新・合気道楽心館で熟年バンザイ!

中野体育館道場は中高年シャンゼリゼ、合気道で熱い!
合気道は道場だけじゃない、日々是修行

39  「気配」「気配り」「気遣い」

2017-09-25 | 日記

黄昏時の駅前の路地裏で、歩きスマホ&イヤホンの若い女性とすれ違う。
(おっと!)ぶつかる寸前、こちらが回避したが、彼女はそれさえ気づかぬように去って行った・・
こちらに害意があれば、なんの抵抗もできなかっただろう。
人が動物として持っているレーダーの電源が切れてるならば(切ってるならば)、
彼女がこの先、災禍に巻き込まれずに無事で生存できる確率は
かなり低いとみなければならない。
アフリカのサバンナで、ネコが腹を見せて寝てるようなもので、1日とて生き延びられまい。
でも・・あたりを見回せば、同様な方々ばかり。

歩きスマホが(珍しくもない風景)になってしまうとは・・。
周囲と隔絶して歩くことが、当たりまえだとは。
いつなんどき、暴漢がすれ違いざまに金品を奪うかもしれない・・
後ろから羽交い締めにさえるやもしれない・・
交通事故はもちろん、テロに遭遇するかもしれない・・
田舎のあぜ道だって、マムシを踏んでしまい、逆襲されるかもしれないのだ。

むろん、人は四六時中警戒しているわけにもいくまい、
それでも、万一遭遇した時は、出来る限りダメージを少なくしようと
人は本能的に微弱なレーダーを放って気配を察知し、異変に備えてきた。
動物の中で決して強くない人類は、気配を察して生き延びてきた生き物だった。


剣術の基本稽古で、剣の打ち込みへの反応訓練がある。
いや、剣の動きが見えてからでは間に合わないから、
反射神経というより、動き未満の「気配」を察知する稽古である。
真剣であれば命がないのだから。
動きの「起こり」、剣先の動きや、手足や目の表情が表面的な手がかりだが、
相手が手練れだと、ほとんどどこにも信号を出さずに剣が飛び出てくる。
これまでの経験でいえば、視覚や聴覚で感知しようとしても、
まず間に合わない。
(相手の内部で発動される“打ち込め”という微弱な信号)を、
全身でなんとか察知するほかない。
「起こり」の気配を捉えるというわけだが、
こちらのコンディションが悪ければ、不可能だ。
全身の皮膚細胞を「目」「耳」にして、対応するほかないのだから。

むろん、
今の世の中で、真剣が自分に向かって振り下ろされるといった
死活を分ける状況に出くわす確率はほとんど少ない。
しかし、事故や事件に巻き込まれる可能性は、都会ではかなり多い。
気配を察すれば回避できるチャンスはあるのに、
気配に無感覚だと、災難圏に足を踏み入れてしまうことは、かなりの確度で生じる。
たとえば、
頭上のクレーンで鉄骨を吊りあげている工事現場。
歩道に赤いコーンが置かれ、警備員が誘導し、歩行者の動線を規制しているが、
現場が狭いと、万一鉄骨が落下したら、直接間接歩行者に危害が及ぶことは
充分ありうる。
通り過ぎる際、クレーンの動きや吊られた鉄骨のバランスなどに
(・・何かヘンな違和感)を感じたら、危険が顕在化する前に、その直観に従う。
万一、ワイヤーから鉄骨がずり落ちた場合でも、回避できるだけの
間合いをあけて、大回りで通りすぎよう。
そのとき、歩きスマホでいたら、寸分の回避行動もとれまい。

毎日、(不慮の事故、事件)などの厄災がどこかで起きる。
交通事故、火災、通り魔、ひったくり、詐欺、暴行・・
ほとんどは、起きる直前、大なり小なり、微細なシグナルがあったはずだ。
(よくわからないが、なんか、ヘンな感じ)・・をキャッチし、
(遠回りでも迂回していこう)的な危機回避能力は、
現代では一層必要になっている気がする。


