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バラとおわら風の盆と釣りなどの雑記

女の民俗誌

2008年06月05日 | 雑記
女の民俗誌 宮本常一(岩波現代文庫)を読む。

宮本常一は民俗学の学者として名前が先行していますが、彼の本を良く読むと彼がやったことは、柳田國男から始まった日本民俗学という学術上の分類からは少しかけ離れていることが分かります。宮本は民俗学を研究したのではなく、正しくは名も知れぬ庶民の生活を記録したのです。膨大な著作や記録、写真はほとんどが自ら日本中を歩き採取した事実に基づくノンフィクションで天狗伝説や雪女を追って日本中を歩いたのではありません。「民俗学への旅」の中で自ら回想しているように、民俗学というくくりに対して後年懐疑の念を抱いているのが分かります。名もなき庶民こそが、一般的な日本人の姿であって、どんな人でもその生涯において語られることはないドラマがダイナミックに展開しています。歴史に登場したり、社会の教科書に載っていることだけがすべてではありません。更に宮本はその庶民の生活を大きく変えて行った農業などの技術についても研究する必要性を述べ自ら率先して後進地区には便利な技術を伝えて行きました。この技術革新に伴う農業の機械化により、人手が少なくても済むようになりそのことにより農村から多くの若者が都会へ流出して行った昭和20年代後半から30年にかけてが、日本人の生活様式の大きなターニングポイントであったことは、マンガ家の矢口高雄さんも実体験を元に述べています。また太平洋戦争で多くの20代30代の男性の戦死者を出し、農村における男女比率のアンバランス化による弊害が危惧されましたが、いつのまにか適齢期の女性が都会へ出て行くことにより自然解消されていたことを調査しています。

 さて大和撫子という清楚で控えめなイメージの日本女性ですが、「女の民俗誌」の中で語られていることは、かつてのいきいきと輝いて生活していた女性の断片を昭和初期から40年代まで書き続けています。特に「人身売買」という章では、明治時代に満州へ渡った日本人女性が馬賊の頭目の女房となり采配をふるったことが書かれていますが、それは一人ではなく、何人もそういう日本人妻がおりこれは朝鮮や中国の女性よりも遥かに能力があったからだという紹介や、女ひとりで、満州の荒野を数ケ月、無一文で彷徨い歩くことが出来たのも、日本人女性だけと述べています。かつての日本人女性は現代人が想像する以上に、たくましく強く生きていました。九州から「からゆきさん」として東南アジアまで渡った女性のほぼ3分の1は成功して里へ無事戻ってきたとのことです。宮本の有名な言葉ですが、共稼ぎ夫婦においての男女同権は決してアメリカから与えられたものでなく、それ以前より日本においては成り立っていたものです。明治初年のハワイ移民や後年のブラジル移民など、どれも日本人が成功しているのは夫婦単位で渡航したことによるもので、お互いを信頼し、力を合わせ困難に立ち向かって行ったからでした。しかしながら、社会全体を見るとまだまだ女の地位は低く、婦人参政権に反対の意見に、どうせ夫と同じ候補者に入れるのだから必要がないという見解あったというのは今では考えられませんが、女性の地位向上のための改革はいずれも少しづつ前進していると述べています。この平成も20年たった現在の社会は宮本にはどう映っているのでしょうか。

 近代日本の女性史という点でも傑作になるかと思いますが、とにかく読んでいて大変生きる力を貰える本です。以下に目次だけを掲載させていただきます。




「女の民俗誌」  目次

I 信仰と伝承
女性と信仰
女の伝承

Ⅱ 女の民俗誌
女の位置
ふだん着の婚礼――生活の記録
共稼ぎ――生活の記録2
海女たち――生活の記録3
出稼ぎと旅――生活の記録4
見習い奉公――生活の記録5
女工たち――生活の記録6
行商,‐生活の記録7
人身売買――生活の記録8
月小屋と娘宿‐生活の記録9
女の相続―‐。生活の記録10
家出――生活の記録11
戦後の女性―生活の記録12
婚姻と若者組―
里にいる妻
貧女のために
女の寿命
文化の基礎としての平常なるもの‥
島の女性風俗誌
宝島の神酒つくり

Ⅲ 女の物語
飛島の女―― 地方流しの果てに
阿蘇の女――強者どもの夢のあと
母の思い出
母の記
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