カディスの緑の風

スペイン、アンダルシアのカディス県在住です。

現在は日本の古い映画にはまっています。

小津安二郎監督『大人の見る繪本 生まれてはみたけれど』(1932年)

2013-09-11 16:11:52 | 映画







小津の映画にはよく子供たちが登場する。

多くの場合、男の子の兄弟、あるいは一人息子である。


その子供たちはやんちゃで、腕白で、学校をさぼったり

親に口答えしたり、とても元気な子たちである。



そういう子供たちを主役にした小津の作品、

戦前のサイレント映画『大人の見る繪本 生まれてはみたけれど』と

戦後のカラー映画『お早う』の二本が、英国アマゾンからとりよせた

DVDに収録されている。


『大人の見る繪本 生まれてはみたけれど』はサイレントだから、

当時上映されるときには、生のピアノなどの音楽伴奏が入ったらしい。

このDVDではまったくのサイレントとしても見られるし、

またエド・ヒューズ(Ed Hughes)という英国人が作曲した音楽付きで

見ることもできる。この音楽はフルート、チェロ、ピアノ、クラリネット、

ヴァイオリンとパーカッションで構成され、どこかやはり東洋風の

旋律と雰囲気をもった音楽だが、決して月並みな中国風ではない。



日本では無声映画には弁士がセリフや説明を入れていたらしいが、

この作品では、セリフはときどき出てくる字幕で読む、という

西洋風の方式である。





サイレント映画であるから、ストーリーはきわめて単純明快だ。


引っ越し荷物をつんだトラックが、ぬかるみにタイヤをとられて

父親と息子二人が運転手を手伝って、ようやくぬかるみから脱出する

場面から始まる。


父親は、近所の岩崎さん宅に挨拶に行く、と言って、子供たちだけが

トラックの荷台に乗り、家に到着する。

家では母親と、父の同僚二人が手伝って、

引っ越し荷物の整理に忙しい。

同僚二人の会話から、岩崎というのが専務であり、

父親は岩崎の家の近くに引っ越すことで、出世しようと

していることがわかる。


息子二人は近所の子供たちから早速馬鹿にされ、

餓鬼大将にいじめられてしまう。

小学校では悪がきどもがひしめいているので、

恐れをなして二人は学校をさぼり、

原っぱで時間をつぶす。


しかし学校の先生が父親の帰りがけに子供たちが

休んでいることを知らせてしまう。

父親は、学校に行って勉強して偉くなれ、お父さんは

甲ばかり取って成績優秀だったんだぞ、とけしかける。







息子二人はあの手この手をつかって、ようやく喧嘩に勝ち、

しだいに悪がきグループに受け入れられていくが、

そのグループには、父親の会社の岩崎専務の息子、太郎もまじっている。


ある日、専務宅で活動写真を見せてくれる、というので

二人は太郎にとりいって、岩崎邸に行く。

そこには父親も来ている。

さて、その活動写真には、父親が岩崎専務にへつらい、

おどけた顔や格好をして笑わせている姿も写っていた。

長男はそんな父親の姿をみっともない、と思い、

兄弟二人は岩崎邸を出て、先に家に帰ってしまう。


そのあとすぐに戻ってきた父親に、父ちゃんはちっとも

偉くないじゃないか、と文句をいう。

父親は岩崎さんは重役でお金持ちで、お父さんに月給を

くれるんだ。その月給がなければ、学校にも行けないし、

ご飯もたべられないんだぞ、と諭す。


息子二人は、大人になって太郎ちゃんの家来になるくらいなら

学校にもいかない、と言い張り、ご飯も食べない、と言って

兄貴のほうは父親からこっぴどくお尻を叩かれてしまう。



子供たちにはもう少し優しいものの言い方ができないのでしょうか、

と母親は夫に文句を言うが、夫は、自分だって好きで専務のご機嫌を

とっているわけではない、でもそのおかげで生活は楽になって

きたではないか、と反論する。



泣きながら寝てしまった子供二人の寝顔を見ながら、

父親は、お前たちは一生わびしく爪を噛んで、

おれのようなヤクザな会社員にならないでくれ、と

独り言のように優しく言うのである。

この場面の夫婦の優しい顔が実にすばらしい。

親とはこんな顔をして子供の寝顔をみるものか、と

感動する。


さて、ハンガーストライキをしている子供たちが

庭の椅子に座っている。

父親は妻に、むすびでもこしらえてやれよ、と言い、

