先日、ある表現を発表する場がありました。
発表した後、見ていた方から
「遠慮してるふうに見えるから
もっと感情を出して表現した方がいい」
と言われました。
私はかなり表現できたと思ったので、自分で自分自身に少しビックリしていたのですが、
まさか遠慮して見えたとは驚きました。
『表現が遠慮している』
私は自分の生き方が遠慮しているんじゃないかというふうに感じました。
よく考えれば、いつもどこかで遠慮している自分がいる気がします。
もともとは声が大きかったけど、一度注意されてから
なんだか声も小さくなってしまってなかなか直らない。
いつも誰かに怒られないように、
怒らせないように、
粗相しないように、
ってなんだか申し訳ない気持ちが根底にある気がするのです。
「何かをしてへんな人だと思われても、
それって相手にとって迷惑なことではない」
とも言われました。
なので、グッピーはへんな人と思われてもいいから自分をもっと表現して生きていこうって思いました。
無難なところを生きていたのでは面白くないと初めて思えました。
まずは大きな声になったな⁉と思われるくらい
声を出せるようになります。
そして遠慮しない生き方というと子供みたいだけど、
子供っぽい生き方という意味ではなくて
遠慮が当たり前ではない、
自分をもっと感じてもらえる生き方をしていきたいと思います。
グッピー
発表した後、見ていた方から
「遠慮してるふうに見えるから
もっと感情を出して表現した方がいい」
と言われました。
私はかなり表現できたと思ったので、自分で自分自身に少しビックリしていたのですが、
まさか遠慮して見えたとは驚きました。
『表現が遠慮している』
私は自分の生き方が遠慮しているんじゃないかというふうに感じました。
よく考えれば、いつもどこかで遠慮している自分がいる気がします。
もともとは声が大きかったけど、一度注意されてから
なんだか声も小さくなってしまってなかなか直らない。
いつも誰かに怒られないように、
怒らせないように、
粗相しないように、
ってなんだか申し訳ない気持ちが根底にある気がするのです。
「何かをしてへんな人だと思われても、
それって相手にとって迷惑なことではない」
とも言われました。
なので、グッピーはへんな人と思われてもいいから自分をもっと表現して生きていこうって思いました。
無難なところを生きていたのでは面白くないと初めて思えました。
まずは大きな声になったな⁉と思われるくらい
声を出せるようになります。
そして遠慮しない生き方というと子供みたいだけど、
子供っぽい生き方という意味ではなくて
遠慮が当たり前ではない、
自分をもっと感じてもらえる生き方をしていきたいと思います。
グッピー