逆に、
一般世間で人の気配を察することは、相手への気遣いでもあった。
狭い路地ですれ違う時は、先に気付いた方が相手を先に通してあげる。
見知らぬ者同士であっても、アイコンタクトで、(お互いさま)(ありがとう)と交わし合う。
そんな他人を気遣える者が大人とされた。
それが社会で生きるセキュリティーにつながったし、(つながり)感覚が心地よかった。
家庭や職場での対人関係でも「気配り」が大切だった。
それができない者は、
「気が知れない」「気が利かない」者として、気味悪がられた。


合気道のみならず、
武道はそもそも、身体感覚を最適化しておき、
どんなことが起きても、居着くことなく、身体が自然に反応できることが
稽古の大きな眼目。
たとえ武道に縁が無くても、
家庭や職場で、「気配り」をルーティン化して身につけることは、
コミュニケーション上も有効なトレーニングになるだろう。
わたしは、もっぱら、「ボケ防止」ですが・・・


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38 稽古前のチューニング

2017-09-12 | 日記
 
人様には言えない程ばかばかしいことで腰を痛めてしまい、
稽古当日の朝、合気道の稽古を休もうと思ったが、
(いや、待てよ、どこかにしまってある腰のコルセットをすれば
歩くのにさほどの支障はないだろうから、
行ってみて、皆の稽古を眺めていよう)
と思い直した。

まだ誰も来ていない武道場に入り、腰をかばいながら正面に座礼をすると、
それだけでなんとなく場の空気が変わり、
こちらまで浄化された気分になるから不思議だ。
窓を開けて換気扇を回し、熱中症対策に大型扇風機を据えて回す。
稽古着ではないが、身体が天地の軸とずれていないか、
身体が自動的にスキャンしはじめる。
楽器をやる人がまず、チューニングを正確に調えることから始まるのと
同じこと。

ここは、公共施設の武道場だから、正面に神棚はないが、
いつも、先生以下、何もない正面に向かって整列し、座礼をして
その日の稽古が始まる。
見えないけれど、「神前の礼」は、稽古の始まりと終わりに欠かせない。
事実、そのマインドセットが、ケガの防止にも大きな役割を果たしていると思う。

しかし、
道場を利用するものは我々だけではない。
他の団体が、座礼もせず、使い方が粗雑だと、なんとなく、ロッカールームまで
見えないゴミがたくさん落ちてるように感じ、胸が悪くなる。
場に対する十分な敬意がないと空気が粗くなり、身体感覚も悪くなる。
そんな中では、受け身一つとっても、稽古にならないだろう。

合気道に限らず、武道は、身体感覚が生命線。
身体感覚は、場の持つ微妙な空気の変化にも敏感に反応するようだ。
座礼すると、日常とは別の身体モードが作動しはじめる気がする。
その上で、自分の体をモニターしながら、心身を調律しておくことが、
術技以前のセッティングとなる。
いや、普段の暮らしの場でも、そのはずだ。

こういう話は、
わからない方々にはなかなかわからない。
私自身、老いたけれども、
生身の人間としての直感で、しみじみ思う。
昨今は、学校も病院もお寺さえ「経済合理性」ばかりで語られるご時世、
かつての武道もほとんどが、競技スポーツになってしまった。
東京オリンピックへ向けて、ますますメダルのことばかり人の頭を占める
ようになる。
勝ち負け、損得など、世俗の経済合理性のしがらみに、
縛られすぎねばいいのだが。

誤解を恐れずに言うならば、
霊的な成熟度を少しでも高めることこそ、生きていく尺度ではなかろうか。
道場の片隅で稽古を眺めながら、
なぜ合気道には試合がないのか、改めてわかる気がした。

神社に参拝してすっきりした気分を身にしみてわかっている
シニアこそ、この武道場で自らを浄化していってはどうか、と思う。
神前の礼で、心身が微妙に変化するのがおわかりになるはずだ。
霊長類である人間は、そのように構造化されている、厳然とした事実
を感じられるに違いない。
せっかく生かされているのだから、それだけでも、体験してみてはいかがだろう。

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37 焼き鳥のクシ・・一酔の夢

2017-06-01 | 日記


突然ですが、
焼き鳥の串,よく見た事あります?
あまりないですよね。
自身も、焼き鳥の具は目にしても、
串そのものをまじまじ見たことはありません。
串を作った方には申し訳ありませんが。

