こちら噂の情報局

酒のツマミになる話題をセッセセッセ。独断偏見は”味付け”です※文中の敬称は略。

松方弘樹伝説より凄い昭和の大スター!

2017-02-04 | 日記

高倉健、菅原文太…昭和のスターがまた一人。
平成があと1年、というから、仕方のないことかもしれない。

闘病1年、俳優の
松方弘樹21日、力尽きた。
脳リンパ腫、享年74。
1月23日に東京・町屋斎場で密葬が行われた。

生き様は「昭和のスター」といっていい。
数々の伝説を遺している。
結婚生活からして波乱万丈。
最後を看取ったのは事実婚の30歳下の女優・山本万里子。
最初はモデルの夏子と結婚。
総額3億1600万円の慰謝料で離婚。
40年ほど前の78年だから破格も破格だった。

女優・仁科明子(現亜希子)と不倫の果てに2度目の結婚、離婚。
その間にも女優・千葉マリアを愛人に男児を認知。
5人の子孫を残している。
最後は度重なる脳梗塞で、ほとんど意識がなかった。
体重も70キロ超から40キロ。
10万人に1人の難病「脳リンパ腫」だった。
見舞いはほとんど拒んだ。
やせこけた姿を見せたくなかった。
「元気な松方」のイメージのまま逝った。
昭和のスターの美学だったろう。
豪遊は昔の俳優としては特別なことではない。
今ほど週刊誌、写真誌、ネットなどなかった時代には、よく聞く類だ。
町のあちこちにあった映画館。
映画全盛時代のスターは桁外れ。

勝新、裕次郎…をさらに遡れば、片岡千恵蔵(写真上)、嵐寛寿郎、市川右太衛門、大河内伝次郎、萬屋錦之助…。
京都・嵐山の広大な大河内伝次郎の山荘は観光スポットとして有名。

東映時代劇の大御所・千恵蔵は名古屋、伊豆、信州に広大な土地とマンション、ガソリンスタンド、蕎麦やを所有。
アラカンこと嵐寛寿郎(写真下)は5度の結婚4度の離婚。
そのたびに全財産、家屋敷を渡した。
最後を看取ったのは松方と同じように妻ではなく、愛人だった。

かくも京都撮影所周辺は、稼ぎに稼いだ大スターたちの豪快列伝が、ここかしこに点在する。
コンプライアンスなどくそ食らえ、の時代。
化石的な豪快エピソードには事欠かない。
同時代に生きた父・近衛十四郎を見て育った松方の酒豪ぶりは有名だった。
本人曰く。
「毎日、ウイスキーならボトル2本、日本酒なら2升か3升は飲んだ」
お金の使い方もそうだ。
映画「首領になった男」(91年)製作のため3億5000万円の借金。
ところがヒットして2億円の儲け。
お礼の打ち上げとして自腹1000万円以上で出資者、スタッフらをチャーター機でハワイ、台湾旅行。
別の作品では金沢ドンちゃん騒ぎ、3日間で970万円。

昔の映画記者たちは、その「ぬるま湯」にどっぷりつかっていた。
いいか、悪いか。
世知辛くない大らかな時代の残り火が一つ二つ消えていく。

「俺は何も遺さないけど、記憶に残る役者になりたかった。それが勲章だ」

松方の想いは叶い記憶を残した。
紙面、テレビから拾った松方を語ったコメントを並べてみよう。
勝新らに連なる破天荒
▼ビートたけし「女道楽もさんざんやってさ。あるオネエチャンのところに遊びに行ったら、いきなりその部屋に力道山が帰ってきた。急いで隠れた、なんて笑える修羅場の話も聞いた。勝新さんや萬屋錦之介さんに連なる系譜の人だよ。破天荒で豪放磊落で、それでいて色気がある役者は、もう現われないのかもしれない」

総額100万円のお年玉
▼松方ジュニア仁科克基「小さいころ、お年玉は総額100万円。父のヘリコプターで東京ディズニーランドに遊びに行ったことがある」
豪快、豪快、また豪快
▼大仁田厚「98年ごろ、京都市内の超高級ステーキ店。(当時)5万円のフルコース。フォアグラが乗ったステーキが出てきてね。20人くらいいた。その後、お座敷を貸し切り、芸者を交えてドンチャン騒ぎ。支払いは松方さんだった。それがステーキ店にも、お座敷にも松方さんはいないんだ。かっこいいだろう?そんな人、見たことない。松方さんは1日に300万円くらい使うって。1000万円だか2000万円だか、もらったギャラを周りの人に使うと皆が言ってた。京都で見た松方さんは『遠山の金さん』だったのかな。オーラがすごい。一言で言えば『豪快、豪快、また豪快』という感じだった」



