帯広が最初に開拓されたのはこの碑がある辺りです。この碑の裏側には「開拓の始めは豚とひとつ鍋」の歌が刻まれています。この碑は東9条南5丁目にあります。国道38号線と南6丁目線に囲まれた三角形の地形の所にあります。
発祥の碑の向かい側には渡辺勝・カネ夫妻の入植の地の碑が建っています。東9条南5丁目になります。
ここには市役所で建てた案内版があります。
東9条南4丁目には皆川周太夫上陸跡地の看板が建っています。
春の道後・土佐・四国の旅
松山城と石垣:松山城に行ったら「石垣を見なさい!」と書いてありました。石垣の表面は凹曲面の美しい曲線となっていて、大変美しいのです。この勾配を扇勾配(おおぎこうばい)というそうです。 | |
道後温泉本館:道後温泉は3000年の歴史をもち、聖徳太子や中大兄皇子も入浴したといわれています。本館は明治27年(1894年)の建築で、夏目漱石が松山中学の教師として赴任する前年に出来たそうです。漱石も温泉の立派さを賞賛していたそうです。本館1階の男風呂には「坊ちゃん泳ぐべからず」という看板が掛けられていました。3階には「坊ちゃんの間」という部屋がありました。正岡子規と漱石が実際に使用した部屋だとか。 | |
道後温泉駅:伊予鉄道市内線が通ります。駅の前に坊ちゃん列車が止まっていました。運行していない時はここに止まっていて観光客を呼び寄せています。 | |
坊ちゃん列車:道後温泉から松山市駅路線と古町路線の2路線で約1時間置きに運行しています。実際に運行しているところも見ました。マドンナバスというのも運行しています。松山というと司馬遼太郎の「坂の上の雲」が有名です。松山出身の正岡子規や秋山兄弟が描かれています。 | |
からくり人形:道後温泉駅近くに,からくり人形があります。30分おきに坊ちゃんやマドンナ達が出てきます。今年、松山城のふもとに「坂の上の雲」記念館が出来るそうです。松山市は「小説を活かしたまちづくり」を進めているそうです。 | |
坊ちゃんとマドンナ:道後温泉本館近くの道路沿いに記念写真用の坊ちゃんとマドンナが立っていました。 | |
第51番札所石手寺:松山市にあり、本尊は薬師如来で天平元年行基菩薩の開眼されたものです。正岡子規は夏目漱石とともに良く行ったそうです。3日目は道後温泉本館近くのホテルに泊まりました。 | |
金比羅宮へ:4日目の最終日は琴平町にある金刀比羅宮です。本宮まで785段の石段を昇っていきます。石段の数は悩む(786段)あって途中で1段下がる所を作ってありました。それで785段になるのですね。 | |
金比羅宮本宮:讃岐(さぬき)のこんぴらさんとして、古くから庶民の信仰を集めてきました。ここには海の守護神が祭ってあります。昔から船乗りや船舶会社などが航海の無事を祈願し、又無事航海を終えた時のお礼に訪れます。 | |
絵馬と秋山豊寛さん:本宮の横に絵馬が懸けてあるところがあります。そこには「太平洋ひとりぼっち」の堀江謙一さんのヨット、マーメイド号が置いてありました。マーメイド号で太平洋単独航海や単独・無寄航世界一周(東西両回り)をしました。又、日本初の宇宙飛行士となった秋山豊寛さんの絵馬が掛けてありました。秋山さんは1990年ソ連(当時)の宇宙ステーション・ミールからのテレビ中継に成功しました。宇宙船も確かに船ですね。 | |
五郎右ェ門隧道 | 重蔵トンネル |
タニイソトンネル | 近藤重蔵山道入り口 |
仙台藩トカチ陣屋跡看板 | 仙台藩トカチ陣屋跡 |
生花苗神社 | 生花苗神社内部 |
晩成公園入り口 | 依田勉三住居跡 |
佐藤嘉兵衛駅逓所跡 | 晩成海岸のハマナス |
二宮尊親の墓碑(正面側) | 二宮尊親の墓碑(裏側) |
報徳二宮神社 | 二宮尊親住居跡 |