新・合気道楽心館で熟年バンザイ!

中野体育館道場は中高年シャンゼリゼ、合気道で熱い!
合気道は道場だけじゃない、日々是修行

54  非常時のときこそ・・合気道!

2019-08-26 | 日記

いやはや、
この夏、心身にこたえる(非常時)が続きました。

外国に住む娘のところに日本から家族友人を同伴し全10人(私が最年長)、
3か国語が飛び交う中で2週間ほど山荘で共同生活。
孫の相手をしたりして、帰国後いっぺんに疲れが吹き出ました。
続いて帰国後、
仕事で新たな企画の責任者として、スタッフの調整に
飛び回る日々が続き、原稿を書いたり、書類を作ったり
連日パソコンに向かうはめに。
そんなときに限ってパソコンが突然フリーズしたり・・
さらには、階下の天井から水が・・!漏水騒ぎでドタバタとなり、
猛暑の1週間、風呂も使えない状態に!
まったく、悲劇と喜劇は背中合わせ。

言えば切りがありませんが、とにかく
家庭と仕事で、体力的にもメンタルでも、
きしんで悲鳴を上げるような出来事が続きました。
加えて、猛暑ですからね。厄払いしたくなりました。

その間、稽古に通うこともままならず。
とんだ「ひと夏の経験」です。
集中するときは集中するものですね。

にもかかわらず、腰痛もぶりかえさず、風邪もひかず、熱中症にもならず、
なんとか乗り切れたのは、間違いなく、合気道を稽古してきた
そのおかげだと痛感しています。
むろん、技を使う機会があったからではありません。
昔ならストレスを酒で乗り切ったのでしょうが、そんな体力も若さもありません。

きつく感じる時というのは、すべからく”前のめり”になってるようです。
脳の働きそのものが前へ突っ込み、体軸がばらばらになっています。
余りのアンバランスに、無意識に余分な力が入ってしまいます。

そんなとき、
わずかの時間、スイッチを切り替え・・「礼」!
体軸を整え、呼吸を整え、基本動作を繰り返し、
(一文字腰へ落とし、膝行し、中心線へ構え、転換動作し、
丹田、指先の意識・・呼吸力、中心力・・)と言う具合。
基本動作を一つ一つ思い返しながら、ゆっくりと動きました。
いつもの稽古相手が目の前にいるように感じることもあります。

30分ほどやると、
顔の筋肉からつま先まで、緊張がほぐれ、腹があたたかくなり、
忙しい状況も、見え方感じ方が柔らかくなりました。

愉しく遊ぶこと、仕事へ集中すること、人を気遣うこと・・
頑張るほど脳の中で(前のめり)(力み)が生じているに違いありません。
パソコンに向かっていても、いつしか脳の中で力が入り、
状況と争ってしまいます。
欲や怒りなど、感情のバイアスが加わればなおさらです。

(争ってはならない)
先生の言葉を思い起こします。
身体だけでなく、脳の中にも小さなわたしがいて、
合気道の動きをさせる。
強い腕力で両手取りされているような目の前の状況、
剣を打ち込んでくるような仕事の難所・・
(争ってはいけない)
(つながって、中心線を感じ、指先まで気を通し、一致し、ゆるみ、変化し・・崩す)
パソコンに向かうときでも酒を呑むときでも、どんなときでも、
そんなことを言い聞かせ、
頭の中の私に、合気道させることができる・・そうありたい。

人間というのはなんとも摩訶不思議な生き物か。
その感慨が、私にとって合気道の一番の収穫かもしれません。






53 新時代の合気道に乾杯!

2019-05-06 | 日記

今年のゴールデンウィークは令和への“時代越し”のせいか、
祝賀ムードで気分が盛り上がり、少々疲れました。
そんな時は、街の人混みで狭くなった視界を空を見上げるなどして広げ、
心の地図をワイドにすると回復効果があるそうです。

久々に田舎で星空を拝んできました。
古代の人々がどんな思いでこの星空を見上げただろうと、
想像するだけで胸が緩みました。
なにせ、
地球がある天の川銀河には太陽のような星が3千億もあり、
宇宙にはそのような銀河がまた3千億個以上あるそうですから。

