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医療の犯罪 1000人の医師の証言 - 序章 精神病理学的側面から 36P

2013-07-03 10:25:57 | 読むとためになるもの
医療の犯罪 1000人の医師の証言 - 序章 精神病理学的側面から 36P


精神病理学的側面から


サディズムとは非常に酷い言葉で、たいへん酷い精神病理、すなわち精神の病を定義するのに使われる。
生体解剖者は、ただ金銭欲しさ、あるいは教授職にありつくために残酷な実験をしているのだと言い立てられても、冷静にそれを受け取ることで知られている(例えば、西ドイツのもっとも著名な外科医、ユリウス・ハッケタール教授は自著の一つで「今日、私は動物実験を嫌悪する。しかし、かつてただ教授になりたいためにそれを行った時期もあった。」と告白している)。
しかし、生体解剖者で、サディストと言い立てられて平気でいられる者は見たことがない。
彼らはこうした申し立てに泡を吹いて反論する。
ちょうど精神病理学者が、あなた方がおかしいのではないか、と言われたときのように。

生体解剖者はすべてサディストであると信じるのが誤りであるなら、サディズムがはびこっていないと信じるのもまた誤りである。
それは間違いなく蔓延している。
事実、この深刻な精神病理(慢性の精神障害)に侵され、かつ動物嫌いの男女(一般的には男の方が多い)にとって、生体実験所での仕事に携わる以上やりがいのある、報酬の多い仕事が他にあるだろうか?
フェルディナンド・デ・レオ教授は、イタリアのナポリ大学で外科の教鞭をとって半世紀余りだが、最初の講義の後、彼の袖を引っ張って、「動物実験はいつ始まるのですか」と熱心にたずねる学生が数人いる、と我々に語った。
しかし今日、若い学生の多くは、動物実験を好まないか、またはっきりと拒絶する。

サディズムの心理的問題は、1976年1月にイタリアで出版された『罪なきものの虐殺』で検証されている。
ここに、今世紀初頭に行われ、今日でも繰り返し行われている実験例をいくつかあげてみよう。
これらは理性の裏付けなしに執拗に行われ、ただ、深刻な精神障害としてのみ説明し得るものである。

ハドウェン博士によると、1920年代には、その数は年間10万から18万件に及んでいる。
しかし60年後、制限が厳しいと言われている法律が実施される一方で、その数は内務省の統計によれば、英国だけでも550万件に上昇している。
これ以外に、生理学者が密かに行う無許可の実験や、免許なしににできるため報告義務のない生理学教育研究所での実験や、さらに軍の行う大量の実験(英国ではポートン・ダウン、合衆国では海岸沿いの各地)がある。
後者はマーガレット・サッチャーのような政治家が熱心にその必要性を説いている。


次に紹介するのは年毎に出版される無数の実験報告から無作為に抽出した二つの概要レポートである。

コロラド大学霊長類実験所では、猿の新生児を母猿やなじみの環境などから引き離して“悲嘆”の感情を刺激し、それに伴う健康不良状態をブレイン・インプラントなどによってモニターした。
この残虐行為に対して、国立精神衛生研究所から10万ドルの助成金が充てられた。

ノースカロライナ大学の医学・生理学部のF・L・エルドリッジ、D・E・ミルホーンおよびT・G・ワルドロップは、不特定多数の猫を手術して脳の一部を除去し、踏み車に縛り付け、残存した脳の部分に電極をはめ込んだまま歩かせた。
動物たちは、麻酔もかけてもらえず、クラーレのような麻痺剤を服用させられたものもある。
結果。処置を施されない動物は踏み車に対して異なる反応を示した。


生体解剖を支持するグループの宣伝文句の一つは、動物実験は人体実験を不要にするというものである。
しかしその逆もまた真である。
それはすでにドイツの医師ウォルフガング・ボーン博士によって1912年に予言されていた。
彼は医学誌『Aerxtliche Mitteilungen』(7/8号)にこう書いている。

生体解剖の普及によって成し遂げられたことが一つある。
それは人間に対する科学的拷問と殺人の増加である。
この増加はさらに続くことが予想される。
なぜなら、これは動物生体解剖の論理的帰結だからである。


