心機一転改めてスタートライン!

2009-02-18 06:34:22 | 日記
何もないと寂しいかな、と思いましたので、とりあえず某大学のレポートを転載します。

「不死蝶・岸田森論」

泣いた。
嗚咽が止まらなかった。


『不死蝶 岸田森』。この本を読めば読むほどに、何故、岸田森はもう死んでしまって、こんな追悼本のなかにだけ存在しているのか。残念でならない。
『帰ってきたウルトラマン』、そして松田優作の『探偵物語』ではゲストとして岸田森が怪盗103号として出演した回。たった、その二作品で、自分は、岸田森の虜になった。

岸田森は、蝶の蒐集に人生を賭けていた。そう、『蝶』の持つ、上品さ。
「ダメなんですよ、蝶じゃなくっちゃ。僕は蛾というのが大嫌いでね。あれは節操というものがないんです。昼は飛ぶし夜は飛ぶし、めちゃめちゃなんだけれども、蝶は絶対に夜は飛ばない。実に節操を守って生きている昆虫なんです。食べるものにしても蝶は美しいですよね。」
何気ないフレーズ、岸田森の美意識がびしびしと伝わってくる。
蝶の蒐集。それは、岸田森にとって、岸田森の人生そのものであったのではないだろうか。いや蝶と岸田森が同じ存在なのではないだろうか。
光の加減で、七色に輝く鱗粉。蝶の羽。岸田森もまた、千変万化。光の加減、いや、噛み砕くなら、その役によって、七色の光を放つ。写真を見ると、どれもが岸田森なのだけれども、どれも違う。矛盾した言い方になるが、実際そうなのである。
また、『帰ってきたウルトラマン第三十五話 残酷怪獣プリズ魔』において、脚本も手がけている。
敵対者としての怪獣「プリズ魔」。これほどウルトラマンと異様な戦いをし、そしてウルトラマンを苦しめた怪獣は彼をおいて他にないのではないだろうか。そして、その物語の異常としか表現の仕様がない終わり方。
「プリズ魔」。その名の如く、結晶の形態をしている。
そして何と、光を吸収して成長する怪獣である。「オー、ロォラー」と。プリズ魔は唸る。
オーロラ。七色の、美しき、夜空に広がる、光。光、光、光。
蝶を連想せざるを得ない。
もちろん、岸田森、その人の輝きも、である。

ここで、「帰ってきたウルトラマン第三十五話」の簡略な解説しようと思う。
日本近海で灯台や船舶が襲われる事件が多発する。それは、光を捕食する怪獣「プリズ魔」の仕業であった。光の力を凝縮させた怪獣であるから、とてつもない熱エネルギーを持っている。そこで、マット(地球防衛軍的な組織)本部では非常な低温をつくり、プリズ魔を破壊しようとする。しかし、人間のつくり出すことができる温度は絶対零度であり、それで物理法則や人類の科学さえも凌駕する存在であるプリズ魔を破壊できるかどうか、マット本部には不安がはしる。しかし「でもやるんだよ」の精神で冷却弾の制作にとりかかるマット本部。
マット本部の冷却弾はあまり効果を発揮できず、考えに考え抜いた郷(ウルトラマン)は走りながらウルトラマンに変身し、プリズ魔のなかへと飛び込む。そして、プリズ魔の内部からスペシウム熱光線を発射し、プリズ魔は倒された。郷(ウルトラマン)の最期の台詞。
「一か八かの賭けだった。ギリギリの賭けだったんだ」

ここで、物語はスパッと、終わる。はっきりいって異常としか思えない。通常の勧善懲悪である怪獣モノ番組の枠組みをはるかに超えている。それでいて怪獣モノでなくては表現できなかったという奇跡。奇跡は矛盾が矛盾でなくなった瞬間に発生する。

この物語の中で、非常に印象に残る、郷(ウルトラマン)の台詞として岸田森が書いた台詞がある。
郷 「奴は光に飢えているんです。満足するということがない。光を吸収して強力な破壊力を持つと、さらに多くの光を必要とする。(・・・・・・以下略)」
ゾクリとした。
そして半ば感覚的にではあるが理解、した。
 光を渇望しながら自らが発光している。それは役者としての岸田森そのものではないだろうか。
と、書いている矢先に、「不死蝶 岸田森」を読むにつれ、どうにもこうにも我慢できなくなり、「傷だらけの天使」を借りに、深夜、レンタルビデオ屋に走って行った。
岸田森・・・。またひとつ、自分のなかに岸田森の持つ『七色の光』を見せつけられた。細かい芝居。岸田森の演技に釘付けになった。一挙手一投足に目が離せない。あくまでも、コミカル。矛盾するが、あくまでも、クール。その両方が何の違和感もなく介在する。これもまた奇跡なのか。

自分は幼少期に、水谷豊が大好きであった。
ある刑事ドラマでの『おじさん、人間変わっちゃうよ~」この台詞が、そして、その演技のコミカルさ、同時にシリアスさが、幼少期の自分を虜にした。
「傷だらけの天使」にも若き日の水谷豊が出演している。
岸田森と、水谷豊。ここで、幼少期の糸が繋がった。
もしかしたら自分は、いや、もしかしなくとも、水谷豊を通して、そうとは意識せずに、岸田森を見ていたのではないだろうか。
「僕にとっては、豊も先生だし・・・」
岸田森のインタビューからの抜粋である。
対する水谷豊の、岸田森についての文章は以下である。
「森さんって、具体的な今話したような事なんかは話せるんだけど、どういう人かってこう表現できる言葉がないんです。だからせめて森さんと一緒に過ごした時間をこうして話すことによって、どういう人かを少しでもわかってもらえるかなって。つまり、言葉で表現できない人、それが僕の森さんなんです。いつもどこかで見ている人、それが僕の森さんなんです。」

読むにつれ、岸田森と水谷豊。この二人の関係、その麗しくも奇妙な交友関係。ああ、繋がっているんだ。そう深く思う。

岸田森。目で、身体のほんの少しの動きで、これほどまでに強烈な印象の残る役者を「現代」に私は知らない。

岸田森。彼のライフワーク。癌。怪優。実際にメディアに姿をあらわした期間、15年。
彗星の如く現れ、流星のように消えていった輝く人物。

彼の出演作を追いかけ続ける、これが自分自身のライフワークとなるであろう・・・・・・。


参考文献 「不死蝶 岸田森」ワイズ出版 著者 小幡貴一 小幡友貴・編