私たちが目にする星の光は「過去」です。
例えば、太陽の光は地球まで光速で8分20秒かかりますから、
水平線に沈む夕日は実際には8分20秒前に沈んでいます。
星は地球に一番近い恒星でも4光年の距離があり、
夜空には千年前の星もあれば1億年以上前の星もざらです。
つまり、
星の瞬きを見るということは、幾千年、幾万年かの遥かな旅をした光が地球に到達し、
我らの目の網膜に光の粒子が衝突した瞬間というわけです。
古代人とは一味違う“宇宙感覚”を持てる時代なのですね。
平成の時代は30年間でしたが、
宇宙の時間からすればほんの一瞬の出来事に過ぎません。
夜空を見ながら、昭和の星、江戸時代の星、平安時代の星、恐竜が闊歩していた時代の星
・・を探し当て、時空間マップを想像するのは愉快なことです。

専門家に伺った話ですが、
宇宙感覚というのは、
自分が生まれる前も自分が死んだ後も含む「時空を貫く流れ」が在り、
自分はその「広大なるもの」の一つの構成要素であって、
自分の前にも後にも「何か」があって、それにつながっている・・という感覚で、
生きる意欲を維持する上で大切な感覚なんだそうです。
難しいけど、ちょっとはわかる気がします。

昔から仏壇に合掌するという行為も、
先祖代々に思いをはせて供養するのみならず、
宇宙を貫くその一筋の流れと自分自身の呼吸のリズムや
体軸を合わせる行為だったような気がします。
合気道の稽古の前後に神前で一礼するのも、
技を創意工夫した先達たちに敬意を表するだけでなく、
自身の軸と宇宙の時空間の流れとを同期させる意味が含まれ、
それが動作の始まりとなる、そう伺いました。
・・技の基本である「一致」も、宇宙的な原理なんだと、
勝手に納得しています。
そうか、「気剣体一致」「天地人合一」!


人生百年時代といっても、
宇宙的な時間からすればごく限られた一瞬、
それが宇宙的な時間の流れとぴたりと一致した時、
おそらく、絶対的な自己肯定が湧き上がるのだといいます。
たとえ自分が1時間後に死ぬとしても、
そんなこととは無関係に自分は「広大なるもの」の一部であると実感できる。
そして今、自分は「しかるべき正しい時間と場所に、
居るべき人と共に在る」という実感が得られる。
未熟な私にもゆくゆく
そんな先人たちのメッセージを感じ取れたら素晴らしいでしょうね。



新たに幕を開けた令和の時代、
宇宙の一部である身体に敬意を感じつつ稽古に励みたいもの。
そして、稽古終わりに一杯やりながらしみじみとかみしめたいものです。
(つまりは、いかに有意義で豊かな酒を呑むか・・)
合気道に乾杯!

52  「天地人合一」・・って?

2019-03-24 | 日記
「天地人合一」・・
稽古で、「気剣体一致」と共に、呪文のように刷り込んできた文句。
フツーの熟年オヤジには当初、「起立、礼、着席」のようにしか
聞こえていなかった言葉です。
その後、
武道に限らず、身体運用の基本となる「体軸を通す意識」
・・なわけね、とわかりましたが、それ以上深く考えたことはありません。

それが今なぜか、「天地人合一」が気になるんですよね。
それも、道場の中だけでなく、フツーに生きていくうえで。
なぜなんでしょう。

思想哲学の難しい側面はさておき、
合気道をやる際や日頃の身体感覚として、どうでしょう。

私が勝手に思い描く「天地人合一」のイメージは、
単に、背骨や体幹などの構造体としての中心軸や姿勢にとどまらず、
それらのさらに「芯」であるような、(チクワの穴)のような、
あるいは、エネルギーの流路となる(透明なパイプ)を想像してみます。


パイプを流れるエネルギーは、重力であったり、
雷のような電気的なエネルギーだったり、さらにいえば、
いわゆる(気を通す)の「気」であったり、つまりは巨大な自然エネルギー群です。
つまり、自分のチカラではありません。
自然エネルギーは、そのままでは取り扱いも難しく、
かえって体に負荷をかけ、腰や間接を壊す恐れがあります。
制御するのが大変です。
稽古で「天の気、地のチカラ」というイメージで教わるように、
落下エネルギーを胸や膝のゆるみなどで丹田に取り込み、
地面からの反作用を含めて、爪先から足腰、体幹から指先へ、
さらに、接点を通して相手へと流し、崩す・・・
相手とのつながりの術理「合気」は、
相手に反応させずにエネルギーを通し、相手の軸を崩すための接合術というわけです。
・・な~んて、ぼんやりとイメージしています。
(背伸びして考えてみても、こんくらいかな・・)


