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たかじんとナンシー関の共通項

2015-01-08 | 日記
90年代にテレビ批評で人気だったコラムニスト、ナンシー関。

02年に39歳の若さで突然死した彼女を描いたドラマを見た。
昨年12月に放送のBSプレミアムドラマ「ナンシー関のいた17年」
放送関係者から面白い、といわれていたが見逃していた。

昨夜、再放送されたのでようやく見た。

ナンシー関って誰や?

そんな人もいるので、若干の紹介をしておこう。
コラムニストであり、ゴム版画家イラストレーター。
版画見ると「ああ、この人」とうなづく人もいるだろう。

見えるものしか見ない。目を皿のようにして見る。そして見破る
関の顔面至上主義を本人がそう説明する。

「テレビは顔面をアップしてくれるから好き」
近視でデブ。
青森から上京、方言丸出し。
つまらなくなったテレビの寿命が私の寿命
40歳を前に、虚血性心不全で亡くなった。

カッターナイフで作ったゴム版画5147個。
一人暮らしのマンション(祐天寺)には4,5台のビデオデッキ。

テレビを批評するということでは昨年正月に亡くなったやしきたかじんを思い出す。
タレントとコラムニスト。
その違いはあるが、テレビと真正面に向き合った姿勢は共通している。



今に通じる例をピックアップしてみよう。

◎明石家さんま→「特殊な大御所。現在のバラエティにおける「お笑い」の指針・ブック。ここのところテレビの中のさんまの価値と見ている側のそれがズレているように思えてならない」

◎木村拓哉→「カッコイイと言えば木村拓哉である。もう、しようがないだろう。...。そんな「カッコイイの迷宮」に迷い込んでしまった彼を、そこから救い出すことはできないのか。私は鬼門は「歌」にあると思うのだ。とにかく「夜空ノムコウ」「セロリ」以降、節回しのオカズ多すぎ。能力足りないのに、山下達郎とか吉田美和みたいにアヤつけようとして失敗しているのって、掛け値なしにカッコ悪いでしょ。見つけたよ、キムタクの“とほほ”」

◎黒柳徹子→「誰かが死ぬと、必ず在りし日の姿を偲んで流されるのが「徹子の部屋」である。死にも通用する正統派トーク番組のホステスとして黒柳徹子は適しているのだろうか。「徹子の部屋」の黒柳徹子は愚鈍だ。いまだに「野球に関してはトンチンカンで通せる」ともくろんでいる。その自己認識のズレが愚鈍である。...黒柳の目の表情読み取ることは不可能だ。黒柳の喜怒哀楽は口元だけで表現されている」

◎石田純一→「石田純一のとんちんかんは こちらが見ている石田純一と石田純一が自認している石田純一とのギャップから発生している。いつも石田純一に対して思うのは「おまえ それほどのもんか?」である」

これらはおよそ20年前の記述だ。
まだ、手あかがついていないところが凄い。
大手芸能事務所も、キー局もない。
そこには、強烈な批判精神を、独特の表現でバッサバッサ。

朝は8時起床。
寝るのは25時。
友人づきあいも良く、律儀なライフスタイルを保った。
偶然にも永眠したのも、25時(正確には24時47分)だった。

雪国育った人はしゃべり上手か、文章上手。
雪に閉ざされ、部屋にこもる。
囲炉裏に囲まれた座談にたけている。
そんなことを昔、聞いたことがある。
実際、東北の友人のわい談は、飲むほどに酔うほどに、ズーズー弁と相まって笑い転げた経験がある。
まったくいやらしさがない。

批評精神にあふれたナンシー関は、そんな一人だったかもしれない。



◆ナンシー関(本名・関直美=せき なおみ)1962年7月7日~2002年6月12日)青森市堤町生まれ。実家は関ガラス店。聖マリア幼稚園→市立堤小→市立浦町中→青森明の星高→法政大学文学部第二部(夜間部)中退→「ホットドッグプレス」でデビュー。ナンシー関の名付け親は当時講談社編集部のいとうせいこう(伊藤正幸)。93年から連載コラム「週刊朝日「小耳にはさもう」週刊文春「ナンシー関のテレビ消灯時間」。








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