祇園、嵐山で1000万円花見
小西博之「お花見はとにかくケタはずれ。嵐山、祇園と場所を変えて年に3、4回はやっていました。最初のお花見はだいたい嵐山。芸妓さんらが乗った人力車が何十台も連なって来はるんですね。1メートル超のブリを料亭の板さんがさばいていて、フグちりもあれば、豪勢なBBQもある。1回の費用は1000万円じゃきかない。“年にいっぺんのことやないか!”って言うんだけれど、先週もやってましたやんって話(笑)。毎回、役者、後援者、スタッフさん、芸妓さん、芸者さんらに加えて、全国からビジネスマンも参加。でもダーティーな方々をお見かけすることはなかった」
飲んだ年間2億円
▼哀川翔「だいたい京都の東映撮影所で会うんだけど“飲みに行くぞ”って松方さんが集合をかけて、役者10人くらいで飲むことになる。まず、全員の前にヘネシーのボトルが1本ずつ並ぶわけ。それで“これ全部飲んだら終わりな”だもん。初めて飲んだ時も、ブランデーをストレートで一気飲みさせられた。松方さんも同じように飲むんだよ。年間2億円は飲んでたっていうからね」
豪快でカネにきれい
▼坂上忍「豪快な方。教わったことといえば、豪快で、きれいなお金の使い方とか、飲むんだったら吐くまで飲むとか、一番はスタッフさんへの気遣い。これは口をすっぱくして言われました」
おカネの使い方きれいだった
▼小倉智昭
(キャスター)「初めて会った時に殺されると思った。銀座で飲んだ時、ヘネシーが4本テーブルの上に置いてあるんです。1人1本飲もうと。2軒目、3軒目と仲間が増えていく。勝新さんの飲み方に似ているんです。大物芸能人の方が亡くなると銀座に借金があるっていう話が結構出てくるんですが、松方さんはお金の使い方がきれいだった。財布に相当つまってました」

すごい豪快な方
▼国分太一「一度飲みに連れて行ってもらったことがある。すごい豪快な方だなと。お財布のお金の並べ方とか、入っている金額だったり、こうやって遊ぶんだぞ、とか、すべて教えてもらった先輩でした」
差し入れ松茸100キロ
▼玉袋筋太郎「俺の師匠
(たけし)と『元気が出るテレビ!!』時代に2人で3升空けたっつったからね。3升だよ、酒。ある時は軍団にマツタケ100キロ差し入れてくれたことがあった。30人ぐらいなんで食いきれない。で、最後はマツタケカレーだよ。もったいなかったなあ」
ビックリ差し入れ
▼テリー伊藤「演出した『元気が出るテレビ!!』を離れ、よそのスタジオで演出をやっていると、松方さんから差し入れがすごい。びっくりするくらいの差し入れを何十年もやってくれてました」
一晩で散財
▼世良康(釣りジャーナリスト)「巨大マグロを釣り上げた当時。“漁師さんと折半”といっても、松方さんの釣った魚はプレミア価格。それをポーンと漁師さんにプレゼント。自分の取り分は一緒に行った仲間や港の人たちを呼んで一晩で使う。“宵越しの金は持たない”の典型でした」

ほんとの昭和のスター
▼内山信二「京都を案内してもらう番組の収録後、スタッフ全員、芸者遊びをさせてもらった。松方さんが全部払って、帰る時も1人ずつ『タクシー代だ』って1万円ずつもらった。もうほんとにスター。昭和のスターだなっていう感じ。本当にこういう芸能人がいまだに居るんだって思った」


◆松方弘樹(まつかた ひろき=本名・目黒浩樹) 1942年7月23日ー2017年1月21日)東京・北区出身。明大中野高。17歳で映画デビュー。「仁義なき戦い」シリーズ「修羅の群れ」。テレビはNHK大河「勝海舟」や「遠山の金さん」。バラエティー「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」など。91年『江戸城大乱』で日本アカデミー賞主演男優賞。父は時代劇俳優の近衛十四郎(77年没)、母は女優の水川八重子。弟は俳優の目黒祐樹。趣味は釣り。最初の妻(夏子72=78年離婚)に長女なえ、次女なち。2度目の妻・仁科亜希子(63=98年離婚)に次男・仁科克基。三女の仁科仁美。3番目の同居人(山本万里子44))。愛人(千葉マリア67)との間に十枝真沙史(32)。血液型A。173センチ。



1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (Unknown)
2017-01-27 04:23:03
俳優だろうがプライベートなんざ他人の知ったこっちゃねえ。 
週刊誌? 
低能リポーター? 
マスゴミが 

一番の【下衆】だろ。
返信する

コメントを投稿