肉や野菜の具をつなぎ、中心を貫いでいる「串」。
合気道の稽古で常に「軸だ軸だ」と言われ続けてきたせいか、
「串」的なるもののイメージが脳みそにこびりついてしまったようです。
串は、ある場合は「軸」と言い、「芯」と呼んでも差支えないでしょう。



毎日の「立つ歩く」でも、頭頂から足裏へスーっと・・
無意識に自分の体軸をチェックしている自分がいます。
周りの人の歩き方を見ていても、随分と軸がよれているなあ、
あれでは疲れるだろうに、と心配になる方もいますし。
一方では、和服姿で凛として歩くご婦人をお見かけすることもあります。
明らかに、体軸がきちんと身についていらっしゃる。
疲れる姿勢と疲れにくい姿勢・・軸がカギです。


合気道をはじめとする武道でいう体の軸については、いうまでもありません。
重力を受け止める身体の物理的な中心軸、脊椎に添った軸は、人体構造の支柱であり、
落下運動の動線であり、
さらには、丹田をターミナルとした呼吸の通り道であり・・
かつ、天と地のエネルギー、気が通る幹線経路・・ですよね。

しかし、
ほろ酔い状態で焼き鳥の串を見ながら、いつしか夢にふけって見たのは
・・・天地に無限に伸びる1本の串でした。
その串に刺し貫かれた「具」は、私自身であり、
素粒子や細胞レベルから、物質の生成変化、人の生き方、
果ては宇宙を悠々と貫いている・・光のような「串」でした。
共振しあう震動体のようにも感じます。
ミクロからマクロまで、エネルギーの串といえるかもしれません。
ちくわの穴が、無ではなく、構造的な支柱であるように。
さらには、遠い先祖から今の私まで、
代々の生命の種をリレーしていく、時系列上の「導線」でもあるかもしれません。
あるいは、
人が集団生活していく場での、「礼」や、信」といった、調和の「串」です。



話を等身大に戻せば、
現代の都会生活は、あまりにノイズが多く、
価値観が錯綜し、真偽も正誤も、何が大切なのかさえ不明分が多く、
ともすれば方向感覚を失いがちです。
心身が軸のない不安定な状態では、いたずらに欲望に振り回され、
エネルギーは拡散され、とても疲れますよね。

その意味でも、
気や軸の感覚を自然に養成する合気道は、
とても汎用性の高い身体技だと、改めて感心している次第。
何より、身体感度が上がってきますから、気持ちがいいし、清々しい。
ひいては、
人間関係を切り結ぶ、いや、コミュニケーションする
うえでの「極北」ともなるはず。
生命活動や人間関係における「活力」、
ものごとの「筋目」ともなり、
社会の道理とも重なり合ってくるように思えます。


言い方を変えれば、軸の感度をあげることは、
自身のGPS感覚、仕事の仕方、人付き合いも、酒の飲み方も・・
いいバランスをもたらしてくれること、請け合います。
シニアになってからそこに気付いたのは惜しい気もするけど、
気づかないまま、ぶれて終わるよりは、「セーフ」ですよね。

せっかくいい頭脳を持ち、恵まれた環境にあっても、
心身の中心軸が歪んでいるのでは、目先の状況に振り回されるだけで、
なんにもなりません。へたをすれば病気になります。
頭で思い悩むことをしばし停止し、
串に刺された等身大の具として、軸の感度をあげていこう!
・・・・
そう、決意を改めたところで、酔いが覚め・・
焼き鳥はすっかり冷えていました。

こんど焼き鳥を食べにいったとき、串をまじまじと見てください。


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36 カラオケも・・・合気道だね

2017-05-22 | 日記

突然だが、
アン・ソフィー・フォンオッターという北欧出身の歌姫をご存じだろうか。
メゾソプラノの第一人者で、オペラからポップスまで何でもござれ、プロ中のプロ。
一度ラジオでその美声を聴いたのがきっかけで惹きつけられ、
CDを数枚購入して拝聴しているのだが、
聴くほどに・・素晴らしい声の秘密が気になってくる。
圧倒的な爆発力を聴かせる”剛剣”の声楽家は多いが、
彼女はむしろ、ささやくような声、柔らかいコントロールに魅力を感じる。
力みのない声で、じわーっと圧がかかってくる
表現の豊かさが、正面からくるのでなく、どこからか来るようで、
それが「合気道的」だと感じるのは私見も含めてだが。

