探訪ツアー記

旧狩勝線やアーチ橋など探訪した場所について写真やコメントを記録していきたい。

帯広・十勝の史跡紹介その1

2023年11月10日 | Weblog

帯広が最初に開拓されたのはこの碑がある辺りです。この碑の裏側には「開拓の始めは豚とひとつ鍋」の歌が刻まれています。この碑は東9条南5丁目にあります。国道38号線と南6丁目線に囲まれた三角形の地形の所にあります。
 
発祥の碑の向かい側には渡辺勝・カネ夫妻の入植の地の碑が建っています。東9条南5丁目になります。
  
ここには市役所で建てた案内版があります。

東9条南4丁目には皆川周太夫上陸跡地の看板が建っています。






台湾旅行 

2023年09月15日 | 見学記
台湾に行ってきました

台北が中心です

九份



忠烈祠



故宮博物館の翠玉白菜



中正記念堂



行天宮



九份




道後・土佐・四国旅行

2023年07月15日 | 見学記

後・土佐・四国の旅


3泊4日の旅へ行ってきました







桂 浜:次は高知の桂浜です。桂浜には大町桂月の碑が建っていました。桂浜から名前を貰ったそうです。大雪山には桂月岳というのがあります。

坂本竜馬像:桂浜に面した高台(竜頭岬)には坂本竜馬の像が海を向いて高々と建っています。昭和3年に建てられたそうです。像だけで5.3m、全体で13.48mもあるそうです。竜馬は土佐を脱藩して33歳で亡くなるまでの6年間に明治維新の為に命をかけました。帰り道のみやげ物店で竜馬のストラップを買いました。


アンパンマン列車:吉野川沿いの土讃線(どさんせん)にはアンパンマン列車が走っていました。余り早くてぶれてしまいました。高知はアンパンマン生みの親、やなせたかしの出身地なのですね。2日目は足摺岬にあるホテルに泊まりました。

四万十川:3日目に最初に行ったのは四万十川と沈下橋(ちんかばし)の見えるところです。四万十川は日本最後の清流と云われエメラルドグリーンの澄んだ色をしていました。掛かっている橋は沈下橋といい、欄干がないので洪水の時には沈んでしまうが流されないのです。本流や支流に,合わせて47本あるそうです。清流と云っても札内川の清流とは趣きが違うと思いました。


四万十川の屋形船:四万十川は自然が残された川です。しばしば洪水に見舞われたそうです。何も手をつけていなかったので、今では貴重な自然が残り、最近になって多くの人が観光に訪れるようになったのです。

松山城天守閣:松山城は標高132mの勝山という山の頂に建てられました。江戸時代に加藤嘉明が1602年から25年かけて築いたそうです。現在の天守閣は安政元年(1854)に再建されたものです。城の周りには八重桜やソメイヨシノがきれいに咲いていました。

松山城天守閣:松山城にはリフトかロープウェイを利用して登城?します。8合目で降りてあとは順路に従って歩いて見ていきます。なかなか美しい城です。










松山城と石垣:松山城に行ったら「石垣を見なさい!」と書いてありました。石垣の表面は凹曲面の美しい曲線となっていて、大変美しいのです。この勾配を扇勾配(おおぎこうばい)というそうです。


道後温泉本館:道後温泉は3000年の歴史をもち、聖徳太子や中大兄皇子も入浴したといわれています。本館は明治27年(1894年)の建築で、夏目漱石が松山中学の教師として赴任する前年に出来たそうです。漱石も温泉の立派さを賞賛していたそうです。本館1階の男風呂には「坊ちゃん泳ぐべからず」という看板が掛けられていました。3階には「坊ちゃんの間」という部屋がありました。正岡子規と漱石が実際に使用した部屋だとか。


道後温泉駅:伊予鉄道市内線が通ります。駅の前に坊ちゃん列車が止まっていました。運行していない時はここに止まっていて観光客を呼び寄せています。


坊ちゃん列車:道後温泉から松山市駅路線と古町路線の2路線で約1時間置きに運行しています。実際に運行しているところも見ました。マドンナバスというのも運行しています。松山というと司馬遼太郎の「坂の上の雲」が有名です。松山出身の正岡子規や秋山兄弟が描かれています。


からくり人形:道後温泉駅近くに,からくり人形があります。30分おきに坊ちゃんやマドンナ達が出てきます。今年、松山城のふもとに「坂の上の雲」記念館が出来るそうです。松山市は「小説を活かしたまちづくり」を進めているそうです。


坊ちゃんとマドンナ:道後温泉本館近くの道路沿いに記念写真用の坊ちゃんとマドンナが立っていました。


第51番札所石手寺:松山市にあり、本尊は薬師如来で天平元年行基菩薩の開眼されたものです。正岡子規は夏目漱石とともに良く行ったそうです。3日目は道後温泉本館近くのホテルに泊まりました。


金比羅宮へ:4日目の最終日は琴平町にある金刀比羅宮です。本宮まで785段の石段を昇っていきます。石段の数は悩む(786段)あって途中で1段下がる所を作ってありました。それで785段になるのですね。


金比羅宮本宮:讃岐(さぬき)のこんぴらさんとして、古くから庶民の信仰を集めてきました。ここには海の守護神が祭ってあります。昔から船乗りや船舶会社などが航海の無事を祈願し、又無事航海を終えた時のお礼に訪れます。


