~我らは神の芸術品~

2017年04月08日 | 神さまの言葉

◆祈りの家◆
―我らは神の芸術品―

私たちは“神の芸術品”、
神が制作の途上にある何ものか…
それがある確かな“特性”を持つまでは、
ご自身が満足なさらない何ものかなのだ。
~C.S. ルイス~

(訳 小川政弘)

”服従”:神の創り出すもの

2017年04月08日 | 神さまの言葉


小川 政弘
2016年4月7日 ·
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◆チャールズ・スポルジョン “説教者のプリンス”◆
Charles Spurgeon - The Prince of Preachers
―服従: 信仰が創り出すもの―

“信仰”は速やかな“服従”を創り出す。

【解説】 神様は、“無”から“有”を創造するお方です。(創世記 1:2) 「地は茫漠として何もなかった。」状態から、神様はこの世界の全てを、有形の物も、無形のものも、み言葉によって創られました。この”服従”もその一つです。天地も、全ての被造物も、そして最後に人間も、生きとし生けるものは、全て創造主のみ言葉「○○あれ」に“服従”することによって生み出されました。しかし人間は、与えられた自由意志を悪用して、初めて父なる神様の戒めに服従せずに、善悪の木の実を食べて、初めての罪を犯しました(創世記3:1-7)。その瞬間に、この“服従”という最も美しい徳も消えたのです。しかし神様もまた、その人間の堕罪の瞬間から、“信仰”による救いの道を備えてくださいました(同3:15 原福音)。こうして、罪のゆえに失われた”服従”は、”信仰”によって、再び信じる者の心のうちに創り出されるようになったのです。ですから、しかと覚えていましょう。神に逆らって罪を犯した人間の内に、まことの服従心はもはやありません。この世界の争い、混沌、無秩序は、全てここから生まれています。”服従”は、肉なる自分の内にはひとかけらもないもの、神様を信じた瞬間に、神様ご自身が再び創造してくださるたまものなのだということを―。この罪の世に、神様に服従することには、多くの困難と、戦いと、犠牲が伴います。でも、そのために支払われたみ子の十字架の犠牲に比べたら、何ほどのものでしょうか。私たちが神様への服従を貫くときに、神の被造物である私たちの住むこの世界の様々な秩序が、あなたの周り(家庭、地域社会、職場、教会)から回復していきます。私たちは、“服従”の生み出す大いなる祝福を、享受できるようになるのです。
(解説・聖句引用・訳 小川政弘)

何を大切にするか  羽鳥 明師

2017年04月08日 | 神さまの言葉
今日のみことば
      <何を大切にするか」>
   訓戒を大事にする者はいのちへの道にあり、
   叱責を捨てる者は迷い出る。
     (箴言10:17)
 叱ってもらえることを大切にしたいものです。
ある小企業の社長さんがこのように嘆いていました。
「この頃の若い者は叱れない。叱ると、反発するわすねるわで、
飛び出してしまう。自分が若い時は、叱られてしこまれてきた。
その時は確かにいやだけれど、今になってみると、
それがみんな身になっている。」
 もちろん、この社長さんが昔流そのままに現在行っても、
うまくいかないかもしれません。
しかし、どんなに時代が変わっても、目上の人に叱ったり注意して
もらえるのは素晴らしいことで、大切にすべきです。
 中学生に父親に望むことという作文を書かせたら、
「お父さん、ぼくを叱ってください。」と書いた子がいました。
 人間、自分で自分の顔が見えません。
同じように、自分のありのままの真実の姿は、自分では分からないのです。
 それを知るのには、他人の目、つまり他人のこごとや注意に照らして
みるのが一番です。人の言ってくださることを聞かずに、
反発したり聞き流していると、必ず、わがままになり、独善に落ち入り、
赤ちゃんのままの醜いエゴを増大して成長してしまいます。
人間として失格です。
 まさに「叱責を捨てる者は迷いでる」のです。
人のこごとには的はずれがあったり、不正確かもしれません。
とげがあったりもします。つまり、意地悪で愛がないことも多いのです。
 しかし、神のことばはいつも正確です。
一方的一面的ではなく、永遠の高い観点からのことばです。
 しかも、その中にはあなたを包み、あなたをとかし、あなたを変えていく
愛があるのです。
 その神の訓戒は、聖書の中に書いてあります。
神のことばを聞いていのちを得、生き生きと真実に生きてほしいのです。
神の目をもって自分を見ることができる人、そんな人になりたいものです。
   箴言の恵み 羽鳥 明