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八百比丘尼と日本のタブー

2007年05月13日 12時10分44秒 | 信on
信長でもいる八百比丘尼事でも


●伝承について
八百比丘尼(やおびくに、はっぴゃくびくに)は人魚の肉を食べた事により死なない体になり、尼になり、放浪し、行く先々で故郷の椿(松)を植え、故郷に戻りったが実家がもう無い事を知り、悲観のうちに自殺したという昔話です。

人魚と八百比丘尼の話は話の中に出てくる若狭を含む北陸、関東、東海、中国、四国と広く、それゆえに話も幾分変わってしまっていますが上記の話は概ね合っています。
一つの話としては伝承範囲が広いですね。
仙崎のお静伝説が一番有名のようです。

出てくる人魚を食べた女(娘or妻)の尼になった名前は八百比丘尼、八百比久尼、白比丘尼、千年比丘尼と様々です。

ちなみに比丘尼とは女性の僧侶を指しますが、元々比丘(男性出家者)、比丘尼は乞食を指します。
托鉢とかそんな感じですね。
しかし乞食の意味から比丘尼は売春婦をさす場合があります。


年をとらなくなった事への代償みたいな話ですが、自分は村社会に視点を置いて書いてみます。



●八百比丘尼の話に出てくるタブー
・村の外から持ち込まれた人魚の肉を気味悪がり村人は誰も食べなかったが八百比丘尼だけは知らずに食べた
・人魚を食べたというカリバニズム的な行為
・人魚の肉による淫蕩

●八百比丘尼がうけた罰
・死なない体になった
 →取り残された状態、最終的には自殺という新たなタブーを犯す原因
・何度も再婚するも人魚の肉による淫蕩さから夫を殺す
 →安息な家庭を持ち得なかった、子ができない
・家庭をもてない、若い状態が村人から不審な目で見られる
 →村に居場所がない、仏門に入りばれない様に諸国を転々とする
 →望郷の念に駆られ各地に椿を植樹するも帰れない日々

●日本の村社会について
日本の村社会の色を濃く残す話でもあります。
・村人の行為とは別の行動をとったばっかりにその罪は重くのしかかる。
・どんなに望郷の念を抱いても帰れない。

食人的な行為、自殺と罪はありますが大本はここに行き着くのではないでしょうか?
話の中に八分は出てこなくとも村八分状態なのには違いありません。


●この話の中でのテーマ

・村社会からはじき出されるとどうなるのか?
・綺麗なままでの永遠の命に意味があるのか?
・食や性等の欲の果てはどうなるのか?

私見ですがこんなところでしょうか?

集団行動の優先、節制、そして生きる意味を問うところがいかにも日本的な話だと思われます。


●話のキーになる人魚について
元々人魚とはなんだったのでしょうか?

今の人魚のイメージはアンデルセンの人魚のイメージ、つまり上半身女で下半身が魚といった体です。尾鰭は二つのものもあります。スタバのマークがそうですね。
日本の場合、人魚伝説は中国から来ており、概ね「魚に人の手足がついている」「魚の体に人の顔(いわゆるシーマン)」でした。
人魚を捌く時のシチュエーションを見るに後者の方が近いかもしれません。

●ゲームの中でのドロップアイテム
比丘尼の椿
 八百比丘尼が各地に植樹した椿、もしくは故郷に咲いている椿(最後に手折って洞窟の前に挿したもの)
人魚肉
 そのまんま、しかし気合充填・弐で価値22って、、


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