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情けなや清原クビ

2005-08-31 | 日記

 今季で巨人と4年契約が切れる清原が、ついに自由契約になる。

 自由契約とは便利な言葉だが実際にはクビ、解雇だ。「もう巨人は アンタを必要ではなくなりました」ということだ。8月30日に入院、そして31日に左ひざの手術を受ける直前に球団トップから「自由契約か任意引退か」と選択を迫られた。手術をするということは 常識的には現役を続行する意思があるといってもいい。清原もどこの球団とも交渉できる自由契約を選んだようだ。ただ、5億円とも6億円ともいわれる金額をどこの球団が出すだろう。38歳。来季は39歳だ。しかも、ヒザや太ももに爆弾を抱えた40歳前の選手。4番打者といわれながら、ここ4年は70打点にも届かない。

 今季も体調が万全という触れ込みでシーズンイン。ところが打率.212 打点52 本塁打22。右太ももが痛い、左ひざが痛い と満身創痍の戦病兵だった。本塁打や打点はレギュラークラスなら合格点だろう。しかし、億単位の年俸に値するものではない。

 打撃成績では36番目で最低の位置にいる。97年に巨人に移籍して9年目。期待されながらタイトルなし。平均20本塁打。100試合以上出場したのはわずか4年だけ。その4年のうち3割を打った年はない。

 神童 大人になればただの人。

 清原こそ スーパー高校球児だった。1年生でPL学園の4番に座り、甲子園で13本ものアーチをかけた超スラッガー。だれもが 王選手を継ぐ大砲と期待した。本人も周囲もファンもそうだった。だが、ドラフトで巨人に1位指名を外され 西武入りしたところから急カーブを描いた。巨人に入れなかった清原に同情が寄せられた。皮肉にも大砲を継ぐといわれた当時の王監督が桑田を指名し 実質的に清原を外した。

 だが、どうだろう。その後20年のキャリアで、清原は新人王以外 タイトルは一度も取っていない。86年に西武入団。その年に3割をマークしてから 3割を超えたのは5年目の90年だけ。20年のうち3割を超えたのはわずか2度。右にも左にも強烈な打球を飛ばせる選手がこのふがいなさ。

 クビのきっかけは05年8月4日の広島戦で「7番」に降格され、本塁打を打ったときにベンチ前を素通り ハイタッチもしなかったことが一因だといわれている。こういった「すねる」性格が成長をとめた。性格的な弱さがプロで一流にはなれても 超一流になれなかった要因だろう。

 取るところがあるだろうか?高年俸とその高齢、ケガだらけ・・・・人気だけは超一流。まあ、キャンプインからオープン戦、公式戦で十分話題の中心にはなるだろう。損得からいえば 十分もとはとれるはず。

 さあ、手を差し伸べる球団があるとすれば 仰木監督のいるオリックス、話題の欲しい楽天、新庄に次ぐ目玉が欲しい日ハムぐらいではないか?

いずれにしても 甲子園をわかせた桑田とともに 05年は球界の話題の中心にいたKK時代の幕を引きそうだ。

 


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