京都の繁華街、木屋町。最も賑やかなのは三条通から四条通のあいだですが、最近は四条を下った辺りにもお洒落な飲食店が増えてきて、桜の季節などには綺麗にライトアップされた桜並木を愛でる観光客も目立つようになりました。しかし、高瀬川沿いに五条を過ぎると、鴨川端に有名カフェ「エフィッシュ」があるぐらいで、そこから先は人影もほとんど見かけることがありません。
私がこの界隈に足を踏み入れたのは数年前のやはり桜の季節、自転車で街中散策をしていたとき。夜目にも白く浮かび上がる花の下を走り抜けて、ふと気がつくと周りは古びた、レトロモダンとでもいうべき建物が並び、提灯が赤く浮かび上がっている。開け放たれた玄関の中には、白い年経た猫が寝そべっていたり、年齢不詳のお婆さんがじいっとこちらを見つめていたり、澱んだ水槽のなかで金魚が蠢いていたり...。知らぬ間に異次元に迷い込んでしまったような町並みと、誰が愛でるでもない桜並木の風景が気に入って、それからそこに何度も足を運ぶようになったのですが、時間を切り取られたようなその町が、現役のいわゆる「遊郭」、「赤線」であることを知ったのは、「五条楽園」という単語をインターネットで検索したときのことでした。
『さいごの色街 飛田』(井上理津子、筑摩書房)は、大阪市西成区にある「色街」、飛田新地を約十年にわたって取材したノンフィクションです。
今ではほとんど寂れてしまった京都の五条楽園とは違って、飛田新地は今でも往年の勢いはないにせよ、一見華やかに賑わっています。私も一度だけ、「鯛よし百番」に食事に行ったことがあるのですが、周囲から隔てられた町の喧噪、食事後に乗ったタクシーの中から垣間見た、窓のなかにお人形のように座っている女性。静かな五条楽園で出会ったのとは全く別の「異次元」が、そこにはありました。
この本では、まず飛田に通う「男性」への取材から始まって、著者自身が出会った現在の飛田、飛田のはじまりから戦後にわたる歴史、料亭の経営者、組合の幹部、暴力団、警察、飛田で暮らす人々、そして飛田で働く「女性」。とにかく飛田に関わるあらゆる立場のひとたちに、いろいろな制約に阻まれながらも、「よくもここまで」と思われるほど執念深くアプローチを行っています。恐らくこの本を読んだからといって、飛田のすべてが推し量れることはないのでしょうが、少なくとも外部の人間が飛田のできるだけを知ろうとする、筆者のその執念が感じられます。
そしてなにより印象に残ったのが、この町に生きた、そして今も生きている女性たちのこと。彼女たちがこの町にたどり着いた理由は、貧困であったり、劣悪な家庭環境であったり、借金であったりと様々です。私自身はこれまでそういったこととは無縁に生きてきましたが、だからといって決して他人事、「異次元」の話ではない。なにかひとつ違っていれば、私もそういう運命になっているかもしれない。そう思わせるだけの重み、女性の生き方の実在を感じさせる力を持つ本でした。
私がこの界隈に足を踏み入れたのは数年前のやはり桜の季節、自転車で街中散策をしていたとき。夜目にも白く浮かび上がる花の下を走り抜けて、ふと気がつくと周りは古びた、レトロモダンとでもいうべき建物が並び、提灯が赤く浮かび上がっている。開け放たれた玄関の中には、白い年経た猫が寝そべっていたり、年齢不詳のお婆さんがじいっとこちらを見つめていたり、澱んだ水槽のなかで金魚が蠢いていたり...。知らぬ間に異次元に迷い込んでしまったような町並みと、誰が愛でるでもない桜並木の風景が気に入って、それからそこに何度も足を運ぶようになったのですが、時間を切り取られたようなその町が、現役のいわゆる「遊郭」、「赤線」であることを知ったのは、「五条楽園」という単語をインターネットで検索したときのことでした。
『さいごの色街 飛田』(井上理津子、筑摩書房)は、大阪市西成区にある「色街」、飛田新地を約十年にわたって取材したノンフィクションです。
今ではほとんど寂れてしまった京都の五条楽園とは違って、飛田新地は今でも往年の勢いはないにせよ、一見華やかに賑わっています。私も一度だけ、「鯛よし百番」に食事に行ったことがあるのですが、周囲から隔てられた町の喧噪、食事後に乗ったタクシーの中から垣間見た、窓のなかにお人形のように座っている女性。静かな五条楽園で出会ったのとは全く別の「異次元」が、そこにはありました。
この本では、まず飛田に通う「男性」への取材から始まって、著者自身が出会った現在の飛田、飛田のはじまりから戦後にわたる歴史、料亭の経営者、組合の幹部、暴力団、警察、飛田で暮らす人々、そして飛田で働く「女性」。とにかく飛田に関わるあらゆる立場のひとたちに、いろいろな制約に阻まれながらも、「よくもここまで」と思われるほど執念深くアプローチを行っています。恐らくこの本を読んだからといって、飛田のすべてが推し量れることはないのでしょうが、少なくとも外部の人間が飛田のできるだけを知ろうとする、筆者のその執念が感じられます。
そしてなにより印象に残ったのが、この町に生きた、そして今も生きている女性たちのこと。彼女たちがこの町にたどり着いた理由は、貧困であったり、劣悪な家庭環境であったり、借金であったりと様々です。私自身はこれまでそういったこととは無縁に生きてきましたが、だからといって決して他人事、「異次元」の話ではない。なにかひとつ違っていれば、私もそういう運命になっているかもしれない。そう思わせるだけの重み、女性の生き方の実在を感じさせる力を持つ本でした。
あの街の異質さは何だか悲しいんだけど何故かひきつけられますねー。
私も見つけたら買って読んでみまっす!
ところでカエルさんは本は捨てたり売ったりせずにためとく派?
なかなか読み応えのある本でした。
カエルはため込む派です。
良かったら、今度貸すよ!
きっとこの本に書かれている(カエルさんの感想から推察するのみですが)ようなことに、通う男性客も、それを提供する側も、互いに踏み込んでしまったら、性風俗産業というのは成り立たないのも知れないな、と感じました。
普通の男女関係は互いに深く踏み込んで行くことで喜びが深まるのに、ここでは互いが踏み込まないことが約束。そこに性風俗産業の、直感的な後ろ暗さを感じるのかも、と思いました。読んでみたいです。
さすがカエルはん。飛田は、いったことないけど色々話には聞いてます。
風俗街は色々あるけど、飛田は特に閉ざされた、冷やかしには行けない、いくことを後ろめたく感じるような街というイメージがあります。
ところで、現代的な風俗産業は色々あるけど、お客さんもお店の女の人も何で飛田何だろう?という疑問が前からありました。
その疑問はこの本でとけるのかな。
「なんで飛田なの?」という疑問については…ある程度理解はできると思う。納得はできなくても。
飛田、実は過去に行ったことがありまして、あの独特の雰囲気に、妙に魅了されてしまいました。
何とも言えない空気と、まるでそこだけ戦前の日本のような街並みに、アホですがついうっとりしてしまいまして…。あそこがどういう場所なのかは重々承知の上で「この街並みは文化財として残すべきだ」とか思ってしまったのです。
この本、是非読んでみたいです。あの街がどんなものか、これからどうなるべきなのか、また考えが変わりそうです。
飛田に対するひとの感じ方はそれぞれやと思います。
関心があったなら、ぜひ読んでみて、飛田を知るきっかけにしてみてください。
でも、若い女の子が危ないことしたらアカンよ!