そのおむすびを持って行った母親は、

お前たち、大きくなってお父ちゃんより偉くなれば

いいじゃないか、と声をかける。

「お父さんみたいになっちゃだめよ」と戦後の母親たちは

子供たちに言い聞かせたが、戦前から、父親の威厳が次第に

失われて行ったのだな、と思う。



やはり空腹には耐えきれず、おむすびをかじり始める

息子たちのところへ、父親が笑顔でちかづき、

一緒におむすびをかじりながら、

大きくなったら何になるんだ?と聞く。


次男は中将になる、と言う。どうして大将にならないんだ?と

父親が聞き返すと、次男は、兄ちゃんが大将になるんだから、

自分はなれないんだ、と答える。

年功序列の掟は子供たちの世界にもあるのだ。


こうしてまたいつも通りの生活に戻った親子が

朝、線路沿いを歩いていく。踏切には黒塗りの車が止まっている。

岩崎専務の車である。長男は父親に

「あいさつした方がいいよ」と促し、

父親は岩崎専務の車に同乗して出勤していく。


岩崎の息子、太郎と、どっちの父親のほうがエライか、

という話になり、最初は、自分の父親だ、と

言い張っても、すぐに、お互いに、『君の家のほうが

偉いよ』と言い合い、仲良く登校していく光景で

映画が終わる。



サイレント映画の特徴として、やはりセリフより

顔の表情や体の動きで人物の心理を表すのであるが、

この子役たちの表情が実によい。特に次男を演じた

突貫小僧、という子役は、目の動かし方、顔のむきなど

実に自然で強烈な印象を与える。


大人のえげつない世界は、子供たちの世界にも投影される。

転校してきた新入りに対してお前らはおれたちの下だ、と

露骨に言葉や態度であらわし、いじめる。

今の時代でもいじめははびこり、社会問題にまで発展するが、

80年前の日本社会での子供たちのいじめは、陰湿なところがない。

真っ向から体当たりするのである。

そして喧嘩して、勝てば自分の地位を獲得できる。



子供たちが、キリスト教の神父のように指を二本立てて、

相手に示し、相手が地べたに横たわると、十字を切り、

そのあと、解除のサインをして、相手がようやく起き上がれる、

という遊びの光景が何度も出てくるが、当時流行っていた遊び

だろうか。





この家族が麻布から引っ越してきた郊外の家は線路沿いで、

家の前にはひっきりなしに電車が通過する。

蒲田に近い池上線沿線である、とのことだが、

電信柱が連なり、原っぱが広がる。

新しい家の建築場面が背景によく出てきて、あの頃から

次第に宅地化していったのだろう。








白いペンキぬりのフェンスや、ガーデンチェア、

エスと言う名のジャックラッセル犬をペットとして飼っていたり、

しがないサラリーマンの家庭でも、どこかアメリカ的であるし、

岩崎専務宅にはテニスコートがあったり、居間には

大きな応接セットがおいてあって洋風のインテリアである。


父親が子供たちと衝突した後、自宅の洋間で飲む酒は舶来品の

ウイスキーである。小津の舶来趣味が反映されているようだ。


父親を演じた斉藤達雄は戦前の小津の作品にかなり

出演しているが、どこかドイツ人のような風貌で、

日本人離れしている。








また学校の先生を演じたのは、西村青児という俳優で、

若死にしてしまったようだが、この人も

日本人離れした顔をしている。

小津は若いとき教師をしていたことがあるようだから、

授業の場面は生き生きしている。










サイレント映画はあまり見たことがなかったが、

セリフにたよらない身体表現の素晴らしさを満喫したし、

小津の諧謔精神、時代風刺が押しつけがましくなく

感じられて、古さがまったく気にならない、

実に小気味よい作品である。



母親を演じた吉川満子も美人ではないが、品があって

夫につくし、子供たちにやさしい母親の強さを

上手に醸していてなかなかである。


いろいろと映画にしかけをしているところは

戦後の小津とかわらないのだが、

この作品には、戦後のカラー作品にはない若さ、

というか、溌剌とした奇をてらわない素直さがあって、

旬のおさかなをいただいたような、さわやかな満腹感の

ある映画であった。















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