リオ2016・オリンピックが佳境を迎え、昨日は400mリレーで銀メダルを獲得した。今年のお盆はリオ・オリンピックの独壇場で、いつもは熱気のある高校野球も、ましてやプロ野球など全く蚊帳の外と言って良い。
休み前にこのお盆休暇は、少し勉強、読書をしようと思いたった。景気も何となくはっきりしないし、原点に返ってギリシャ、ローマでも勉強をしようかと思い、塩野七生の”ギリシャ人の物語Ⅰ 民主政のはじまり”を読んでみた。
毎晩寝る前に数分読むだけだから、まったく進まない。例によって分厚い本で、ペルシャ戦争の記述が長々と続く。
戦争の記述自体は、興味深く、おーこんなこともあったのか よく小さな都市国家がペルシャの大軍を破ったなと面白く読んだが、結局アテネやスパルタの武将の数人をまな板にのせ、女性から見た男の魅力を分析している感じだがそれはそれで楽しかった。
古代ギリシャの都市国家ポリスは、大きな一つの国家にならずいくつもの都市が乱立して凌ぎを削っていたという。それぞれの戦いも日常茶飯事であったが、それを緩和するために4年に一度森のオリンピアで競技会を開いたという。
ペルシャ戦争のマラトンの戦いの勝利を伝える使者が走った様が、今のマラソンの原型になっていると聞く。
このギリシャの都市国家は、この後150年の栄華ののち、ローマにとって代わられることとなるが、しかしこの間花開いた文芸や哲学は、ソクラテス、プラトン、アリストテレスと続き、キリスト教と共に、西洋のものの考え方の基礎となるわけだ。
ギリシャの都市国家は滅んでも、古代オリンピックはローマの世でも続いたが、キリスト教が正式にローマ国教となり、ギリシャ神ゼウスに捧げるオリンピックは廃止されたのだという。
しかしそれだけではなく、今と同じように、回を重ねるごとにお金がかかり、腐敗や汚職があったのも事実のようだ。
時代は変わっても同じようなことをしているということだろう。
お盆休みも終わりとなり、小池新都知事のリオ五輪訪問とエールの交換が報道されたが、ここはひとつ古代オリンピックを範とした質実剛健な五輪開催とよくわからない都議会、都政の民主化、透明化を望んでみたいと思った次第。