がんばれJW

JWとは、ご存知エホバの証人の事。JWが本当の「エホバの証人」、「キリストの証人」になるのを応援します。

神(エホバ)を恐れる

2011-04-26 | Weblog

JWエホバの証人は、神なる主(エホバ)を恐れていないように見える。すでにエホバの証人の世界では、エホバ神は、恐れるに足らないのであろうか。代わりに統治体や、監督や長老、組織を恐れているように思われるが、これは僻目であろうか。

イエス・キリストのように「主よ、主よ。」と言う人をあんなにも非難した人たちのようではない。なぜ「主よ、主よ。」と言ってはいけないのだろうか。イエス・キリストはただそう言うだけで、信じることなく言っている人たちを非難されたのであって、信じていう人たちを非難したわけではない。

JWエホバの証人は、キリストを「主よ、主よ。」とは呼ばないのだろうか。そのような人が「主よ、主よ。」と言う人たちを信仰のない人だと非難するとしたら大間違いと言うより不遜である。JWエホバの証人はイエス・キリストを「主」と信じていないのであろうか。それならばもっと問題ではないだろうか。主イエスの弟子にもなっていないという事だから。

しかし、JWエホバの証人たちのエホバに対する軽いものの考え方は、何を意味しているのであろうか。必ず裁かれるのではないかと恐れる。

アダムとエバがどうしてエデンの園=楽園を追い出されたのかもう一度愛読している聖書を(ものみの塔その他ではありません)もう一度読み直してください。蛇に化けた?サタンからの誘惑であったにせよ、神(エホバ)のご命令である園の真ん中にある善悪を知る木の実を食べたというだけ!のことだったのだ。

そのことがアダムとエバはどれだけの罰を受けなければならなかったかを考えてみてほしい。そのことによってアダムとエバ(人間)は、楽園から追放され、一生神の保護なしに額に汗して不毛の土地を耕さなければならないことになってしまったのだ。

そしてその子孫である人間は、アダムとエバから受け継いだ神に逆らう体質=罪から一生離れられないでいるのである。持ち続けているために、神の保護を受けられないどころか神との対話もできないでいるのである。

神(エホバ)は、忍耐を持って、私たちの罪を見逃しておられることはご存じであろう。神(エホバ)は、愛の神であるが、それと同時に義なる神でもあられるのだ。だからその決着はかならず着けられることは、聖書にはっきりと書かれている。ご存じのようにイエス・キリストがこの世に下って来られたのだが、だからと言って裁きはかならず来ることは聖書のどこにも書かれている。エホバの証人がイエス・キリストを素晴らしいお手本だといくらほめたとしても、それでこの裁きからは逃れることはない。

もちろん統治体がいくら頑張ってものみの塔その他によって指導したとしてもその裁きから逃れることはできないのである。偽預言者であるから当然かもしれないが、、、

しかし逃れる方法は一つある。一つだけ在る。それは統治体が指導せず、イエス・キリストを救い主と信じて聖霊にお任せすることである。それ以外の道はない。

ヨハネ16:7 しかし、わたしは真実を言います。わたしが去って行くことは、あなたがたにとって益なのです。それは、もしわたしが去って行かなければ、助け主があなたがたのところに来ないからです。しかし、もし行けば、わたしは助け主をあなたがたのところに遣わします。
 16:8 その方が来ると、罪について、義について、さばきについて、世にその誤りを認めさせます。
 16:9 罪についてというのは、彼らがわたしを信じないからです。
 16:10 また、義についてとは、わたしが父のもとに行き、あなたがたがもはやわたしを見なくなるからです。
 16:11 さばきについてとは、この世を支配する者がさばかれたからです。【新改訳改訂第3版】(この項終わり)