ちなみに、NHKで、
柔道の「内股」の達人を解析した番組を見ました。
相手の重心直下へ飛び込み、相手の身体を浮かせ跳ね上げる際、
4~500キログラム・・という体重の数倍もの荷重を上方に
生じさせているとのこと。「天の気・地のチカラ」に改めて驚かされます。
しかも、
当の達人たちは、「ほとんど力を必要としない」と口を揃えます。
それも、「天の気、地の力」と身体を正確に制御できればのこと。
手足や体幹の筋力は、あくまでパイプの補完役、
電線でいえば、絶縁体(シールド)みたいな役割だというわけです。
むしろ、筋力頼みは、術理を阻害するだけなのでしょう。

まあ、
あくまで勝手な連想であり、稽古を重ねてそれぞれが
身体感覚で確かめるほかありません。
もっとも、
合気道は、相手に反応させずに加わるチカラを重視しますから、
エネルギー自体の放出量よりは、柔らかさや、動きの精度といった
「量より質」が肝心かもしれません。

それにしても、
普段の私たちは、筋力頼みの意識がなかなか抜けず、
天地人合一のパイプが目詰まりがちな案配です。
もとよりそれは、身体のことだけに限らず、
脳の中の「小人くん」にもあてはまりますから、
思考や感覚のうえでも、同様に流路の整備不良に
なっているのだと感じます。
人生ではむしろ、このことがもったいなくてなりません。
日頃の立ち歩きから、普段の思考、コミュニケーションに至るまで、
「天地人合一」を心掛けねば。
なにせ、それだけでも、熟年オヤジが合気道をやっている意義がある、
と思う次第。

「天地人合一」、
とりあえず、軸ぶれないよう体やエネルギーを使う、
という意味に解釈していますが、
もっともっと深い意味がありそうですね。

51  あゝ、「前のめり人生」・・

2019-02-19 | 日記

今回も脱線気味になりそうです。
熟年合気道のわれら・・・なぜ「合気道」だったのか?
先日こんなエピソードが・・

今年も始まった税金の確定申告受付。
今年は早めに片付けたいと、初日の午前中に税務署へ。
すると、税務署の中庭にはすでに長蛇の列!
(あちゃ、出直すか・・)と思いながら、並んでいる顔ぶれを見ると、
どう見ても団塊の世代から上の方々ばかり。??

しかも、
提出用紙を積み重ねた長いテーブルの前では
我先にと用紙を奪い合っていらっしゃる。
(きっと、医療費の控除など少しでも税金を還付させたいのかな、と推測)
みなさんの全身から、獣のガツガツしたオーラが見えるよう・・
きっと、日頃は好好爺の顔なのでしょうが、
一旦ことあると、気色ばんだり、殺気立ってしまう。
まるで、銭湯の一番風呂が、イモの小洗い・・の状態。

・・そのとたん、合気道熟年組のみなさんにありがちな、
「前のめり」癖を思い起こしました(私を含めて)

ご存じでしょうが、
団塊から上の世代はとにかく人口がいたずらに多いのです。
一学級多い時は60人いて、それが一学年に6クラスか7クラスあったのです。
校庭にプレハブを建て、二部制になったところさえありました。
高校大学と、必然的に受験地獄。一浪二浪は当たり前。
年末の帰省シーズンには上野駅にテント村ができるほどの大行列を作り、
ホームに入線する汽車に、窓から荷物を投げ入れて座席を確保していた
・・そんな世代です。

以降も、
就職、結婚、マイホーム、マイカーと、あらゆるイベントに集中、
互いに熾烈な競争を繰り広げた、いわば、宿命の熟年組です。
(後手を踏んではならない)その脅迫観念に背中を押されながら
高度経済成長の戦士となってきたというわけです。
いわば、「
前のめり」の人生を条件付けされてきたといえます。
現役時代のみならず、定年後も、
旅館の食事タイムにまっさきに順番待ちの列に並び、
バイキングの毛ガニのテーブルに走っていくのも・・この世代。
まあ、おばさんたちがバーゲンに異常に反応するのと同じです。
病院の待合所がだって一年中、それに近いことでしょう。