絵馬と秋山豊寛さん:本宮の横に絵馬が懸けてあるところがあります。そこには「太平洋ひとりぼっち」の堀江謙一さんのヨット、マーメイド号が置いてありました。マーメイド号で太平洋単独航海や単独・無寄航世界一周(東西両回り)をしました。又、日本初の宇宙飛行士となった秋山豊寛さんの絵馬が掛けてありました。秋山さんは1990年ソ連(当時)の宇宙ステーション・ミールからのテレビ中継に成功しました。宇宙船も確かに船ですね。





金刀比羅宮を後にして一路高松空港を目指しました。羽田空港で乗り換え、無事、とかち帯広空港に到着しました。四国は山が多く、しかも海に囲まれていて自然の豊かなところですが山の急斜面に文旦やレモンなどのみかん類が多く栽培されていました。大変きつい仕事の中文旦などが作られていることを知りました。

十勝開拓の恩人達

2023年04月21日 | 見学記
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十勝開拓の恩人達というテーマで調べています。今回、某金融機関主催のツアーに参加して
来ました。その中で十勝の開拓に関係のある道路や人物 ・遺跡などについて知ることが出来
ました。ツアーで紹介された一部分ですが、それらについて紹介します。
尚、資料などを参考にさせて頂きました。 お礼もうしあげます。


十勝の開拓当時の道路や遺跡・記念碑など

五郎右ェ門隧道重蔵トンネル


タニイソトンネル近藤重蔵山道入り口


これらのトンネルは広尾側から見て黄金道路のルベシベツとタンネンの間のあります。タニイソ
トンネルの左側に重藏トンネル、さらに左側に五郎右ェ門隧道があります。
五郎ェ門隧道は二本あります。トンネルの内部には手で掘ったノミ跡が分かります。
国道の右側の山側には、1778年(寛政10)近藤重藏がアイヌ数十人を使って約十キロを切り
開いたという道路への入り口を示す 標柱があります。北海道で最初に人の力で開いた道路と云わ
れているそうです。 五郎ェ門隧道を見学するときは漁師さんの家の前を通るので挨拶をして通して
貰って下さい。


仙台藩トカチ陣屋跡と看板

仙台藩トカチ陣屋跡看板仙台藩トカチ陣屋跡


これらは広尾小学校の敷地内にあります。江戸時代の1855年(安政2年)蝦夷地を警護するため
に十勝には仙台藩が割り当てられました。陣屋とは小規模の城だそうです。土塁などの一部が残っ
ています。

生花苗神社
生花苗神社生花苗神社内部

依田勉三が牧場を開いたところが大樹町の生花です。ここに勉三ゆかりの神社があります。

晩成公園
晩成公園入り口依田勉三住居跡

晩成公園は依田勉三の経営した牧場跡です。この牧場を作るにあたって現地を案内してくれた人が
佐藤嘉兵衛です。ここにはサイロ跡や依田勉三の住居跡があります。現在ここにある建物は平成元
年10月(財)文化財建造物保存技術協会の指導により復元されたものといいます。


佐藤嘉兵衛駅逓所跡
佐藤嘉兵衛駅逓所跡晩成海岸のハマナス

佐藤嘉兵衛は依田勉三が生花苗に当縁(とうべり)牧場を開く前に勇洞に来ていた人で、旅舎や
郵便局及び駅逓所を置いていました。


二宮尊親の墓碑
二宮尊親の墓碑(正面側)二宮尊親の墓碑(裏側)

二宮尊親は二宮尊徳の孫で、明治30年(1897)に今の豊頃町牛首別の開拓に当たった人です。
尊徳の報徳思想のもとに設立された興復社を率いて入植しました。尊親は開拓する農民に土地を
配当し、一定の期限内に開墾し、報徳金を完納した農民には土地の所有権を譲りました。自作農
の誕生です。尚、二宮尊親の墓碑は豊頃町二宮地区にあります。
二宮尊親の所へは依田勉三や陸別の関 寛斎らも訪れています。


二宮神社と尊親の住居跡
報徳二宮神社二宮尊親住居跡

報徳二宮神社は尊親が二宮尊徳の遙拝場として建てたそうです。大正6年(1717)に完成しました。
尚、報徳二宮神社は豊頃町二宮地区にあります。
尊親は開拓が成功した明治41年に郷里の福島県に帰りました。豊頃の茂岩市街には尊親が住ん
でいた住居跡があります。尊親はここから毎日十キロの道を歩いたりして事務所まで通ったといいま
す。





冬の日

2022年01月17日 | 日々の出来事
紫陽花の切り絵




タウシュベツ川橋梁




雪景色



2021年11月28日 | 見学記
丁寧に描かれた絵






機関車

2021年11月05日 | 見学記
新得の機関車




新得駅です






神社

2021年11月03日 | 見学記
帯広神社




帯広神社の前に中島公園がありそこに帯広の開拓に力を
尽くした依田勉三の像があります。中島公園は中島武市の敷地でしたが帯広市に寄贈しました。
中島武市の孫は歌手の中島みゆきです。「ヘッドライト・テールライト」や「地上の星」は好き
な歌です


依田勉三の銅像





ルピナス

2021年11月02日 | 自然
ルピナス




ルピナスの花はいくつかの種類が群生しているのがいい

大学

2021年11月02日 | 見学記
帯広畜産大学

大学では最近日本酒の醸造所を造って日本酒を造っています。