~ 気ままに歩く 沖縄 ~ |
( 画像;座喜味城跡 ) |
【 世界遺産 】 『 首里城跡.他8つの世界遺産群 』を見聞しましょう。 2000年12月に首里城跡.他8つの遺産群が『琉球王国のグスク及び関連遺産群』として世界遺産に認定された。 20世紀最後の年の瀬にこのニュースが舞い込んできた。 ビッグニュースに県民は挙って喜びに湧 いた。 世紀を超えて受け継いできた遺産が世界の宝になった思いは感慨深い。 先祖の功績に歴史的思いを馳せながら21世紀の新年を迎えた。 琉球王国のグスク及び関連遺産群とは、 琉球王国の史跡群を総称した名称を云うそうです。 グスクの一般的表記は「城」という文字を用いるが、 本土のいわゆる「城:しろ」とは趣を異にしているようです。 そこには、琉球独自の歴史の歩みが織り込まれているそうです。 ◆琉球王国のあらまし 琉球諸島に一定の政治的勢力が出現したのは12世紀後半からとされる。 各地に豪族が現れて、それぞれの占有領地を統括していた。 陣地拡大を意図した対立と興亡を繰り返えす時代が長期に亘り続いた。 14世紀になって、豪族:尚 巴志が現れて沖縄本島全域を平定した。 そして王朝体制に基づく琉球王国が創設された。 琉球王国は初代国王:尚 巴志(しょうはっし/1429年即位)から25代目国王:尚 泰(しょうたい/1848~1879年)までの約450年間続いた。 ●明治政府の廃藩置県施策により琉球王国は解体され日本国に属する沖縄県となった。 琉球王国の隆盛期は 初代国王:尚 巴志から12代目国王:尚 永(しょうえい/1573~1588年)の治世までの約160年間であったと伝わる。 うち、9代目国王:尚 真(しょうしん/1477~1526年)の代が最盛期であったと伝わる。 この代に宮古や八重山諸島も平定して琉球全域を統治する中央集権国家が確立された。 13代目国王:尚 寧(しょうねい/1589~1620年)の代から薩摩藩の支配下に置かれるや王府財政が困窮の一途をたどる。 隆盛期の琉球王国の財政基盤は 中国、日本、朝鮮、タイなど東南アジア諸国との仲継交易を展開して生む莫大な収益に因った。 豊かな財力の基で政治的に安定した国家運営を図り続けていた。 また、政治的安寧のみでなく工芸・焼物・芸能・武道などの文化活動が華やかであった。 〓認定された遺産群〓 1. 今帰仁城跡 2. 勝連城跡 3. 中城城跡 4. 首里城跡 5. 座喜味城跡 6. 斎場御嶽 7. 玉陵 8. 園比屋武御嶽石門 9. 識名園 の9ヶ処。 全ての遺産群は「沖縄本島」に所在する。 位置図 認定遺産群に城跡が5ヶ処入っている。 これらの城跡は13~15世紀にかけて築城された代表的な築造物である。 構造的な共通点は城壁が石積(琉球石灰岩)の技法で築造されている。 12世紀後半から琉球各地に按司(アジ)と呼ばれる豪族が台頭するように なった。互いに対立と興亡を繰り返す群雄割拠の時代が15世紀初頭まで続いた。勢力維持と抗争に備えて城塞を築いたのがグスク(城)の始まりと云われる。 初代国王:尚 巴志が琉球王国を創建して(1429年)、王府を首里城に移動して以降は新たなグスクの築造はない。 世界遺産に認定された建造物は、琉球王国の創建までに各地で強大な勢力を誇った豪族按司の居城跡と琉球王国時代の城跡 ・玉陵 ・石門 ・庭園 ・御嶽である。 最も古い代の築造物が今帰仁城で13世紀頃に築造されたと伝わる。 ◇遺産群の概要 ≪今帰仁城跡/なきじん≫ 築城年; 13世紀頃 場所;沖縄県国頭郡今帰仁村 1609年の薩摩藩による琉球侵攻の際には攻撃の第一目標となった。 ≪勝連城跡/かつれん≫ 築城年; 13世紀頃 場所;沖縄県うるま市(旧:中頭郡勝連町) 豪族按司・阿麻和利(あまわり)の居城 ≪中城城跡/なかぐすく≫ 築城年; 14世紀後半頃 場所;沖縄県中頭郡中城村 豪族按司・護佐丸(ごさまる)の居城 ≪首里城跡/しゅり≫ 築城年; 13世紀~14世紀末頃 場所;沖縄県那覇市首里 築城年は明確でない。 統一琉球王国の王府として約450年間の統治拠点であった。 ※世界遺産に認定されたのは古代に築造された城郭であり 本殿などの新築建造物は含まれていない。 ≪座喜味城跡/ざきみ≫ 築城年; 1422年 場所;沖縄県中頭郡読谷町 豪族按司・護佐丸(ごさまる)の居城 ≪斎場御嶽/せいふぁうたき≫ 場所;沖縄県南城市(旧:島尻郡知念村) 9代目国王;尚 真(1447年即位)によって設けられた。 斎場(せいふぁ)は「最高位」を意味する。 王国最高の御嶽とされて最高神職である「聞得大君」が管理した。 王族専用の男子禁制であり国王であっても御門口より先に入るには袂の合せを女装に改めさせられたと云われる。 ≪玉陵/たまうどぅん≫ 場所;沖縄県那覇市首里金城町 9代目国王;尚 真が父(尚 円王)を葬るため1501年に築造した。 ≪園比屋武御嶽石門/そのひゃんうたきいしもん≫ 場所;沖縄県那覇市首里真和志町 国王が各地を巡航する旅に出る際必ず拝礼した御嶽であり、また最高神職の聞得大君が就任するときにまず最初に拝礼する王国の聖地。 ≪識名園/しきなえん≫ 場所;沖縄県那覇市識名 20代目国王;尚 穆(1752年即位)の代に造園が着手されて、 21代目国王;尚 温(1795年即位)の代の1799年に竣工したと云われる。 中国様式と沖縄様式の折衷で築造された代表的な琉球庭園である。 中国皇帝からの冊封使をもてなす迎賓館として使われた。 園内の展望台からも海を望むことができない。 これは琉球国をより大きな国に観せる意図の手法と云われる。 正門から首里城までを通ずる石畳道があったと伝わる。 |
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いつもお世話になっております
この記事を読んで沖縄に行きたくなりました
沖縄の名所古跡は本土と違ってまた独特なのでしょうね