そう、
熟年層は生涯、競争に明け暮れて生き延びてきた世代です。
心の中で無意識に反芻してきた言葉は、(遅れてはならじ!)(人より先に!)
ドアの隙間にさっと足を差し入れ、自己主張しないと転落しそうな
怖さがいつもあったのです。
(本当に悲しい性ですね)
だから、歳をとっても何かに立ち向かうとき、条件反射的に
気が焦る、はやる、慌てる。
身体が衰えた今でも、「人生いつも前のめり」が身にしみこんでいるのです。

熟年のわれら、合気道を
「前のめり」の人生から解放されるべくやっているのかもしれません。
(あと知恵ですが)
晩年とはいえ、哀しい習い性をせめて合気道で浄化し、
人生を清くしめくくりたいもの。
軸を立て、初動を消し、加速せず、等速直線で、接点では力を抜き・・
わかっているんですがねえ。
どうか、
若いご同輩は、稽古でご一緒した際は、ご理解のほどを。

50 合気する・・ことば!

2019-01-30 | 日記

先日の朝食時。
朝刊の折り込みチラシを眺めていた妻。
「ねえねえ、あのスーパー、今日から肉と魚ぜんぶ2割引きですって!」
食事中の私、妻の話に関心なし、つい・・
「いつもの手だよ、のせられないほうがいいぜ」
・・
(とたんに、妻の顔がきっとなって・・しまったと思ったが遅し)
その後3日間、口をきいてくれませんでした。

後悔しました。合気道の稽古的にもね。
あれです・・「接触」。
熟年合気道のみなさん、「接点」のつながりの重要さを
いやというほどご承知かと思います。
相手の中心にこちらの半身を合わせ、つながりを合気に保ちつつ、
接触を変化させ、肩を崩す・・・それが基本のはずです。

同様に、本舞台であるはずの日常生活では、
自分に投げかけられた言葉がまさに「接点」。
あの朝、
「2割引きですって!」とかけられた言葉が接点でした。
「いつもの手だよ」では、接点をぐいっとやって、加速をつけて
妻の気持ちを力でねじ伏せたようなもの。

反省しきり。
「2割引きですって!」
「ふ~ん、じゃ、とりあえず見てみたらいいんじゃない」
くらいが、つながりを壊さない合気の道でしたね。

最近売れているという本「妻のトリセツ」を、こそっと読みました。
男の脳と女の脳の決定的相違は、
目の前で生じた事態を反射的に分析し、解決策を講じる「問題解決型」の男脳。
女性の方は、事態への対処よりも、一緒に共感する「共感型の脳」なんだそう。
その辺はおいておいて、
強敵である女性に対するときは、共感する(ふりでもいい)ことばが、
合気の接触なんだというのが、おぼろげに呑み込めます。

なわけで、
「共感ことば」が合気的接触なのだということを、肝に銘じた次第。
よくありますよね、女性のグチ。
それに対処する最適な共感ことばは、「・・そう、大変だったね」
だそうです。
なるほど。
ゆめゆめ、(・・えっ?それって君の方がわるいよ)とか、
(そんなグチったってしょうがないだろ)
・・なんて”力任せ”ことばは、もろにアウト!
接点が完全に壊れますから、はい。

(共感ことば「サ・シ・ス・セ・ソ」)
なる虎の巻があるそうです。
女性だけでなく、部下や同僚にも通じるそうですから、
覚えて損はなさそうです。
サ・・「さすがだね!」
シ・・「信じられない!」
ス・・「すごいね!」
セ・・「センスいいね!」
ソ・・「そうなんだ!」

まるで、昔の幇間(太鼓持ち)みたいですが、
ミソは、実際はそう思わなくても、言葉だけでも、接触をつなげる効果が
あるんだそう。ふ~ん。
そんな心にもないこと、しゃべれるか、という熟年諸氏も多いでしょうが、
その場合、ふんふんと、わかったような相槌を返すだけでもいいようですよ。
そして、笑顔。
むっとした顔をするのは、とられた手の筋肉がピクピクするのと同じ。
準備動作が伝わってしまい、却って相手の抵抗を強めてしまいますね。
笑顔以上に効果的なのが・・相手をほめること!
(できないよな~)

いずれにせよ、
妻や女性を敵に回して得なことは何もありません。
それもこれも、合気道の稽古だと思い、精進することにしましょう。
そのうち、
ことばの接触を起点に、一教二教三教・・きめ技、投げ技まで工夫しますか。
(もちろん、直に手を握る・・っていうのも効果あるそうですが)



たわいないようで、
合気道の術理はコミュニケーション全般に通底するんですね。
やればやるほど、奥が深い世界です。