発声も身体運動だから、
武道と通底する術理があって不思議はない。
もちろん、呼吸を最終的に声に変換するのは声帯と口腔だが、
それは、武道で言えば手先指先の端末にすぎまい。
・・そう、秘密は、呼吸をコントロールしている胸・腹の奥にある。
彼女の歌を聴いていると、4オクターブもの声を操る
胸腹内部の動きが見えるような気さえする。

絶妙な息を生み出すのは、
大腰筋をはじめとする深層筋と、それに連動して上下する横隔膜、
つまり、上丹田、中丹田、下丹田と使い分けられているのだと推察。
むろん、構えも、軸がしっかりしていて、高音部も低音部も力みがない。
深層筋をいかに柔らかく使っているかがわかる。
声の強弱は、足の裏から膝腰を通った大地のエネルギーと、
天のエネルギーを自在にふりわけて使っているのだ・・と想像。
息そのものがエネルギーの塊でもあるが、
その結果、声帯だけが振動しているのではなく、
横隔膜も腹腔も、肋骨や背骨までが振動しているに違いない。

発声の陰に、ゆるみがあり、入り身があり、接点を通じて気が通り、
圧が継続的にかかる。
幾千、幾万の聴衆は、耳を接点にして彼女に技をかけられ、軸を崩され、
ついには気持ちよく膝を屈せざるを得なくなる・・つまり、感動せずにはいられない。

そんな妄想をしながら聴いていると、
合気道の様々な技が想像させられるから不思議だ。
聴衆を相手に技を掛けているといってもあながち見当はずれではないだろう。
ただただ脱帽。(合気道的な歌姫、youtubeででも、聴いてみてください)

ともあれ、
プロならずとも、カラオケが好きな諸氏は、
自分が歌っている時、呼吸の仕方と声が連動していることに
気付くはず。
初心者は、どうしても口だけしか意識できず、肩に力が入り、
喉の筋肉をしぼって声帯を力任せで震わせるのがわかる。
一方、
カラオケでもベテランともなれば、腹から声を出すという意識が
多かれ少なかれ芽生えていることだろう。
それが、術理まで解して発声できるようになれば、街角のスターになるのも
あながち夢ではないかも。

きっと、合気道をやってるみなさんは、
日頃からちょっと発声の素振りをしていれば
足裏から膝腰、胸から腹の深層筋を意識的に使えるのではなかろうか。
表層筋は力を抜き、下半身と丹田を主体に息を使い、
どんな歌もやわらかくやわらかく歌えば、それなりになるはず。
ただし、音感は別物だから保証の限りじゃないけど。


こんど、カラオケのマイクを握る時は、
合気道を稽古するつもりで挑戦してみよう・・っと。

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35 力づくは・・いただけませんね

2017-05-14 | 日記

お久しぶりです。
シニアな頭ですから、どんな技を稽古しようと、相変わらず、基本を体の中で
繰り返し確かめる・・毎回そんな、牛の胃袋のような時間が流れています。
(先生はきっと、もどかしいことでしょう)
いつの間にか、新人の門弟も増え、基本にかえるにはいい機会です。
でも、微妙に、軸の感じ方や呼吸、ゆるみや丹田の上下の使い分けなど、
始めた頃に比べれば、体の割り方がずっときめ細かく感じられる今日この頃。
これだけでも、合気道をはじめた甲斐がありました。はい。


稽古もさることながら、
合気道の術理がいかに普段の生活場面でも汎用性が高いかを
繰り返し、この稿でテーマにあげてきました。
合気道は、普段の暮らしの中で生きる、
その思いは、ますます強まっています。

例えば、
先生に口酸っぱく言われ続けてきた基本、
(強い・速い・重い・・じゃない。一挙動、加速しない、等速直進運動、柔らかく・・)
その一点だけでも、日頃の様々な場面でひんぱんに弊害を目撃、体験します。

