楽しき日々

日常の日々を思いつくまま

紙面から

2008-12-08 08:17:29 | 木村君
某様からご紹介いただいた朝日新聞の記事2つ。
先日の福田さんやジャイさんの言動に腹が立っていた私は、とてもこの記事に共感した。

11月30日(日)朝日新聞大阪版  「TVダイアリー」
「脚本、多くの人の協力で完成」  田渕久美子
 
脚本とは、まずドラマの筋書きを作り、次に各シーンの流れや登場人物などを設定し、最後にセリフを書く。
つまりは、ドラマのすべてを作る仕事だと思っています。
特に今回の「篤姫」のように、原作はあるけれど、ほとんどの部分を創作しなければならない場合などは、オリジナル作品と同じで、私自身、「作家」としての真価を問われることにもなります。
でも実際のところ、脚本家の仕事について詳しく知る人は少なく、あるドラマの公開後の記者発表の折、記者のひとりが主演女優に言ったものです。
「いやあ、よくあんなセリフを思いつきましたねえ」
・・・女優さん、大いに困って私の方を見ていましたっけ。
故向田邦子さんも「ドラマは里子に出した子供のようなもの」とおっしゃっていたそうです。
どれほど苦労して生み出しても、いったん私たちの手を離れれば、その子が、時に思いもよらない出来の悪い子になったとしても文句は言えません。
向田さんは、自分の家を売ってでも、あるドラマを買い取りたいとおっしゃったそうですが・・・。
ただ、脚本はあくまでも多くの方たちの手を経て初めて完成するもの。
「篤姫」は演じる俳優さんたちの力とスタッフの心意気が融合し、そこにまた視聴者の方々と熱い思いが重なり、さらに成長していった幸せな作品。
生みの母は陰でこっそり喜びをかみしめているのです。


12月1日(月)朝日新聞大阪版夕刊 エンタメ研究所より
映画「ブラインドネス」で、伊勢谷友介さんは、感情の行き違いがあった夫婦の関係が事件を通じて修復に向かう場面の脚本をメイレレス監督から任されたそうです。
その伊勢谷さんの発言です。
「監督は俳優やスタッフがアイデアを出しやすい環境をつくり、いいものは取り入れていく。
国籍を超えて映画という目標に向かっていく素晴らしさを体験できた」


この2つの記事を読むと、脚本家・監督としての度量の大きさ・姿勢が福田さんやジャイさんと大きく違うと思います。
田渕さんは脚本家としての姿勢が、このコラムのタイトルにも表れている。
本はあくまでも多くの方たちの手を経て初めて完成するものと書かれている。
何故福田んやジャイさんは、田渕さんのように皆で協力して、高みを目指すという姿勢になれないのかと思います。
常に自分が1番では、他の人との共同作業ができない、他人の意見を取り入れる取り入れないについては、きちんとディスカッションで互いに納得していいものを作ろうという事はできないだろう。
又、たとえそういう事が嫌ならば、現場ではっきりとそういう姿勢を打ち出すべきだと思う。
現場では何も言えず、共同作業が終わった後で、背後からだまし討ちのような言葉を、本人に反論できない所から投げつける。
こういうやり方をする人は、芸能界ばかりでなく、今の世の中にいくらでも見つかるでしょう。
木村君の身近にもゴロゴロいそうですね。
こうした行動をとる人の方が結構うまく世の中を渡って行くのでしょう。
でも、私は不器用で真っ正直な生き方をする木村君が好きです。
要領よく、ズルく立ち回っていく人にはなってほしくありません。
できたらこういう小狡い人に騙される事なく、多くの人が見抜いてほしいものです。

この号で廃刊になる読売ウィークリー。
最近出版業界も不況で、雑誌がどんどん廃刊になる。
GOOD LUCKの時にインタビューをうけて、木村君がサラサラッとグラビアで共演した犬を描いたMOREも廃刊になる。
読売ウィークリーは東京国際映画祭の時の木村君が表紙を飾っていた。
この雑誌は時々、コラムや記事に木村君を貶めた酷い内容の記事も掲載された雑誌だった。
この最終号では横森美奈子さんの「男のスタイルづくり」というコラムで最後に愛をこめての中で、木村君のファンである事を公言した上で、「自分のつくり方」にとても魅力を感じ、興味をもつと言っている。
人は誰も生きて行く間に「どんな人間になりたいか」の自分へのビジョンを持って、内面、外見とも操作しながら自分のアイデンティテイーを作っていくが、そこへ向かっての努力と検証と自分へのビジョンのセンスとなるが、木村君は今までのアイドルと一線を画すビジョンを持っているから目が離せないと書かれている。
木村君はまだ少年と言ってもいい時から、こうありたい自分というものがあり、それに向かって努力し、内面を磨いて来た。
木村拓哉という人は知れば知る程、外面以上に内面の魅力に惹かれる人だ。
最終号では週刊誌という文化の未来についても論じている。
私はネットの功罪もよく分かるが、紙媒体においても、今のように内容のない記事ばかりでは、未来がないと思う。