ビタミンジョージの死ぬための生き方

ふるさとを捨てて、もう戻らないと決めたあの日。男は全てを失い戻って来た。そして、また歩き出す。

「母ちゃんごめん」を言いたくて

2024-05-12 13:52:00 | 日記
母の日の今日、本当は、



「お母さん、ありがとう!」



そう言って感謝を伝える日だ。



しかし、僕はそんな感謝の言葉より先に、言わなければいけないのは母親への謝罪の言葉だ。



母親には、どれほどの迷惑と心労をかけたか分からない。



これが友達や知り合いなら、とっくに縁を切られ、それどころか憎まれてしまうような事を僕は平気で母親にしてきた。



思春期の僕は特に酷かった。母親が早起きして作ってくれた朝御飯に対して一切の感謝の言葉も態度もなく、それどころ文句まで言っていた。味噌汁が好きじゃなかったから、なんで、いつも味噌汁を出すのか?と不満を言ったこともあった。



高校の時は給食から弁当になったが、弁当のバリエーションも毎日だから、どうしても同じようなオカズのローテーションになってしまう。それに対してまた文句だ。なんで、いつも同じような弁当なのだと。同級生は母親がサンドイッチを作ってくれて持って来て食べてたから、僕もサンドイッチがいいとワガママを言ったことがあった。


しかし、その当時の母親はサンドイッチを作ったことがなかった。作り方を調べようにも母親は今現在もネットを使ってない。僕が高校生の時も同様だ。ド田舎でコンビニも近くにない地域だ。コンビニにあるようなサンドイッチの作り方なんか知りようがなかった。


それなのに、母親は僕のためにさらに早起きして、自分の知識をフル活用して一生懸命にサンドイッチの入った弁当を作ってくれた。



しかし、出来上がったサンドイッチは僕が思い描いたようなサンドイッチではなかった。



僕は一生懸命にサンドイッチを作ってくれた母親にこう言い放った。




「こんなの恥ずかしくて学校に持っていけない」




今の僕なら、母親の思いを踏みにじった過去の自分に対してこう思うだろう。


 


「なんだ、この偉そうなクソガキは!!!文句あるなら自分で作れ!!!!」




この世にスッポンポンで生まれてきて、自分一人では食べ物を探すどころか、手足をバタバタさせて10センチも動くことが出来ず、お股全開のおっ広げ状態の僕を母親はミルクを与え、オムツ替えて、大事に大事に抱きしめて、自分の時間を犠牲にして一生懸命に育ててくれたのに、まるで1人で育ったかのように偉そうな言葉で母親の気持ちを平気で踏みにじってしまった。



この時の母親の気持ちはどんな気持ちだっただろう…



僕は今思い出しても、本当に自分の愚かさに吐き気がする。



なんで、人を傷付けた事を何年も経った後から気付くのだ?



普通に考えたら分かる絶対に言ってはならない言葉と行動だ。母親の愛情に甘えまくった、なんとも愚劣な心だ。



でも、それでも、母親は何も怒らずに別のお弁当を準備してくれた。



その弁当にさえ感謝もせず、弁当を作ってくれるのが当たり前と思ってた思春期の馬鹿な僕……



ちょっと考えただけでも、これだけ母親に謝らなきゃならない事が溢れ出してくる。



さらに親に立派に育ててもらったのに就職した途端に僕は実家と音信不通になった。



僕が会社の寮を勝手に出たから、その後は母親はどこに連絡していいか分からなくて、会社のサービスセンターを僕の連絡先として親類などの電話番号と一緒に連絡帳に記入していた。


しかし、僕に迷惑になるだろうからと母親はその番号には電話は一切かけてはなかった。かけたって受付の人が困るだけだ。なんたって商品問い合わせのサービスセンターの番号なんだから…



その後の僕は最初に勤めた会社を勝手に辞めるわけなんだけど、さすがにいきなり行方不明になるのは悪いと思って、家に手紙を書いたのを覚えている。手紙の内容は確か、



「俺のことは忘れて下さい」



だった。



数年ぶりの手紙が子供からの絶縁状である。なんたる親不孝者なんだ……



でも、3年半前に全てを失いボロボロになって逃げ帰った実家に、まだその手紙が保管されてあった。



決して、思春期の反抗期を通り過ぎて素直になった子供が、心を入れ替えて親へ送った感謝の手紙ではない。



子供からの絶縁を通告する手紙だ。



そんな親不孝極まりない僕からの手紙を、母親は大事に大事に小さな机の中に仕舞い込んでいた。



僕はそれを知って、胸の中を引き裂かれるような痛みを感じた。



そして、僕は知った。




こんなにも母親の愛情とは深いものなのかと……




もちろん、この世界では生まれたばかりの赤ん坊を殺したり、捨てたりする母親がいるのは知っている。しかし、少しでも子供が大きくなれたという事はこの間は大事に育てられたという事だ。生まれたばかりの赤ん坊は一人では何も出来ず、大切にしないと1日も経たずに命が消えてしまうほどに儚い存在だ。



こんなに偉そうで自分勝手な僕を母親はずっと大事に大事に育ててくれた。



あんなに嫌いだった味噌汁が、一人暮らしの時は恋しくて食べたくて、自分で作ってみたことがあった。でも、母親の味噌汁と同じ味の味噌汁は作れなかった。



あんなに嫌いだった味噌汁が、僕は食べたくて食べたくてしょうがなかった。



付き合ってた女性から毎日のようにモラハラを受けて、人前での土下座強要や自殺強要をされ、人生に絶望してた時、頭に浮かんだのは山奥に住んでる両親のことだった。



女性の生活を助けようと渡したお金を目の前で投げ捨てられた時、僕は10年ぶりに夜中に、こう言って実家に電話をかけた。



「もう死ぬしかない…」



母親はその電話から夜に寝れなくなったと言っていた。



僕はどれだけ母親に心労と迷惑をかけたんだ……



感謝を伝える母の日と言えど、僕はまだまだ謝るばかりで、母親に感謝の言葉なんて言えそうもない。



だから、今年も感謝じゃなく謝らせてほしい。




「母ちゃんごめん」




そして、まだまだ、謝る事があるから、来年も謝るよ。




ちゃんと感謝の言葉が言える時が来るまで、来年も再来年も、その次も……




だから、まだまだまだ元気で謝罪の言葉を聞いてくれなきゃ困る。





この先もずっと「母ちゃんごめん」を言いたいよ。





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