動物実験300件の移植実験にすべて失敗し、一匹も生存しなかったという記録を持つ、資格を欠いた外科医レオナルド・L・ベイリー博士が、ロマ・リンダ医学センター(カリフォルニア)で、1984年、心臓疾患があると言われた新生児の心臓に、一切麻酔も施さずにヒヒの心臓を移植したとき、ボーン博士の予言を思い出した人も多くいるに違いない。

しかし、全米のすべての主要マスコミは、この生体解剖者の愚かな行為を“歴史的躍進”と絶賛した。
この信じがたい常軌を逸した行為の詳細については、前出の『世界医療産業の犯罪』に詳しく記されている。

1984年11月6日付の『ニューヨーク・タイムズ』紙で、ローレンス・K・アルトマン医学博士は「新生児が呼吸をするたびに歴史が作られていく。……これは近年一の胸おどる、また重要な可能性を秘めた医学的事件である。」と激賞した。
もう一人の生体解剖者で、主要なアメリカの数紙に寄稿しているチャールズ・クラウサマーは、『タイム』誌上で、「フェイ赤ちゃんは、高貴な目的を達成するための手段として徴集されたのだ」と大げさに述べている。

実験所の何百万という動物が、同所の精神病質者から何カ月も何年間も受けているのと同じ拷問を、このいたいけなフェイ赤ちゃんは死ぬまでの3週間、耐えねばならなかったのである。
このサディスティックな手術を承認したとされているその子の母親が、自分の名前を伏せておきたかったのはもっともな事である。

間違いなく失敗が分かっている残虐な愚行を、人道主義的成果だとか医学的“躍進”だとかほめたたえるクラウサマーやアルトマンのようなマスコミ代理人のご立派な記事を通じて、実験者たちの知性のみならず、大衆の感受性も時が経つにつれて鈍くなっていく。

英国で最も権威ある医学誌『Lancet』は、同誌1987年1月31日号で、オックスフォードのジョン・ラドクリフ教育病院において、未熟児8人に麻酔なしの開胸手術が行われたことを、いつも通りの職業的よそよそしさで報告した。
何社かの新聞社がこれを取り上げたが、もっぱら問題にしたのは、新生児が手術時に鎮痛剤を投与されたかどうかについてであった(鎮痛剤には麻酔効果はまったくない。アスピリンは“鎮痛剤”である)。

新聞記事から、新生児に麻酔をするかしないかの議論は今に始まった議論ではないことが分かる。
麻酔の職の方が痛みのショックよりひどいという口実のもとに麻酔を拒否する外科医もいれば、例によっていつもの通り、それに反対する者もいる。


1987年4月12日付の『パレード』誌の報告。

医師たちは長年その問題に取り組んできた。
1970年カリフォルニア州パーム・スプリングスで開催された麻酔学者の会議で、一人の医師が未熟児には麻酔の必要はなく、押さえておくための粘着テープさえあればいいと述べた。


これが、150年に及ぶ生体解剖教育と影響の結末だったのだろうか?
最近のケースを見てみよう。
これは宗教、無知、サディズムおよび精神病質のごたまぜから生まれた台本で、もしフィクション作家がこれを書いたら、気でも狂って頭がおかしくなったのではないかと言われること請け合いである。

1988年5月9日、トリノの『スタンパ・セラ』紙はイタリア全紙を出し抜いて、一面に次のようなタイトルを掲載した。
「彼らは犬を使ってキリストの受難を実験している。医師と専門家たちは、<キリストの聖布>が復活の際に血が染みついたことを証明したいと思っている」(『罪なき者の虐殺』の第一ページの初めの文章はこうである「キリストの十字架上での苦しみの時間を検証するために犬が十字架に架けられている」)。

『スタンパ・セラ』紙の記事の抜粋は以下のとおりである。

国立動物保護協会会長、アントニオ・イアコウ教授は、ローマの地区弁護士、ロサリオ・ディ・マウロ博士に対して、研究者が“イエス・キリストの受難と復活を再現するため”五頭の犬を実験しようとしているのをやめさせるよう要請した。
イアコウ教授によると、実験はすでに始まっており、場所は極秘にされているが、ローマのゲメリ・ポリクリニックあるいは聖心カトリック大学のいずれかであろうと言う。
この実験の科学的側面がいかなるものかは、カトリック大学の二人の臨床医、すなわち血管学主任のパオロ・ポラ教授および臨床外科研究所所長アウグスト・ボルゾーネ博士の手にかかっている。

医療の犯罪―1000人の医師の証言




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