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 ~Auschwitz 強制収容所~

2013-03-29 15:59:38 | ~この世界のために~
~Auschwitz 強制収容所~

アウシュヴィッツ 収容所の正門。



第二次世界大戦中ナチス・ドイツがヨーロッパ全域に約1000ヵ所建設したと言われる強制収容所の一つ、アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所でいったい何が行われていたのか。

アウシュヴィッツ強制収容所は、ドイツ軍がポーランドを占領した後、シレジヤ地方の小さな町オシヴィエンチムにあったポーランド軍砲兵隊の兵営とポーランド・タバコ専売公社の建物を改造して、戦時捕虜収容所あるいはポーランド人用の拘禁収容所として造られたものでした。

しかし戦争の進行にともなって、収容所も軍事態勢に役立てられるべきだという事から、全抑留者は各種軍事生産の為の軍需用労働者として位置づけられ、やがてユダヤ人一掃計画が立てられてからは、人間の大量虐殺用工場へと変わっていったのです。

ここで虐殺されたユダヤ人の数は250万人とされています。

もちろんユダヤ人だけではなくポーランドの一般市民やソ連軍の捕虜、ジプシーなど24ヵ国の市民も含まれています。
その数は約400万人とされています。

ナチス・ドイツによるヨーロッパにおける最大の虐殺施設が、アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所だったのです。






今尚、当時の状態のまま保存されている。



ビルケナウ強制収容所跡。



撤退時にSS隊員によって破壊されたガス室と死体収容所の跡。



タルノウ駅でナチスが最初に列車移送を行ったのは728人のポーランド政治犯。



囚人にはすべて収容所番号が付けられ唯一の身分証明となり、名前を失った。



死体焼却場の設計原案。



ブナ・ヴェルケ工場で働きながら3万人の囚人が死んだ。



視察に訪れたSS全国司令官と収容所長。



アウシュヴィッツ収容所を支配したSS上級隊員たち。



何千台目かの貨物列車がユダヤ人を満載して到着した。



働ける者は収容所へ、病人、老人、子供達はガス室へ向かわされた。



体を洗い消毒を受けるという理由で衣服を脱がされ、ガス室へ追われた。



殺された遺体はしばしば戸外で灰にされ周辺の池に捨てられた。



ビルケナウ ガス室と死体焼却場は列車引込線終点のすぐ先にあった。



B1地区にあるバラックの天井に、強制労働の状況を描いた囚人の絵が今も残っている。



囚人服や木靴など。



自分達の為のガス室や死体焼却場の建設も囚人自身によって行われた。



アウシュヴィッツ 11号棟の地下。1941年9月、最初の毒ガス実験がソ連人捕虜に対して行われた。



殺されていった囚人達は牢獄の壁に様々な絵や文字を彫り残していった。今でもそれらは残っている。



52頭の馬を入れるドイツ軍の野戦用の厩舎に700~1000人の人々が押し込められた。



この女性は、解放された時体重が23㎏しかなかった。



ほとんどの人々が、骨と皮ばかりになっていた。



SSの医師は、健康な囚人を選んでは様々な人体実験を行っていた。



医師ジョセフ・メンゲレは、彼の遺伝理論の研究の為に双子と奇形のこびとに対して恐ろしい実験を行った。



一日の労働の後の帰還。こん棒やシャベルで重症を負った者も往き倒れた者も殺された囚人も皆帰ってきた。点呼の時、死んだ囚人も含めて完全に一致しなければならなかった。



囚人の一日は点呼に始まり点呼で終わった。直立しての点呼は1時間以上。最も長い時は19時間にも及んだ。



「死の壁」の惨劇。こうして約2万人の人々が銃殺刑に処せられた。



ビルケナウ 運搬される死体。



ナチス・ドイツ軍の虐殺は収容所の中だけではなく、侵略した各地で繰り広げられ、子供を抱いた母親にも容赦はしなかった。



人々は捕らえられた後、しばしば自分達の大きな墓穴を掘らされその淵で射殺された。
丁度、旧日本帝国陸軍が中国で行ったように。



抵抗運動に立ち上がった人々の中から、



多くの犠牲者が出た。ナチは、見せしめの為、



こうした光景をポーランドの村や町のいたる所に作り出した。



1939年12月、ボフニアと近郊の住民51人をウズボルニアの森へ連行して銃殺した。こうしたテロ支配の中で600万人のポーランド人が虐殺された。



SS隊員たちは撤退の直前に第Ⅱ、第Ⅲ、第Ⅴ焼却場とガス室を爆破した。



SSが破壊した第Ⅲ焼却場とガス室の跡。



ビルケナウ・アウシュヴィッツとその周辺の、



捨てられたままの死者たちの惨状。



アウシュヴィッツ 1945年1月27日午後3時頃、ヨーロッパ最大の絶滅強制収容所は解放された。



アウシュヴィッツ・ビルケナウ 約7000人の人々が救出された。



長く長く続く葬列。放置されていた死者達は新しく作られた共同墓地に手厚く埋葬された。



莫大な量の遺品類が今なお残され展示されている。



ビルケナウ 第Ⅲ焼却場跡。



死者達の記念碑。アウシュヴィッツの見学者たちが最初に入る部屋。第4号棟の第1室にあるひとすくいの灰の入ったガラス製の骨壷。ナチ占領下のあらゆる国から強制連行され殺された400万人の人々を追悼している。



ビルケナウ 強制連行の終点の地。4つの人体焼却所のあった場所の中間にファシズムによる犠牲者達を追悼する国際記念碑が建てられている。






これを見て何を思い、どう感じましたか?

詳しく知りたい方はまた調べてみて下さい。


  historical pavilion より。




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