ふなやすさんの数字と戦う生活

転職と同時にブログタイトルも少々変更ですよ。

皇統が断絶しそうな流れと一度ほんとに断絶しかけた話

2005年11月23日 12時16分00秒 | 歴史やら神社やら
「女系」天皇容認に批判も-愛子さまの「次」で
長子優先のほうが有力になってきました
やはり危険なこと、女性天皇には反対はしませんが男系の維持はなんとしてもしてほしいものですが・・・

・ちょっと非人道的解決策、愛子様が皇室とつながる人(皇籍離脱した人とか)と結婚すれば無問題・・・なんですけどねえ・・・昔から散々やってきたことだし・・・

さて、皇統は一度真剣に断絶しかけた(した)ことがあります。
かなり昔ですが・・・

二十五代天皇に武烈天皇と言うお方がおられました。
妊婦の腹を割いたり、人の生爪をはがして山芋を掘らせたり、暴虐ということにおいてかなり名高い天皇です。この天皇結局子供がいません、
この後をついただのは継体天皇なわけですが・・・
この天皇の即位に関して古事記下巻武烈天皇條には

この天皇、既に崩りまして、日続知しめす可き王ましまさず。故れ品太天皇(応神天皇)の五世の孫、袁本杼命を近淡海国より上り坐さしめして、手白髪命に合せまつりて、天下を授け奉りき。


(現代語訳)
天皇(この場合武烈天皇)がなくられその跡を継ぐ人がいなくなった。そのため応神天皇の五世孫に当たる袁本杼命(後の継体天皇)を近淡海国(近江国、現在の滋賀県)より都につれてきて手白髪命に引き合せた後天皇とした

昔は皇統の男系を守るためにえらく皇室から離れてしまったところからでもつれてきたようです。
もっとも継体天皇は母も垂仁天皇の七世孫だったりと皇室の血がかなり濃い人物だったようですが、記紀には特になにも書かれていませんが多少の悶着は在ったのではないかとおもわれます。
やはり皇籍離脱した人物からも考えなければいけない時期になってしまっているような気もしますが・・・
愛子様を天皇にして愛子様が皇室とつながる男性と結婚してその子供が跡を継ぐ、明治以前なら許されることとでしょうが現代においてこれは人道的に許されません。(愛子様がそれを望んだら知りません)とりあえず非人道的解決案しか浮かびませんが、かつては皇統を守るためにここまでやったことがあるということを紹介まで・・・

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