?色の「ためいき」

ほんと世の中「わからない」ことばかり。ニュースを見ても「?マーク」が増えるだけ。そんな「?」を書き連ねてみました。

ウクライナでの流血の惨事を拡大するな

2014-04-16 16:48:41 | この報道に??
ウクライナ情勢が緊迫の度を深めている。ウクライナのトゥルチノフ大統領代行は15日、議会で演説し、ウクライナ東部ドネツク州で「対テロ作戦」を開始したと述べ、ロイターなどによれば、北部で暫定政権の特殊部隊と親ロシア勢力が衝突し、死傷者が出ているとも伝えられている。

だからこそ「ウクライナでの流血の惨事を拡大するな」と声をあげるべきではないだろうか。

ところが、これまでのマスコミの報道は、いかにも「対岸の火事」でしかないように思える。それどころか、ウクライナ情勢のニュースを流しておいて、「ウクライナ情勢の影響で株価が下がった」と語るのだから「株価が下がらなければ『流血の惨事』が起きようが関係ない」というのが本音ではないか....と思えてくる。

ウクライナおよびロシアの人の命よりも、「株価」とか「経済成長」のほうが大切とでもいうのだろうか。

そこまで行かないにせよ、欧米がロシアへの「制裁強化を」と表明していることに着目し、「冷戦時代に逆もどり」と語る評論家も多い。「冷戦時代」が庶民にとって暮らしやすい時代だったのかは、立場によって意見は違うだろう。しかし、この時代に流血の惨事が拡大しようとしているこの時に、「逆もどり」と第三者のように語るのは「事態の深刻化」を、どこか「喜んでいる」ように見える気がしてならない。

もっとも、それも無理がないかもしれない。ソチ五輪がなければウクライナの場所もわからなかっただろうし、まして複雑な民族構成を想像することも難しいだろう。加えて、欧米からの情報は大量なのに、ロシアからの情報は限定されている。もちろん、ロシアにとっては、それは大きなマイナスである。

だからといって、けっしてロシアの言い分だけを信じるわけではないが、欧米からの情報だけを鵜呑みして、一方のロシアだけへの「制裁」に賛成し加わるのは、バランスに欠く選択ではないだろうか。

しょせん国家は自己を正当化するものである。どちらが正当なのかなど、誰もが納得できる解答があるわけではない。だからこそ、「正当化どうか」ではなく、「立場に関係なく流血の惨事は避ける」という原則は、どの国民や民族にも共感を得られる可能性はある。

まして、今のところ日本は憲法で戦争を放棄している。加えて、欧州・アメリカともロシアとも交渉できる。日本政府が「ウクライナでの流血の惨事を拡大するな」と表明するのは、それなりに説得力があるだろう。また、欧州・アメリカに対してもロシアに対しても、「制裁を語る前に、流血の惨事避けることをは一致しよう」と呼びかけることもできる。

「現実には利権が」とか「国際政治は単純じゃない」と評論するまえに、平和憲法を持つ国家だからできることを「やってみる」というのは夢想なのだろうか。

また、アングロサクソン民族とスラブ民族のDNAに刻み込まれた民族感情もからんでいるのだから、アジアの民族が一致して「ウクライナでの流血の惨事を拡大するな」と呼びかけることができれば、国連の決議よりもインパクトがあるかもしれない。

夢想だとしても、それこそ中国と「これまでの懸案は別にしておいて」と「流血の惨事を拡大するな」と一致して呼びかけることができれば、「さすが日本」と評価も高まるかもしれない。

いままでの歴史を思い起こせば、専門家や政治のプロに任せておいても、敵愾心や不信ばかりが蓄積され、イラクやアフガニスタンでは「流血の惨事」は続いている。敵愾心や不信の歴史を変えるのは、平和憲法の日本でありアジアの民族の一致協力である....というのは夢想が過ぎるだろうか。