり着いた安堵がそこにあった。


2012年6月

 6月、宮崎駿11本目の長編映画が完成した。       (了)
                     



















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2 コメント

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 極めるって大変だとプロフェッショナルを見て改... ()
2013-09-15 13:58:30
 極めるって大変だとプロフェッショナルを見て改めて感じました。一番苦しまれた映画かもしれないわね。
返信する
そうだね。このドキュメンタリーが宮崎の監督の苦... (タカ)
2013-09-15 21:43:21
そうだね。このドキュメンタリーが宮崎の監督の苦悩と執念を克明に伝えていたからこそ、記録に残したいと思ったんだ。
返信する

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