戦後70年最大のヒーローはやっぱり長嶋茂雄だった。
週刊現代が戦後70年を記念した特集を組んだ。
題して「立派だった日本人ベスト100」
ジャンルは「政界」「財界」「文化・芸術」「芸能界」「学術」「スポーツ界」。
6部門、戦後に輝くヒーローそれぞれをランク、100人を選ぶもの。
吉田茂や湯川秀樹、松下幸之助、黒澤明ら超大物を押しのけてミスターが総合ランクで1位に選ばれた。
戦争直後ノーベル賞をもらった湯川秀樹。
日本人で初めてプロボクシング世界フライ級王者になった白井義男。
飢餓の時代に世界のトビウオと呼ばれた競泳・古橋広之進。
街頭テレビに群がったプロレスの人気者・力道山。
良かれあしかれニッポンの主権回復に貢献した吉田茂首相。
確かに、一瞬の輝きで元気を与えたヒーローは数多い。
だが、選手としても監督としても、文化人として野球界というジャンルを飛び越えた存在が長嶋だ。
昭和、平成と半世紀以上の長きに渡って影響を与え続けた輝きは、特筆すべき。
戦後ニッポンを元気にした太陽そのもの。
ちなみに各界の5傑は以下。
【政 界】
1位:岸信介、2位:田中角栄、3位:中曽根康弘、4位:吉田茂、5位:佐藤栄作
【財 界】
1位:松下幸之助、2位:本田宗一郎、3位:井深大、4位:土光敏夫、5位:西山弥太郎
【学 術】
1位:湯川秀樹、2位:南部陽一郎、3位:糸川英夫、4位:今西錦司、5位:柳田國男
【文化芸術】
1位:手塚治虫、2位:司馬遼太郎、3位:黒澤明、4位:川端康成、5位:岡本太郎
【芸 能】
1位:高倉健、2位:美空ひばり、3位:渥美清、4位:石原裕次郎、5位:森繁久弥
【スポーツ】
1位:長嶋茂雄、2位:王貞治、3位:大鵬、4位:加藤沢男、5位:ファイティング原田
初めて長嶋と会食の機会があった時は、もう緊張の極致だった。
東京・麻布十番、ミスター行きつけの中華料理店は、個人的にも人生最大のシーンだった。
「ここは上海蟹がおいしくてえ、今が旬なんですよー」
例の甲高い声で勧め、カニ身をむしってくれたが、味はまったく覚えていない。
吸い込むような瞳、まさにオーラで包まれていた。
その後、戦後最大のヒーローとたびたび交流できたのは人生の宝物そのもの。
団塊の世代は、長嶋にあこがれ野球を始め、プロ野球を見た。
長嶋デビューの昭和33年(1958年というとなぜかピンとこない)当時、私は小学校3年生。
校内ソフトボール大会が盛んだった。
で、スイング、走り方、投げ方・・・みんな長嶋になりきってプレーした。
野球に明け暮れた青春時代のすべては「長嶋茂雄」その人だった。
そんな人は数多いるだろう。
そうしてプロ野球に飛び込んだ選手も数多い。
「野球というスポーツは人生そのものだ」
長嶋が好んで色紙に記した言葉だ。
同じ時代をリアルタイムで生きてこれたことに誇りと感謝をしたい。
週刊現代が戦後70年を記念した特集を組んだ。
題して「立派だった日本人ベスト100」
ジャンルは「政界」「財界」「文化・芸術」「芸能界」「学術」「スポーツ界」。
6部門、戦後に輝くヒーローそれぞれをランク、100人を選ぶもの。
吉田茂や湯川秀樹、松下幸之助、黒澤明ら超大物を押しのけてミスターが総合ランクで1位に選ばれた。
戦争直後ノーベル賞をもらった湯川秀樹。
日本人で初めてプロボクシング世界フライ級王者になった白井義男。
飢餓の時代に世界のトビウオと呼ばれた競泳・古橋広之進。
街頭テレビに群がったプロレスの人気者・力道山。
良かれあしかれニッポンの主権回復に貢献した吉田茂首相。
確かに、一瞬の輝きで元気を与えたヒーローは数多い。
だが、選手としても監督としても、文化人として野球界というジャンルを飛び越えた存在が長嶋だ。
昭和、平成と半世紀以上の長きに渡って影響を与え続けた輝きは、特筆すべき。
戦後ニッポンを元気にした太陽そのもの。
ちなみに各界の5傑は以下。
【政 界】
1位:岸信介、2位:田中角栄、3位:中曽根康弘、4位:吉田茂、5位:佐藤栄作
【財 界】
1位:松下幸之助、2位:本田宗一郎、3位:井深大、4位:土光敏夫、5位:西山弥太郎
【学 術】
1位:湯川秀樹、2位:南部陽一郎、3位:糸川英夫、4位:今西錦司、5位:柳田國男
【文化芸術】
1位:手塚治虫、2位:司馬遼太郎、3位:黒澤明、4位:川端康成、5位:岡本太郎
【芸 能】
1位:高倉健、2位:美空ひばり、3位:渥美清、4位:石原裕次郎、5位:森繁久弥
【スポーツ】
1位:長嶋茂雄、2位:王貞治、3位:大鵬、4位:加藤沢男、5位:ファイティング原田
初めて長嶋と会食の機会があった時は、もう緊張の極致だった。
東京・麻布十番、ミスター行きつけの中華料理店は、個人的にも人生最大のシーンだった。
「ここは上海蟹がおいしくてえ、今が旬なんですよー」
例の甲高い声で勧め、カニ身をむしってくれたが、味はまったく覚えていない。
吸い込むような瞳、まさにオーラで包まれていた。
その後、戦後最大のヒーローとたびたび交流できたのは人生の宝物そのもの。
団塊の世代は、長嶋にあこがれ野球を始め、プロ野球を見た。
長嶋デビューの昭和33年(1958年というとなぜかピンとこない)当時、私は小学校3年生。
校内ソフトボール大会が盛んだった。
で、スイング、走り方、投げ方・・・みんな長嶋になりきってプレーした。
野球に明け暮れた青春時代のすべては「長嶋茂雄」その人だった。
そんな人は数多いるだろう。
そうしてプロ野球に飛び込んだ選手も数多い。
「野球というスポーツは人生そのものだ」
長嶋が好んで色紙に記した言葉だ。
同じ時代をリアルタイムで生きてこれたことに誇りと感謝をしたい。