無論、
武道的な意味では、(強い・速い・重い)(反動つける・加速する)
といった”力づく”の動きは、相手に読まれ、警戒され、却って抵抗を招くわけですから、
どんな技も意味をなさないというわけです。
皆さんもう、いわずもがなですよね。

先日、
電車の向かい側の席で、若いママさんが、4、5歳の娘に、
大きな声で「どうして、いうことを聞けないの!」
「いつもあれほど言ってるでしょ、ママのことを信用できないの!・・・」
ママがを荒げるほど、娘の泣き声は増すばかり。
感情的に力を入れるほど逆効果になる、よくある光景ですよね。

そんなやりとりを見ていて、
(ああ、力づくが逆効果なわけがこれだよな)と、絵に描いたように見えた思いでした。
自分の理屈だけ、大声で押し付けるのは、筋肉の力でグイグイと技をかけに
行くのとおんなじ。
しかも、上から目線で、反動はつけるわ、加速するわ・・のママは、
泣き声に余計イライラするばかり。
娘は、ママの言い分以前に、力づくに恐怖してしまって、
心で耳をふさいでいたにちがいありません。
娘に言い分をわかってもらうには、逆に、小さな声で、
笑みでも浮かべ、(柔らかい接触)で言い聞かせてあげないと、
イヌ・ネコだって耳をふさぎたくなりますよね。

実はこれ、
居酒屋トークでもしょっちゅうあります。
仕事で疲れて帰ってきて、カウンターに並んだ者同士、
お互いストレスもたっぷり抱え、酒に癒しを求めます。
ところが、酒がまわってくると、
ゴルフや政治の話で、だんだん熱を帯びてくる。
声が大きくなり、キーもあがります。
Aさん、鼻の穴が膨らんできて、(オレがオレが・・)のアクセルを加速。
そうなると、聞く方の周囲はたまりません。
Aさんの言うことは正論かもしれないのですが、
言ってる内容以前に、(オレがオレが攻撃)につい、耳をふさぎたくなりますよね。
コミュニケーションの技が、ただ(痛い)だけなんです。
顔をそむけたりすれば、さらにAさんのアクセルは全開。
こうなると、聞く側は反発心がわき起こり、Aさんの言い分に水を差したくもなります。
そうなると、Aさんは余計ムッとして、なおさら声を張り上げることになり・・
あ~あ、せっかくの酒がみなさん、不味くなる。

はい、ここでも、力づくは逆効果なんですね。
自己主張だけを押し通す・・
知識のひけらかし、自慢話、威張る、押し付ける・・
いずれも、ペケなことは、おわかりですよね。
ただ、相手をねじ伏せたいだけなんですね。
酒の席でも、コミュニケーションは、伝わってなんぼのもの。
相手が(その先ももっと聞きたい)とおもわせてこそのコミュニケーション技です。
そのためにはまず、周囲の言い分にも耳を傾け、
自説ほど、穏やかな声で、笑って話しかけるくらいが、技の基本です。
柔らかく(接触を保つ)ことに他なりません。

居酒屋トークにせよ、妻との会話にせよ(これは手強い)、
職場でのやりとりにせよ、合気道の稽古とおんなじだと思ってまちがいありません。

むしろ、騒々しい居酒屋でのトークで、
周囲が一番耳を傾けたのは、Bさんがささやくような声で
発した言葉でした。(お酒って、なんでこんなに旨いんだろうね・・)
みな、(え、何、なんていったの?)と耳を集中させた時、
おもむろに話した内容が、その日最も伝わったコンテンツでした。
(ゆるみ)みたいなものかな。
噺家さんなどおしゃべりの達人は、みな承知しています。
話のポイントになると、必ず、声をさげます。
時には、ささやくくらいになります。
その方が、聴衆の耳が感度があがるのを承知だからですね。
二教の掴み手と同じですよね。


そのうち、居酒屋トークでも、
いずれ、一教、ほれ、二教、ほら、呼吸投げ、お次は小手返し・・と、
技が使い分けられるようになれるかも。
技をかけられた相手が、みなさん、気持ちよく耳を傾けてくれる
呑兵衛トークにしたいもの。

居酒屋も是れすなわち道場・・

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